Dictionary FENDIディクショナリー

FENDI

ブランド名フェンディ
概要

 イタリアを代表する高級毛皮製品、服飾品ブランド。フランスLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループに属する。
 1925年ローマにアドーレ&エドアルド・フェンディ夫婦が皮革製品を扱う店として創業。染色した毛皮や高度なカット技術で評価が高く、多くの著名人に愛されてきた。更にデザイナーにKarl LAGERFELD(カール・ラガーフェルド)を迎えたことで飛躍的な革新を遂げる。
 毛皮以外の代表作は「F」を組み合わせた「ダブルFモノグラム」の「ズッカ柄」、そのひと回り小さい「ズッキーノ柄」が有名。皮革製品を始めバリエーション豊かに施されている。
 バッグではローマの伝統的な馬具に使用される貴重な革「キュリオ・フィオレ」を使用した「SELLERIA(セレリア)」、1997年発表の「BAGUETTE(バゲット)」、2005年発表の「spy(スパイ)」が世界的な大ヒットとなった。

ヒストリー

 1925年、アドーレ&エドアルド・フェンディ夫婦がローマのプレヴィシート通りに小さな皮革製品の店と毛皮工房をオープン。高品質の毛皮のコートで成功し、人気メゾンとして成長する。

 1946年、ピアーヴェ通りに店をオープン。
これを機にフェンディ家の5人の娘の長女、パオラが15歳で仕事を始め、アンナ、フランカ、カルラ、アルダの4人の妹もそれに続き、創始者の後を受け継ぐ。

 1965年、カール・ラガーフェルド(当時27歳)を主任デザイナーに迎え入れる。
ラガーフェルドは上質な皮革製品に伝統の技と新テクニックを融合させ、クラシックな毛皮のイメージを一新。クリエイティブで革新的なデザインと品位を保つファッション性が話題を呼び、ラグジュアリーなモードブランドへと発展する。

 1969年、毛皮コートのプレタポルテを発表。
当時コートや羊のバッグの裏地として使われていた「ダブルF」の柄を表側に使った有名な「ズッカ柄」が誕生。以後、「ダブルFモノグラム」はブランドのアイコンとして現在まで人気を保っている。

 1977年、毛皮や革製品にコート、ジャケットなど幅広いアイテムが加わり、本格的なプレタポルテをスタート。

 1985年、フェンディ初の香水を発表。

 1990年、トータルメンズコレクション、フェンディ・ウオモを発表。
メンズデザインはシルヴィア・べントゥリーニ・フェンディが手掛けている。

 1990年、LVMHグループとプラダが資本参加し、合弁会社を設立。

 1997年、フェンディ家5人姉妹の次女アンナの娘のシルヴィア・ヴェントゥリーニにより開発されたバッグ「BAGUETTE(バゲット)」が登場し、爆発的大ヒットとなる。

 1999年、PRADA(プラダ)とLVMHに株式の半分を売却。

 2000年、直営店のネットワークを強化、全世界で4店舗 から83店舗まで拡大。

 2001年、プラダが保有する合弁会社の株の全てをLVMHグループが買収。フェンディはLVMHの傘下に入る。

 日本においては1972年にアオイとライセンス契約を結び、1974年ホテルニューオータニ・サンローゼ赤坂に初のブティックをオープン。2001年3月にLVMHとアオイによる「フェンディ・ジャパン」を設立。その後赤坂店はクローズし、LVMH主体の店舗展開を主要都市中心に広げていく。

 2002年11月23日、神戸市中央区の旧居留地商業ビル 1、2階にルイ・ヴィトン、ベルルッティとともに店舗をオープン。毛皮専用サロンを設け、紳士衣料も販売。

 2003年8月銀座・並木通り店クローズ。

 2003年9月20日、表参道のLVMH複合ビルにセリーヌ、ダナ・キャラン、ロエベとともに ONE表参道店オープン。

デザイナー

 Karl LAGERFELD(カール・ラガーフェルド)

 1983年、ドイツのハンブルグに生まれる。
 パリに移住して10代でPierre Balmain(ピエール・バルマン)、Jean Patou(ジャン・パトゥ)等のオートクチュールメゾンで働く。
 1963年に独立。その後Chloé(クロエ)のヘッドデザイナー、FENDI(フェンディ)のデザイナーを経て1983年、クロエを去って、シャネルのデザイナーに就任。
 1984年に自身のブランド「Karl LAGERFELD(カール・ラガーフェルド)」をスタートさせ、現在はフェンディ・シャネルと合わせ3つのメゾンのデザイナーを兼任する。
 1986年、「デ・ドール賞」を受賞。

  ストリート・ファッションをエレガントに表現するという、独特のクリエイティブな世界を創り出す。
 写真家としても高名。

更新日2008.01.18