フランス・パリを拠点とするファッションブランド。1988年、ベルギー人デザイナーのMartin Margiela(マルタン・マルジェラ)が創立。
ブランドのテーマカラーは白。スタッフの衣服やショップの内装も白を定番としている。作品としては奇抜な印象だが、実際のアイテムはベーシックなデザインが多く、白・黒を基調としたジャケットやカットソーなどが人気。足袋型のシューズでも有名。
特徴的なブランドタグは「カレンダータグ」とも呼ばれ、あえてブランド名を明記せずに数字が並べられ、ラインごとにその数字のうちの1つに丸が付いている。
服の構成要素を解体し、それを丹念に検討して違和感が生まれるようなひねりを加えた、脱構築的な作品が特徴。古着をつなぎ合わせて再生を試みたり、超異素材の組み合わせ、極端に大きい服など前衛的な作風で常に話題を呼ぶ。
過去の作品を最新コレクションに利用したり、一般女性をモデルに使ったショー、倉庫や駐車場などをショー会場とするなど、現代の常識に反抗的なアプローチを行い、真の創造性を模索し続ける。
フランスではヌフ社が「マルタン・マルジェラ」ブランドを展開。
日本ではワールド子会社のオリゾンティを経て、1999年にヌフ社、三菱商事、オリゾンティの3社の共同出資による輸入販売会社「ここのえ」を設立。国内におけるマルジェラの独占輸入販売を行っている。
1988年、Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)がマルタン・マルジェラ社を設立。
1989年、春夏パリコレクションで「Maison Martin Margiela(メゾン マルタン・マルジェラ」としてデビュー。
古着を素材にしたり、わざと古着風に仕上げたりした「シャビールック(shabby look=みすぼらしい格好という意)」で、ファッション界に衝撃を与えた。以後、いわゆる「グランジファッション」の先駆者として新潮流を作り出した。
1980年代に、シルエットの細いジャケットやボトムを提案し、これ以降10年間、それまでのゆったりとしたミラノモードに対して、ボディ・フィット(スリム)なシルエットが全盛となったといわれる。
1990年代には、オーバーサイズの服を発表。
1993年、過去に発表された作品を最新コレクションの全てのルックに利用し、作品に制作年を入れるという前代未聞のコレクションを発表。
1998年秋冬、マーク・ボドウィックによるビデオ・プレゼンテーションやジェーン・ハウが人物大の人形を使って表現したインスタレーションを行う。
1998年春夏、「COMME des GARCONS(コムデギャルソン)」とのコラボレーションを行う。
1999年春夏より、メンズウェアラインをスタート。
2000年9月、東京・恵比寿に世界初の路面店「マルタン・マルジェラ・トウキョウ」をオープン。古い木造家屋を丸ごと店舗に使い、浴槽やキッチンもそのまま売り場に活用した。
2002年2月、ベルギー・ブリュッセルに初の直営店をオープン。
2002年6月、フランス・パリに初の直営店がオープン。
2002年7月、Maison Martin Margielaを運営するヌフグループの新組織導入。
ディーゼルグループ創始者兼社長のRenzo Rosso(レンツォロッソ)がヌフ社のメジャーシェアホルダーとして参画。
2002年8月、東京・南青山に直営店をオープン。国内2店目となるこの店はオフィスビルの一室を転用。FROM-1stビルの301号室という、隠れ家的な造りで話題を呼んだ。
仙台に直営店をオープン。
2003年8月、大阪・南船場に直営店をオープン。
2004年4月、イギリス・ロンドンに初の直営店をオープン。
2004年6月、ライン「6」が進化し「MM6」♀のための服としてスタート。
2005年11月、台湾・台北に初の直営店が」オープン。
2005年12月、アメリカ・ニューヨークに初の直営店がオープン。
2006年1月、イタリア・フィレンツェのメンズ見本市Pitti Immagine Uomoに招待デザイナーとして参加。
2008年7月、イタリアのジュエリーグループ「DAMIANI(ダミアーニ)」と提携し、初のファインジュエリーコレクションを発表。
Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)
1957年、ベルギーに生まれる。
アントワープ王立芸術アカデミーでデッサンを学ぶ。
1979年、ファッション科を卒業後、ミラノでフリースタイリストとして活動。
1984年、パリで初めて見たジャン・ポール・ゴルチエのショーに感銘を受け、アシスタント入りし4年間働く。
1988年、マルタン・マルジェラ社を設立。
1989年、春夏パリコレクションで「マルタン・マルジェラ」としてデビュー。
1997年、フランス老舗ブランド「HERMES(エルメス)」のレディース・プレタポルテの主任ディレクターに就任。1998-99年秋冬からデザインを手掛け、2004年春夏で契約が終了。
流行に対して批判的なアプローチを行い、その作風は「アンチモード」とも呼ばれる。
「アントワープ派」のデザイナーとして別格な存在。1986年にロンドンの展示会に合同出展した同アカデミーの卒業生6人を称した「アントワープ6(the Antwerp Six)」のオリジナルメンバーではない。その1人だったMarina Yee(マリナ・イー)がデザイナーを引退した後、マルジェラを「アントワープ6」に含めるようになったとされる。
マスコミに露出することを極度に避けるデザイナーとしても知られる。写真を公表せず、インタビューも受けない。ジャーナリストからの質問は文書でのみで受け付ける。返信にはデザイナー個人としてではなく「私たち」という表現が用いられ、ひとつの製作集団としての意思が示されている。
0 手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服
010 手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服
1 女性のためのコレクション
10 男性のためのコレクション
4 女性のためのワードローブ
14 男性のためのワードローブ
11 女性と男性のためのアクセサリーコレクション
22 女性と男性のための靴のコレクション
13 オブジェ、または出版物
MM6 ♀のための服