連載「ふくびと」ドン小西 〜逆境を乗り越えた半生〜
2011年02月04日 10:00 JSTドン小西こと小西良幸。テレビではファッションチェックの辛口コメンテイターとして馴染み深いが、かつては世界3都市でコレクションを発表し、オリジナルブランド「FICCE(フィッチェ)」のブレイクとともに一世を風靡した敏腕デザイナーとして知られている。しかし次第に人生の歯車が狂い始め、残ったのは多額の借金。ドン底に転落した男がいかにして這い上がり、逆境を乗り越えてきたのか。ドン小西の波瀾万丈な60年の半生を追った。

■呉服屋の坊ちゃんからファッションへの憧れ
ー小西良幸は、1950年三重県に誕生。老舗の呉服屋という由緒正しい家柄で大切に育てられ、遊び場は店の中。野球のルールも知らなかったという、いわゆる "お坊ちゃん" だった。幼少の頃から「自分は特別な存在ではないか」と感づいていたそうだが、 色鮮やかな着物や帯に囲まれた環境が、後のデザイナー人生に大きく影響を及ぼしていく。
小西:着る事によって自分をパッと楽しくさせてしまうとか、ファッションのそういう魅力に引かれたんだ。家が呉服屋で、叔父が洋裁店をやっていたから、小さい頃から「ELLE」とか「VOGUE」とかを見て自然と興味が沸いた。雑誌だけじゃなく実際に向こうのファッションが見たくなって、大学の時にロンドンに留学もした。着たい服を自分で作ったり、どんどんのめり込んでいったんだ。
服作りはずっと自己流だったけれど、基礎を覚えようと思って文化服装学院に入ろうと思った。 現代の若者もそうだけど、目的が無くてなんとなく過ごしてる学生の多さにはびっくりするよね。僕は本気になって服を作って食べていこうと思っていたから、つまらないヤツらのいる大学を止めたんだ。パターン(型紙)さえ引ければ自分のイメージするシルエットをどんどん作れるわけで、その基本を身に付けたかった。いつも目的の為に動いてきたから、昔から自立心は強かったと思うよ。
■30代で独立 小西流デザインニットで大ブレイク
ー文化服装学院を卒業してアパレルメーカーに勤務。しかしそこに、小西の思い描いていたファッションの世界はなかった。1981年、31歳の時に独立。師を持たず、大きな資本もないデザイナー小西良幸のデビューは前途多難ではあったが、その才能が徐々に世間に認められていった。「FICCE」のニットで大ブレイクし、毎日ファション大賞をはじめ各賞を総ナメ。その名を全国に広め、一気に時の人となった。
小西:僕らの時代っていうのは、 "デザイン" なんて概念自体が無かったのよ。独立当時は手探りだったね。 半端な気持ちでは出来ないし、他と同じ事やっていてもダメ。 どうやったら自分のデザインを世の中に知ってもらい、広められるかに必死だった。デザインは教えてもらうものじゃなかったし、憧れの人も、影響を受けた人も誰もいない。自分だけを信じていたよ。60になった今でこそ、僕は学ぶものが沢山あると思っているけどね。
「FICCE」のニットに関して言えば、あれこそデザインでありアート。出来るだけ着ないでディスプレーしてくれ、と言いたいくらい根性を入れて作ったよ。そうしたら、いろんなアーティストが着てくれるようになった。皆がそれを着てテレビに出たり、ステージに立ったり、気が付いたらビートたけしさんや多くのタレントさんも僕のニットを着ていて、逆に着ない人がいなかったくらいなんだから。そりゃあもう売れたね。一番衝撃的だったのは、海外の有名なデザイナーが僕のコピーでコレクションを発表したとき。その夜、当時のスタッフと真相を確かめにパリへ飛んだもん。ビックリしたよ。
