【メディアと人】STUDY編集長 長畑宏明

長畑宏明 Photo by: FASHIONSNAP

 インディペンデントなメディアと人に注目する企画「メディアと人」。第2回目は、2014年12月に創刊したファッションマガジン「STUDY」。音楽雑誌発行会社への就職活動に失敗し、なぜファッション雑誌創刊へと舵を切ったのか?29歳の編集長 長畑宏明の文脈を巡りながら、"紙"に固執しない独自のファッションメディア論に迫る。


■音楽をバックボーンに、ファッションの世界へ

−出身はどちらですか?

大阪です。中学高校と野球部で、ファッションよりも音楽に興味がある学生でした。当時のファッションアイコンといえばトム・ヨークやザ・リバティーンズ。「ロッキング・オン(rockin'on)」や「スヌーザー(Snoozer)」に載っていた彼らのスタイルに影響を受けたんですが、ブランドの情報がなかったので、とりあえず似ているものを探して一張羅で着ていました。大阪時代は今思うとかなりナードで、三角公園に行くのも怖かったんです(笑)。

−音楽がファッションのバックボーンになっているということですが、音楽に興味を持ったきっかけは?

音楽教師だった母の影響から家ではいつもクラシックやJポップが流れていましたが、本格的に音楽にのめり込んでいったきっかけはFM802(大阪のラジオ局)です。

−その後上智大学に進学

当時の「ロッキング・オン」編集長 山崎洋一郎さんが上智大学出身だったので、僕も同じ大学に入ろうと。音楽誌の編集者になりたかったので、在学中は文章のスキルを磨くために、「クッキーシーン(Cookiescene)」という音楽雑誌でライターをしていました。

−大学時代にスナップサイト「howtodancewithyou」を立ち上げる

当時の僕は、スナップサイトの「droptokyo」と「The Sartorialist」をよく見ていました。特に「ザ・サルトリアリスト」は、ホームレスやペンシルバニアの農夫のスナップがハイファッションまわりの人たちと同列に掲載されていて。僕はその振り幅に感化されました。スコット・シューマン(「The Sartorialist」創始者)がファッションと言ってしまえば何でもファッションになるんだと。一番強烈だったのは、Oasisのロゴが書かれた水色のTシャツを着ている若い男性の写真で、どの角度から眺めてもダサくて(笑)。ライブの物販でゲットしたであろうそのTシャツを意気揚々と着ている姿に対して、「ファッションだ」と断言することが簡単にいうと新しく感じました。これを日本に持ち込むことができないものかと思って始めたのが「howtodancewithyou」です。僕にとってのファッションを体現している人であれば、それこそ子どもから老人まで誰でも撮っていました。そうして写真を撮っているうちに「MEN'S CLUB」や「OCEANS」からお仕事をいただくようになりましたね。

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−「メンズクラブ」や「オーシャンズ」からはどんな仕事をもらっていたんですか?

ストリートスナップの仕事です。「神戸で30人撮ってきて」といった感じで、すごく自由にやらせてもらいました。

−「ロッキング・オン」の採用試験は受けたんですか?

新卒で受けたのですが、落ちてしまいました。その時の編集長は山崎さんから粉川しのさんに代わっていて、正直僕はその方の編集方針があまり好きじゃなかったので、面接で「面白くないです」と言ってしまって。今考えるとロジックも何もなくて、ただの失礼なやつでした(笑)。ただ、どうしても入りたかったので、翌年再チャレンジして「改心して戻ってきました」と熱意を伝えたら、最終面接まで進めてくださいました。でも結局ダメで。挫折と言うか、完全に打ちのめされましたね。

−就職浪人後、どこの会社に就職したんですか?

ウェブ会社に就職しました。ちょうどスナップ系のアプリが新規事業で立ち上がったタイミングだったので、僕のやっていたことがハマったんです。

−第一志望の会社ではないですが、モチベーションを維持することはできたんですか?

そこしか拾ってもらえなかったということもあって、余裕がなく必死だったと思います。今いる場所は自分にとって必ず正しい場所だから、とにかく精一杯頑張ろうと考えて行動していました。

−それでなぜ独立して「STUDY」を立ち上げようと考えたのですか?

理由は色々あるんですが、1つは既存のファッション雑誌がやっていることに自分がわくわくできなくなったからです。また自分が東京で拠り所を見つけられなかったので、それをどう作るかっていうのが常に個人的な課題でした。あと同世代の川田洋平さんが「TOmagazine」をインディペンデントで出版したことも自分の中では大きかったです。創刊号は独自の目線があって最高だったと思います。僕は勝手に彼に勇気づけられていました。

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−東京で拠り所がなかったとは具体的にどういうことですか?

単に東京にある既存のコミュニティに馴染めなかったんです。一応努力してみたのですが、東京のストリート感が最後まで苦手で(笑)。

−影響を受けたファッション雑誌はなんですか?

HUgE」には影響を受けましたね。ファッションに対する鋭い感覚が、音楽、アート、映画、写真にも張り巡らされていて。音楽特集をやればどの音楽雑誌よりもジャストなラインナップを取り上げていましたし、今でもキング・クルーが表紙の号は脳裏に焼き付いています。その号は巻頭のファッション写真も秀逸で、スタイリストの高橋ラムダさんが海外でハントした素人たちにメゾンの洋服を着せて、全てスタジオで撮影しているんですが、あれはみんなが可視化したくてもできなかったストリートの感覚を見事に総括していたと思います。

−2015年に休刊してしまいました

でも残したものは大きいですよね。僕みたいな人間が雑誌を始めたように、「HUgE」が蒔いた種は着々と花を咲かせていると思っています。ただ、個人的に、出版社があの屋号を使ってまったくコンセプトの違う雑誌を作ったことには失望しました。

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