京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

【ゆるふわ東コレ日記4-4】──コンテクストを提示する

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「新しいものは受け入れられるのに時間がかかる」という話を昨日しましたが、作り手としては、それを気長に待つことはできませんよね。では何ができるのか。そのひとつにコンテクストの提示があります。

どんな分野の作品でも、それを見る時にコンテクストが必要となります。ここで言うコンテクストとは、作品を理解するための背景や歴史的な文脈のことです。作品をどんな風に見ればいいのか、どんな使い方をすればいいのか、作り手が提示しなければ受け手は自分で考えなければいけなくなります。たとえば映画には「恋愛映画」、「ホラー映画」、「アクション映画」など様々なカテゴリーがあります。どのカテゴリーにもまったく分類できないものを多くの人が見たいと思うでしょうか?もちろん、カテゴリーを横断するようなものもありますが、それは「恋愛+ホラー」とか「アクション+ミステリー」のように既に作られたカテゴリーを横断するものなのであって、分類あってのものです。

「いやいやそんなことはない」と思う人は、Youtubeで検索して《Anemic Cinema》という映画を見てみてください。これは100年近く前(正確には1926年)に作られた、「実験映画」にカテゴライズされる作品ですが、2016年の今、初めて《Anemic Cinema》を見て面白いと思う人はほぼ皆無でしょう。それは、人が物事を既存のカテゴリーにあてはめて理解していくことに起因すると思います。もし現在でも「実験映画」というカテゴリーが成立し、少なからぬ人がそれを楽しんでいるのであれば、《Anemic Cinema》を面白いと思う人もいるのでしょうが、その時と現在とでは共有されるコンテクストが違いますので、もはやそれを楽しむことはできません(映画史に興味がある人はまた別です。その人たちはその人たちのコンテクストがあります)。

ファッションも事情は同じです。服は日常的に着るものなので、それが自分に似合うのかどうか、その服を着て自分がなりたいイメージに近づけるのか、既に持っている服と組み合わせられるかなど、着る人は色々と考えるでしょう。その時に着る人に悩ませるようでは、手に取るまでのハードルがあがってしまうことになります。あらゆる分野で「カテゴライズされたくない」といった発言をする作家がよくいますが、それはただのエゴでしかありません。人や時代や社会の影響を受ける限り、何にも似ていないものなんて作ることは不可能です。ならばむしろ自らコンテクストを提示することで作品を受け取るハードルを下げること、それをもっと意識してもよいのではないでしょうか。

蛇足になりますが、村上隆『芸術闘争論』は現代美術のコンテクストがどうなっているのか理解するための良書です。ぜひご一読を。

【ゆるふわ東コレ日記】
4-1──主体と環境
4-2──主体と環境(その2)
4-3──継続することの大切さ

蘆田裕史