ファッションジャーナリスト

モードノオト16.10.22

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伝え聞いたところでは、どうやら、痛飲癖のあるこの私の体調をお気遣い下さる読者がいると云うのだ。老いた両親(特に母)の小言を喰うのは日常茶飯のことながら、読者の方に、そうしたお心遣いを頂けるなぞとは、誠に有難い限りである。ズブロクにはならぬよう心掛けながら、それでもダラダラと意地汚く酒に酔(よ)い、面白い服に只管(ひたすら)心底より酔(え)いながら、それを方便(たつき)としているのだから、その因果応報で、いずれはあちらこちらでガタが生じることは必定。すでに関節炎と蜜月時代を共にしているのだから、今更悔やんでも詮方(せんかた)無いのである。メーン会場での最後のショーが終わり、FASHIONSNAP編集部のお二人(小湊さんと高村さん)と軽く雑談を交わした後、駅に向かった。今日はすでに(アルコールの)許容の範囲を超えていると、しっかりと自覚する自分を些か頼もしく思いながら、それでも尚、誘惑に負けぬよう心して帰路に就いた。原稿を書く前に風呂を使ってみたら、気分は随分とスッキリとした。しかし身体を拭きながら、私の心には漸次、暗雲が垂れ込め始めた。裸になっていると、どうも腹のあたりがブヨブヨしてきたことがわかって気に喰わない。服を着てしまえば、そんなに棄てたものではない。それに、人前に出たときには、少々無理してへこませて、いわば虚栄のコルセットでごまかすことも出来る。だが、浴室から出る前にふと臍を見ると、それが当の私の許容の範囲を超える由々しき問題になっていることに気付いた。強い酒を呑み潰し、高カロリーな食べ物を食い倒してもなお、なにを以てしてもへこたれることのない頑強な胃袋を頼もしく思っていた時代はすでに全くの過去のこととなってしまった。先程までの爽快さも吹っ飛び、慊(あきた)りない気分に陥ったのである。なまじ清々しい気分で書くよりも、いつもの伝で、少しく苛立ち鬱屈したノリで書き始めるのが得策であることを、既に私は経験上会得しているからである。

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プラスチックトーキョー(PLASTICTOKYO)」の服は、透明度が極めて高い鉛硝子の如き澄み切った視点に貫かれた、丁寧に磨かれたプリズムの如き多面体のようなものだった。東京のファッションウイークでのショーは今回が三回目を数えるが、嵌(は)め絵の断片を、大胆かつ緻密に繋ぎ合わせるデザインは、前回の流儀を継承している。しかし、同じ手法(解体と再構成)を用いながら、今崎契助のイマジネーションは、ストリートの喧噪からフォーマルライクな紳士服の様式へと飛翔している。とは云え、黒い礼服が勢揃い、と早合点してもらっては困る。コレクションに通底する志向は、飽く迄も街着に根差した息吹、活気に満ちているのだ。床より張り出した舞台の上には、磨き上げられた大きな皿の脇にナイフとフォークの一式がセットされていた。これから晩餐でも始まるのだろうか。随分と昔の話だが、パリの「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」がショーの直前の会場内で、招待客全員に着席のディナーを供したことがある。コース料理が終わると、吊るされたシャンデリアが天井高く引き上げられ、長く続く一本の道のようなテーブルはそのままモデルが歩く舞台に様変わりしたのだが、そんな往時の粋な演出を私は思い出していた。しかし今崎の場合は、残念ながらそうではなかった。ショーが始まる前に、皿一式は係りの者に持ち去られて会場は一度暗転して、ショーは始まった。かの晩餐のイメージは、略式の礼服の暗喩だったのである。

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一年前の春夏シーズンが野外フェス。前回が渋谷のスクランブル交叉点。そして今回は空港の入国管理局を創作の下地にしている。もとより今崎は「人混み」「雑沓」が好きらしい。否、様々な熱量が交錯する無秩序に眼を向けることで、表現者としての自己を駆動してきたのである。今回は、舞台背景にあるセキュリティーゲートを模した造作を抜けてモデルが舞台に登場すると云う演出だから、客席に居る我々は差詰め、入国審査を司る役人と云うことになる。余談であるが、怪しい風貌、酒臭い息、どう見ても観光で渡航した只の旅行者に見えぬ私にとって、帰国の際の入国審査(特に成田空港の通関手続きが難所)は鬼門で、過去幾度もトランクを開けさせられる煮え湯を飲まされ、周囲の冷笑を背中に感じる惨めな経験を持っている。さて、本題に戻るが、先に「同じ手法(解体と再構成)と述べたが、その俎上に横たえたのは、軍服やアスリート、カジュアルウエアやビジネスマンのスーツ、そして礼装...。これらを一度パーツに分断して、左右、前後、あらゆる角度で接ぎ合わせて完成するパズルのような服がセキュリティーゲートを潜り抜け、イミグレーション(つまり客席)へと進むのである。折からの不穏な情勢故に、セキュリティーのレベルはますます引き上げられているはずなのに、入国審査に向かうモデルの姿は、鳥渡見たところでは、国籍、職業、人種、性別も判然としない高貴なボヘミアンさながらである。つまり、外見を判断するひとつの指標となるドレスコードを破壊して、作り手の恣意的なコラージュで様々な服の記号を再構成しているから、入国審査官(見ている我々)は、眼の前の渡航者(モデル)が、一体何処から来たのか、果たして職業は何か、そもそも何者なのかを、姿形からは容易には判別し得ない、と云うのが今回の着想であろう。勿論、人種の坩堝たる国際空港の渾沌としたイメージを異種混淆のデザインに重ね合わせているのは云うまでもない。なかなかに痛快な創意であり、作り手の着想は街着の本質を穿っている。しかし、老婆心から云わせてもらえば、カジュアル、ストリート、フォーマルと云った具合に、カットアップの題材としてこれまで矢継ぎ早にアイデアを注ぎ込んできたわけだが、そろそろネタが尽きてしまいはせぬかと懸念されるところである、しかしそれはそれ、結局はこちらの杞憂に終わるに違いないと、そう私は信じてやまぬのである。

>> PLASTICTOKYO 2017年春夏コレクション

【ファッションジャーナリスト麥田俊一のモードノオト】
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麥田俊一