ファッションジャーナリスト

"メタボセクシャル"の衣食日記(4-3)―出る杭は打たない

バトル・ドレス・ジャケット。ずいぶん大層なテーマを掲げてきたものである。今のテイラード・ジャケットの形が一般的になってから100数十年が経った。その西洋が積み重ねてきた紳士服の原型中の原型に勝負を挑もうというわけだから、どう贔屓目にみてもハナから勝敗は決まっている。相撲に例えれば、幕下から十両にあがったばかりの力士が白鵬に挑むようなものであり、クルマなら軽自動車がフェラーリに湾岸高速バトルを挑むようなものである。その無謀者の名前を山岸慎平という。「MOTEL(モーテル)」のデザイナーだった高坂圭輔とともに「ベッドフォード(BED J.W. FORD)」を立ち上げて6年。もう少し早くても良かったと思うが、この場に立つに相応しいクリエーションと売上を少しずつ着実に積み上げてきた。無謀者というのは、もちろん褒め言葉である。

kaijiro_20161029_02.jpg

慎平は高校を卒業後、古着屋を経て小林節正さんのファッションブランド「.......リサーチ(.......RESEARCH)」の門を叩いた。店員、プレスなどを経験し、小林さんの服作りのノウハウを盗んだ後、高坂と出会って2人でブランドを立ち上げた。6年前のデビュー時の慎平は、根拠がそれほどあるとも思えない自信に満ち溢れた小生意気な小僧だった。尖った若者が東京からいなくなりつつあった時代だったから、えらく新鮮で、成長の過程を見てみたいと思った。

圭輔との付き合いはもう10年になる。かれは高校サッカー界のスターの1人だったが、いくつかのJリーグ・チームからの誘いを断り、サッカーと同じくらい好きだったファッションの世界に飛び込んだ。nescoさんが手掛ける「モーテル」というブランドで、プレスや生産関連の業務を経験した後、20代前半の若さでメインデザイナーに就任。その後、「ベッドフォード」を立ち上げるまでその立場にい続けたから、ファッションデザイナーとしても同世代のトップを走っていた逸材だった。

だから「デザインはすべて慎平に任せて、僕は経営と営業に全力を注ぎます」と報告を受けたとき、とてもがっかりしたのを覚えている。最初のシーズンは、ボタンだらけのロングシャツを展示会で注文したけれど、全体的には正直あまりピンとこなかったから、余計にその思いを強くした。でも、シーズンを重ねるごとに圭輔が言っていたことを理解できるようになった。慎平は間違いなく圭輔が惚れこむだけの才能を持っていた。そして、20代中盤という自分のことしか考えられない年齢で、こういう決断に踏み切れたことに、尊敬の念を抱くようになった。

ブランドを立ち上げれば当たる時代はとうに過ぎていたから、最初の2、3年はとても苦労していた。かれらは原田泰造なみに曲がったことが大嫌いだった。見当違いなことを言うバイヤーには、たとえそれが大手の百貨店やセレクトショップでも、容赦なく出入り禁止にしていた。2人ともアルバイトで生活費を稼ぎながら、身を削るように洋服を作っていた。だから洋服がいい意味でギラギラしていて、かれらにアドバイスをするときはこっちも真剣だった。お世辞は必要なかったし、言ったらすぐに見抜かれてしまうと思っていた。「はやくこんなクソみたいな生活から抜け出したいっすよ」とか減らず口をたたきながらも、とても楽しそうだった。やりたいことをやれて羨ましいな、と思っていた。じぶんはというと、かれらより一回り年上なのに、本当にやりたいことに踏み出せないでいた。すごく眩しかったし、なんで俺がアドバイスをしているんだろ? と自己嫌悪に陥ったりしていた。

kaijiro_20161029_03.jpg

前置きが長くなったが、ここからはショーの感想である。ショーの準備の段階で口を挟むか迷ったが、やはり心配は杞憂に終わった。洋服じたいのクリエーション、演出、音楽、モデル選びすべてが、とても初めてのショーとは思えないほど完成度の高いものだった。慎平ならではの"リラックス感のなかにそこはかとなく薫る色気"は、ショーの舞台でも光り輝いて見えた。パリで旋風を巻き起こしている「ヴェトモン(VETEMENTS )」のクリエーションに影響を受けるブランドが多いなか、「今の世界のトレンドのカッコ悪いニュアンスは一切やらず、じぶんが信じるカッコいいだけを形にした」というのも頼もしい。

無謀な勝負を挑んだジャケットについては、やはり初めてのショーということだけあって、少し力みすぎているように感じた。ここ数シーズン、アシンメトリーなものをいくつか発表しているが、ひとつの服のなかにデザイン要素を詰め込みすぎている気がした。そして、芯地と肩パッドを使わずにシャツのようにジャケットを作ったというが、肩回りの表情はベーシックなテイラード・ジャケットのそれで、バトルを挑みきれていない。パンチを繰り出したのが胸から下と背中に留まっているなら、本質を崩せたとは言えないだろう。個人的には、パリっとした質感のギャバジンコットンの立ち襟のセットアップ(ジャケットの右側が少しだけ長い)と、鋭角なハサミでスパッと切り裂いたようなるロングジャケット(ブルーの裏地が美しい)が、いつもの程よいバランスでまとまっている気がした。

masudakaijirou-3-4-20161021_002.jpgmasudakaijirou-3-4-20161021_003.jpg「.......リサーチ」の小林節正さんは、私にとって憧れのデザイナーの1人である。ファッションブランド「ジェネラルリサーチ(GENERAL RESEARCH)」を立ち上げたのは1994年のこと。以来22年にわたってブランドをある程度の規模で維持し続けている奇跡のファッションデザイナーである。ここ数年は何度か展示会にお邪魔しているけれど、緊張して一度も話しかけることができなかった。でも、この日はどうしても尋ねたいことがあった。「ベッドフォード」のショーと同じ日の昼間に、ちょうど展示会中だった中目黒のプレスルームにお邪魔して慎平のことを聞いてみた。慎平の作風と小林さんのそれがリンクしないことを以前から不思議に思っていたからだ。「慎平のことを聞きたいのですが......」とボソボソと訪ねると、小林さんは「変なやつが来たなー」と言った表情でニヤッと笑い、当時を振り返ってくれた。

masudakaijirou-3-4-20161021_001.jpg

「慎平はじぶんの服を違う着方で着てくれていた。独特の個性をその頃から持っていたと思う。独立の話を耳にしたとき、パートナーが金銭面の管理をしれくれると聞いて、悪い話じゃないと思った。あいつにはお金の管理は無理だと思っていたからね。慎平の作る服はあえて見ないようにしているけれど、どういうものがどういうクオリティで推移しているのかは分かっているつもり。慎平には、よくやりましたね、頑張ったね、ショーまでよく辿り着きましたね、って言いたい。今は通過点で、これから慎平を面白がってくれる人が出てきて、色々な場所に引き上げてくれることが増えてくると思う。人柄と笑顔を忘れずに目標とするところまで頑張ってほしいな」

小林さんは慎平の展示会には一度も足を運んでないし、初めてのショーもお客さんとのアポイントがあって見ることはできなかった。けれど、遠くから優しい目で慎平のことを見守っていた。

一方のnescoさんは、会場で圭輔の晴れの舞台を見守っていた。圭輔がモーテルを辞めてからほどなくして、nescoさんは「モーテル」の活動を休止し、今のじぶんを体現するブランド「ポエトリー オブ バーズ(Poetry of Birds)」を立ち上げた。nescoさんは当時をこう振り返る。「あの頃はグラフィックデザインの仕事が増えていたし、作り込んだモノ作りをお店側が望んでいなかったりして、じぶんにとっても分岐点だった。そんな時に圭輔が独立すると言い出したから、モーテルはスパッと止めることにした」。「モーテル」はそこそこ売れていたブランドだから、経営者的には食い止めるのが普通だろう。それでもnescoさんは快く圭輔を送り出した。

2人の大人は出る杭を打たずに、空に向けて投げ放った。そして2人の若者は壁をひとつひとつ越えながら立派に成長し、東京の最高峰の舞台で眩いばかりの輝きを放った。2人の大人からはずいぶん低い位置にいる3人目の大人である私は、子供の運動会を見るように感慨深く2人の晴れの舞台を堪能した。ちょっと褒めすぎた。おじさんは泣きそうだったけれど、2人にとって今日は通過点に過ぎない。今はまだ富士山の7合目に辿り着いたばかりで、エベレストの頂点ははるか彼方にある。8000m級に挑戦する自力はあると思う。その挑戦の過程を、2人の素敵な大人とともにこれからも見守っていきたい。

masudakaijirou-3-4-20161021_004.jpg>>BED J.W. FORD 2017年春夏コレクション

【増田海治郎 "メタボセクシャル"の衣食日記】
"メタボセクシャル"の衣食日記(4-1)―日本とトルコのストリート対決
"メタボセクシャル"の衣食日記(4-2)―さとうかよさんのこと

増田海治郎