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【動画】スケートとファッション界の架け橋"ディラン・リーダー"の偉業

【動画】スケートとファッション界の架け橋

やりたいことをやり、好きなようにスケートをし、着たいものを着ることで、スケートボーディングとファッションの世界を繋いだ偉大なるスケーター、ディラン・リーダーが他界して早一ヶ月。彼の偉業を振り返ろう。

プロスケーターでもありモデルでもあったディラン・リーダー(Dylan Rieder)が28歳の若さで他界してから早一ヶ月が経った。先月、この報道がなされるやいなや、Instagramには彼へのトリビュート投稿が溢れた。「お前はいつもお前でしかいられなくて、だからこそいつでも俺はお前のことが好きだった。愛を込めて」とプロスケーター仲間のアレックス・オルソン(Alex Olson)は書いている。「私が出会ったひとのなかで最も優しく、最も落ち着いていて、最も素晴らしい人間のひとりだった」と投稿しているのはディランとのモデル共演の経験を持つカーラ・デルヴィーニュだ。あのオジー・オズボーンまでもが「最も才能に溢れ、最も勇敢な男のひとり。君と知り合えた自分は恵まれていたと強く感じる」と哀悼の言葉を贈った。

白血病を発症したのが2年前のこと。ディランの死で、スケートボーディングの世界は決定的に大きなものを失った。ディランが地球上最も優れたスケーターだったからというだけではない。またスケートに乗ったディランが浮世離れして美しかったからというだけでもない。ディランは特にファッションとスケートボーディングというふたつの異質な世界の架け橋になった稀有な存在だったのだ。スケーターとしての彼に、その特質はユニークな存在感を与えていた。もともとファッションとスケートボーディングの世界には大きな隔たりがあった。そこに登場したディランは、スケートボーディングの世界における反逆児だった。ディランは何食わぬ顔でファッションを受け入れ、ファッションに興味を持つ他のスケーターたちのための道を切り開いて、カルチャーの他分野からもインスピレーションを得るよう背中を押した存在となった。

2010年に制作され、伝説的ドキュメントとなったGravisビデオの映像だけをとっても、ディランは間違いなく新たな世代のスケーターたちを力強くインスパイアしたはずだ。スリム・パンツにクタクタのシャツを合わせたディランには圧倒的なオーラがあるではないか。

SupremeやHUFをスポンサーとして活躍したディランだったが、服装に関しては度々議論を生んだ。最も有名なのは、発売と同時に議論の的となった2010年発売のGravisスリッポン・ローファーだった。「発売と同時にああだこうだ言われるだろうけど」とディランはViceの『Epicly Later'd』で語っている。「もちろんスケート向きとは俺も言わないけど、最高にかっこいいと思う」

ローファーはスケートに適したシューズとはいえない。エレガントではある。アートの展覧会などに出かけるには最適だろう。しかし、スケートのコミュニティであのローファーを堂々と履くには、それなりの度胸が要ったはずだ。しかし、ディランと共にSupremeのスケーターとして活動したジェイソン・ディル(Jason Dill)は、そんなディランが魅力的だったのだという。「なにしろオリジナルだっただろ?」とディルは話す。「スリム・パンツをロールアップして、シャツのボタンを上までとめて、ネックレスなんかしてさ。オリジナルで、かっこいいにもほどがある!」

スケート映像の分野でその名を知らない者はいないビル・ストローベック(Bill Strobeck)も、ディルに賛同している。「ディランの着こなしを見ると、初めてディルに会ったときのことを思い出す。彼は初対面で『このシューズいいだろ?このパンツも、まだ誰もこんなの履いてない』って言ってね。スケートがファッションと繋がり始めていた。それはディランの影響だったんだと思う」

ファッションへの興味がディランをモデルの道へと導き、早々に起用された2014年のDKNY広告キャンペーンではカーラ・デルヴィーニュとの共演を果たした。ディランにとって、ファッションとスケートの世界は大きく隔たりのある世界ではなかったようだが、だからこそ彼はHUFとのコラボレーションでシューズを開発した際、コマーシャルを監督するなどして、いとも簡単にファッションとスケートの境界線を曖昧にすることに成功したのだ。ベルリンで撮影されたこのコマーシャルはクラシックなモノクロ映像で、スツールに腰掛けた裸の女性を後ろに物憂げな表情で床に座ったディランを捉えたドリーミーな映像と、彼の10/10スケーティングのセクシーなスローモーション映像が交互に流れるという内容。そう、彼はこのコマーシャルでスケーティングもモデリングも披露している。当然ながら、この映像は話題となった。YouTubeユーザーのひとりは、コメント欄で激化の様相を呈していた議論のなかで、こう言い放って皆を黙らせた。「これを嫌いと言うやつは、独自の価値観や美意識なんて持ってないやつら。社会に押し付けられた価値観を疑ってみたこともない、オリジナル性の欠片もないやつらだね。発想を変えてみて、自分の趣味を見つけろよ。くだらねえ」

誰が何と言おうと、ディランは自身のスタイルに関して、ひとの意見などまったく気にしなかった。彼はやりたいことをやり、やりたいようにスケートをやり、従来のスケーター・スタイルはそれそのものとして認めつつも、彼自身は着たいものを着たいように着た。ディランは、最後までディランであり続けた。

彼がスケート・ファッションに与えたインパクトは絶大だった。2010年のGravisビデオが公開されるやいなや、スケートパークにはVネックのTシャツにロールアップしたスリム・パンツを合わせたスケーターたちが数多く見られるようになった。なかには、リブタンクトップ姿でディランの得意技のトリックを一日中練習するなど、何から何までディランを真似る者もいた。しかし、ディランのスタイルはすぐに他のトレンドに取って代わられ、90年代のマイク・キャロルさながらのバギージーンズのスタイルが王道となった。そんな大きなトレンドが押し寄せても、ディランはやはりディランであり続けた。キャットウォークからそのまま飛び出してきたような風貌で、口にはタバコをくわえ、クールを体現していた。彼はディルの言葉を借りれば、どこまでいっても「オリジナルで、かっこいいにもほどがある」、そんな星のもとに生まれた存在だったのだ。

そのオリジナリティが目もくらむほどの輝きを放ったのは「世界初のスケートボーディング大会」とうたって開催されたStreet Leagueでのことだった。Monster Energyのロゴが配されたキャップをかぶったスケーターたちと、スポンサー企業が作った映像が次々に流れるスクリーンに囲まれたディランだったが、本人の意図とは関係なく、とにかく際立った存在感を放っていた。彼はプレーンな白Tにダークなカラーのスリム・ジーンズを履いていた。彼はロゴの入ったものをひとつとして身につけていなかった。スポンサー企業のロゴでさえもだ。また他のあるイベントでも彼は、まるでスケートが一大ビジネスとなっている現状を「バカバカしい」と嘲笑うかのようにニヒルな笑みを浮かべ、カメラに向かって中指を立てるなどして悪評を買った。

2016年は、スケーターたちがそれを好むと好まざるとにかかわらず、ファッションがスケート、そしてスケートがファッションに、大きな影響を見せた年となった。『Vogue』が誌面に「スケート・ウィーク」特集を企画し、これに対してスケーターたちがネット上のフォーラムで「文化盗用だ」「ふざけんな」とコメントを残すなど、一大議論にまで発展した。スケーターの多くはファッションがスケート文化を吸収しにかかっていると考え、「スケートもしないやつはThrasher Tシャツを着ちゃいけない」と反発した。しかし、よくよく考えてみれば、ファッションとスケートの世界は、これまでもずっとその関係において二進一退を繰り返してきた。スケートはファッションから影響を受け、ファッションはスケートから影響を受けてきたのだ。プロスケーターのエリック・コストン(Eric Koston)も、i-Dとのインタビューの中でこう語っている。「スケーターたちがそれを認めると認めざるとにかかわらず、スケーターたちは、いわば"歩くルックブック"のようなものだからね......スケート・シーンもファッションに助けられている局面があるわけだし。俺には、そこになんの問題もないように思える」

ディラン・リーダーはそれをまさに体現した存在だった。彼はスケートとファッションという、性格の異なるふたつの世界の架け橋になったのだ。そして、彼にはどこかパンクの精神を感じさせるものがあった。「スケーティングのあるべき姿」という既成概念に決して屈することのないパンク・スピリットが。ディランは、その命が続いていれば、きっとこの先もスケート・カルチャーのあり方に疑問を投げかけるようなことをやり続けただろう。そして私たちはディランのあり方に感嘆の声を上げていたに違いない。R.I.P. ディラン・リーダー。

Credits
Text Oliver Lunn
Still via YouTube
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.