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デムナ・ヴァザリアが語る"最も刺激的だった挑戦"

デムナ・ヴァザリアが語る

1981年以来、キッズが望むものを世に送り出してきたデムナ・ヴァザリア。彼がBALENCIAGAの世界に新たな光をもたらす。

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冬のある夜、パリの教会でデムナ・ヴァザリアはお気に入りのお香を焚いていた。「これはVetementsの儀式?」とそこに居あわせた者が囁いた。そう、デムナはVetementsのショーが始まる前に必ずこの儀式を行っていた。ファッション業界で救世主のごとく崇められる立場となった彼だが、教会でお香を焚くなど普通しない。しかし、今シーズンにいたっては、彼のなかに眠っていた正統派のキリスト教ルーツが目を覚ましたようだ。2016年秋冬のVetementsショーのクロージングを飾ったのは、ニューヨークの美術家、エリザ・ダグラス(Eliza Douglas)だった。とんでもなくカジュアルなシルエット̶̶----90年代のアノラックを被せたタートルネックに床すれすれまで垂れ下がったゴシックなスカート、足もとはDr.Martensという出で立ち̶̶----で登場した彼女は、蘇った神のような崇高さを残し、ランウェイを歩いたその足で会場の教会を出て行った。デムナにとって初となるBALENCIAGAのショーはその4日後に行われた。パッド素材の真っ白な壁をバックにオープニングを飾ったのは、身体の形を再構築したスカートスーツをまとったエリザだった。多文化が混在するパリ10区に位置するVetementsのスタジオから、ブルジョアな雰囲気漂う6区にあるシックなBALENCIAGAのオフィスを往復し転生を繰り返していたデムナだったが、エリザもまたこの4日間で境界線を超え、生まれ変わりを果たしていた。「多重人格になってしまうのを恐れているような、そんな感覚。ジキルとハイド症候群だね」とデムナは話す。そんな症状を訴える人々は、教会や療養所に惹かれるものだ。「グランジーなエホバの証人風の女性を凛としたパワフルな女性に変身させたかったんだ」と彼は、BALENCIAGAショーのバックステージで語ってくれた。

2014年に自身のブランドVetementsを立ち上げるまでは、Maison Martin MargielaやLouis Vuittonのデザインチーム内で静かに製作していたデムナ。一躍注目デザイナーとして認められるようになった昨年10月のBALENCIAGAアーティスティック・ディレクター就任から、彼は同ブランドのアーカイブにくまなく目を通し、研究に研究を重ねていた。2012-2015年にアレキサンダー・ワンが築いた淑女的モダニズム、1997-2012年にニコラ・ゲスキエールのもとで打ち出された建築的フューチャリズム、1992-1997年にジョセフ・ティミスターが見せた徹底的なミニマリズム、1987-1992年にミシェル・ゴマが作り出した優美なピュリズム̶̶----そして、1917年にBALENCIAGAを立ち上げた創始者クリストバル・バレンシアガ。彼が亡くなる4年前、1968年にアトリエを閉めるまでに築き上げたBALENCIAGAへとデムナは辿り着いた。「クリストバル氏がどのような姿勢で" 女性"と向き合ってきたか、どの角度から見ても美しい服をいかにして構築していくのか̶̶----その感覚を知りたかったんだ。アーカイブを訪れてすぐにそのエレメントを理解したよ。それから1度もそこには戻ってない。未来を感じるために過去を知るのは大切だけど、車の運転と同じで、バックミラーを見ながら運転するわけにはいかない。前を見なきゃ」。今年7月、Vetementsのショールームで、コーヒーカップを片手に持ったデムナは、ひっきりなしに煙草を吸いながら、これまでで最も刺激的だった挑戦がBALENCIAGAでのデビューコレクションで顕著に見られたテーラリングだったと話す。人体の方程式を解いて生み出されたような変形スーツに描かれた曲線は、まるでパズルのピースがはまるような完璧なラインを生んだ。それは暇を持て余した高齢者が自らの正気をおびやかす退屈と静寂から逃れようと熱中するパズルを思わせた。

「テーラードジャケットを解体してみると̶̶----スーツの内側がどうなってるのかなんて誰も知らないと思うけど̶̶----そこには実に色んな細工が施されてるんだ。なんでこれがここに?と思うと、それは肩の部分を丸くするためだったりする。テーラリングは、服を作り上げるうえで最も複雑なプロセス。単にドレープを効かせたり、レッドカーペット用のドレスを作ることより、ずっと大変なんだ」。5月、ロンドンを訪れていた、VetementsのCEOで、デムナの弟でもあるグラム・ヴァザリア(Guram Gvasalia)は、デムナが幼少の頃から非凡な子どもであったと教えてくれた。「デムナは、毎年すべての教科で最高の成績をとっていました。数学ですらも。そんな兄が不思議でなりませんでしたね」と彼は微笑んだ。アントワープ王立芸術学院でも、デムナは優秀な生徒だったという。「アントワープでも首席だったんですよ」。平凡からはかけ離れた幼少期を経験したヴァザリア兄弟だったが、成功することは運命によって決まっていたようだ。2014年のVetements立ち上げからわずか2年で築き上げたブランドの成功は、デムナをBALENCIAGAアーティスティック・ディレクター就任にまで押し上げた。「兄は紙で作った人形と、紙で作った服で着せ替えをしたりしていました」とグラムは、子ども時代のデムナを回想しながら話す。「そのうちふたりで、いとこや友達を誘ってライブを企画するようになって。デムナはアーティストたちに服を着せ、僕はそのライブのチケットをさばいてました」

本当に運命だったのだろうか?「僕はとてもスピリチュアルな人間だよ」とデムナはいう。1981年、彼はジョージアが統治するアブハジア自治共和国に生まれた。そこで起こった内戦により、ヴァザリア一家は1993年、アブハジアを後にした。大衆を麻痺させてしまう政治体制のもとで育った̶̶----そのことがデムナという人間を形成するのに深く関わっている。「正気じゃなかった。目の前で人が射殺されるのを何度も見た。戦争だったから毎晩、爆撃が始まると地下室に避難しなきゃいけなかったんだ」と彼は話す。デムナが子どもだった頃、ヨーロッパの東側諸国と西側諸国のあいだには「鉄のカーテン」が引かれ、アブハジアでは強力な検閲体制が敷かれていた。1945年から続いていた冷戦が終結を迎えた1989年、デムナの目の前に西側のカラフルな文化がなだれ込んできた。「突如、町にバナナが並ぶようになった。コカ・コーラが入ってきて、音楽が流れはじめた。文化的な意味で大きなショックだったよ。それまで何も知らなかったんだから。最初に買ったファッション誌は、ドイツ版かイタリア版の『Vogue 』だった。1990年だったかな。Valentinoの真っ赤なドレスが載っていてね。息を飲んで見入るばかりだったよ」。社会主義による検閲が、デムナの感性をクリエイティビティへと、スピリチュアリティへと、そして体を通しての表現へと高めたのだ。「思春期は人の性格形成に影響する。そしてそれは何年も後になって反映されてくる。それは意識の奥底にあって、それを通して僕たちは物を見て、理解するんだ」。性表現に厳格な規制が引かれていたソ連で思春期を過ごしたデムナのユニークな性の感覚は、BALENCIAGAの赤裸々なセクシーさに独特な"ねじれ"を加えた。「これまで僕は、セクシュアリティについてずっと考えてきた。さまざまな段階を経て、色んな角度から見てきた。だから、僕の作品にそれがにじみ出ているのは当然のことかもしれない」と彼は語る。フォーマルなコートからはみ出る繊細なペチコートが印象的だった彼の2017年春夏メンズコレクション。ボーイフレンドにランウェイを歩かせたデムナにとって、"セクシー"とは行儀のよい上品さに包まれた、ひたすら本能のまま性に走る獣であるようだ。BALENCIAGAのウィメンズコレクションでは、その獣がまずネックラインから覗き、胸の谷間が見えようかというところまでジッパーを下ろし、ガリガリの肩を大胆に見せた。清教徒の香り漂うフローラルプリントのカントリードレスの下に、太腿まで丈があるセクシーなブーツやポルノ女優ばりのプラットフォームブーツを合わせたりと、ショーにはセクシーさがにじみ出ていた。現代は、ソーシャルメディアによって真価が問われる時代だ。YeezyやOff-Whiteなどを愛好する若者たちが、InstagramなどでVetementsや、デムナと同じく東欧出身のGosha Rubchinskiyをカルト的な存在にまで押し上げた。そして、そんな現象が招いたデムナのBALENCIAGAアーティスティック・ディレクター就任という快進撃は、ハイファッションという体制に大きな揺さぶりをかけている。

いまファッション界に吹き荒れている変化の風について、業界はどう考えているのだろうか。この世界で20年の経験を持つデザイナー、リック・オウエンスはこう語る。「僕はいいと思うね。淫らな世界観をまたファッションに吹き込んでくれているんだから。かつてファッションが持っていた不道徳さが恋しいよ。僕は淫らなものを全面的に支持する。以前、ファッション界にとってすごくエキサイティングなシーズンが訪れたことがあった。古いデザイナーたちが去って、革命が起こるような雰囲気がたしかに漂っていた。でも、革命は起こらなかった。そんなときにデムナが手がけたBALENCIAGAが現れたんだ。それを見て、どれだけ安堵したことか。"これこそ、待ち焦がれていた新しい風だ"って。すごく満足のいく世界観だったんだ」

Credits
Photography Suffo Moncloa
Styling Caroline Newell
Hair Cyndia Harvey at Streeters using L'Oreal Professionnel. Make-up Nami Yoshida at Bryant Artists using Synthetic de Chanel et le Lift V-Flash.
Photography assistance Alberto Moreno Omiste, Emilia Buccolo and Joseph Conway. Styling assistance Philip Smith. Hair assistance Cat Wyman.
Make-up assistance Tamayo Yamamoto. Production Emily Miles. Casting Director Angus Munro at AM Casting (Streeters NY). Model Lina Hoss at Next.
Lina wears all clothing Balenciaga.