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デザイナー川西遼平が日本・英国ではなく米国にこだわる理由

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現在ロンドンでもっとも輝いている若きデザイナー川西遼平。彼の服を通して、ファッションの未来を垣間見てほしい。

ファッション・デザイナーとして活躍しているひと、ファッション・デザイナーを志すひとに、こう訊いてみてほしい。「いつ、なぜファッション・デザイナーになろうと思ったの?」ほとんどのデザイナーは、子ども時代に得たひらめきや、ファッションに触発された経緯などを聞かせてくれるだろう。日本人デザイナー川西遼平も例外ではない。しかし、彼のなかで「ファッション・デザイナー」という言葉が持つ意味は、従来のそれとは違うようだ。川西はこれまで、ファッション以外のものに情熱を傾けてきた。アートやコンポジション、コンセプト、そしてジャンルを超えたコラボレーションが持つ力など、より本質主義的な世界を、彼は手探りで追求してきたのだ。「僕は、ファッションそのものよりもコンセプチュアル・アートにより強い興味を持っていたんです。アプローチも、そういったアート的考えをベースにしていました。複雑なポイントをシンプルに作り変えるのが好きでした」と、川西は当初目指した方向性について話す。「アートのものづくりが好きだったし、クリエイティブな模索が好きでした。でも日本にはアート・スクールが少ないので、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズに行こうと思い立ちました。CSMには、僕が目指すものがあると感じたんです。最初は不合格でしたが、2度目の申し込みで入学することができて、CSMではデザインのアイデアをファッションという文脈でコンセプチュアライズしながら、ヨーロッパ的考え方を新たなコンセプトで探る方法を学びました」

標準的な美的感覚からは少し外れた世界観に惹かれながらも、川西はメインストリームもしっかり意識していた。「ロンドンに暮らしているとき、あることに気づいたんです。人々が買ったりデザインしたりするものは"コンセプチュアルなもの"か、"職人工芸的なもの"のどちらか。ひとは両極端なものしか好まず、その中間はない」と川西は説明する。現在は活動の拠点をニューヨークへと移している。彼の世界観を知る者は誰もが多少なりとも驚いたはずだ。最新鋭であるということに重きを置くロンドンこそ、川西にぴったりな活動拠点ではないか、と。「ロンドンと違って、ニューヨークのストリート・カルチャーは誰にとってもとても身近なもので、生活に根付いているんです。もちろん、頭の先からつま先までブランドもので固めて、ラグジュアリー・ブランドが打ち出した世界観を地で行っているひともいますよ。でも、他の要素を取り入れて遊ぶという感覚がニューヨークにはある。ミックスして楽しむというのがロジカルな街なんですね。そこで『プレタポルテのラインを他のどこでもなくニューヨークでローンチする』というのが一番しっくりきたんです」。ニューヨークに特別なものを感じた彼は、ロンドンを後にし、UNIQLOの奨学金を得てパーソンズ美術大学のMFA Fashion Design and Societyプログラムに参加するべく、ニューヨークへと移った。

「CSMでは"カルチャー"として扱われていたファッションが、パーソンズでは"商品"として扱われています」と彼は付け加える。川西は、ニューヨークに長く根付いているストリートウェアとスポーツウェアの文化に惹かれ続けてきた。その歴史は、彼がパーソンズで模索したデザインやアプローチに大きく影響を与えたようだ。「スポーツウェア・ファッションのコンセプトを開拓したのはアメリカです。クレア・マッカーデルがその好例ですね」。ロンドンから日本ではなくアメリカへと渡った理由を彼はこう説明する。「日本には帰れないですね。ビジネスでコラボレーションをするには、あまりに保守的すぎるんです。日本人は、個人的な付き合い関係をベースに仕事をする傾向があって、自分のコミュニティに属しているひととばかり仕事をしたがる。ニューヨークの多様性に満ちたアーティスティック・コミュニティやクリエイティブ・コミュニティにいると、まったく予想もしなかったようなチャンスに巡り会える。想像もしなかったような発見とクリエイティビティがそこらじゅうに転がっているんです」

パーソンズのMFA卒業コレクションで、マルセル・デュシャンのコンセプト「レディメイド(既製品)」を用いて、なんの変哲も無い日用品を洋服に変えた川西。縫製工場Fashion Queenの創始者を父に持ち、同社のゼネラルマネージャーでもあるダニエル・ホァン(Daniel Huang)は、これを見て川西の才能に惚れ込んだ。そして、川西とともにレーベルLandlordを立ち上げた。川西は、ホァンが工場経由で持つミリタリーウェア製造のノウハウを活用して、新たなデザイン・プロセスを考案し、ウェアラブルを極めたストリートウェアを開発するようになった。一方のホァンは、Landlordの商品製造面を統括し、インフラ面へのさらなる投資を行なった。なんにしてもお金がかかる、と彼らは言う。「資本金なしにレーベルを立ち上げるというのは本当に難しいことです。長い目で見て、お金とコネクションが最終的にはモノを言うのだと思います。誰かの才能を借りたいと思っても、お金とコネクションがなければ才能を借りることもできない。排他的なコミュニティだと思うかもしれませんが、それが現実です。それを理解した上で、目の前にあることに尽力し続ける。『ここでコネ作りなんて、やりすぎだろうか』なんて考えちゃいけないんです」と、川西はLandlordをゼロから立ち上げた経験から話す。「ちょっとした挨拶でも、それが大きなことにつながるかもしれないんです」

アヴァンギャルドな世界観が特徴だった川西だが、2015年からは彼を取り巻く状況も彼自身も大きく変わった。パーソンズを卒業し、Landlordを立ち上げ、結婚をして、愛娘を授かった。アヴァンギャルドなウィメンズウェアからメンズの既製服へとフィールドを移した経緯について訊くと、川西の目が突如輝いた。「大切なもののためです」と川西は嬉しそうに言う。「娘のため、そして奥さんのため----お金を稼がなきゃ生活できないですからね」。そしてこう続ける。「"アーティスト"と言っていれば自由な立場ではいられますが、ただアヴァンギャルドでコンセプチュアルな作品を作っているようでは、それは自分勝手なことでしかなく、またそこには大きな資本が必要となります。会社を持つというのは大変なことですが、Landlordのクリエイティブ・ディレクターというポジションがオファーされたとき、僕はそれをやってみるべきだと感じたんです。僕が勉強してきた分野とは大きく違いますが、それでも『やる』と思いました」。 世の中にはアートやファッションの名の下に、さもそれが最も大切なことであるかのように不遜に振る舞うデザイナーも多い。しかし、川西のひたむきな答えに反論できる者などいないだろう。彼にとって、「ビジネス」という言葉は行動の自動修正機能のような役割を果たしているのかもしれない。エゴに浮かれすぎる前に、彼を正す機能として。

1granary.com


Credits
Text Zoey Chu
Photography James Robjant
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.