Mugita Shunichi

モードノオト第二夜

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

フォローする:

 

お愉しみにうつつを抜かすと、つい隙だらけになってしまうものだとわかっていたから、ほどほどに注いだアブサンを二杯がとこ呑んで、後ろ髪を引かれる思いで今夜はこっそりと酒場を抜け出した。アルコールの海にドップリ浸った昨夜は、結句「東京ニューエイジ(TOKYO NEWAGE)」への少し辛辣だが、私なりのエールを記しただけでノオトは中絶している。初手からなんと云う為体(ていたらく)だろうか。昨日は、清々(すがすが)しいほどのカタルシスを得られた「ファセッタズム(FACETASM)」に言及したかったのだ。

十日ほど前、私はパリで落合宏理と邂逅している。「アンリアレイジ(ANREALAGE)」の展示会に伺ったところ、「ファセッタズム」も同じショールームに参加していたのだ。「どう、調子のほどは?」と落合に水を向けると、「いまは服を見ないで下さい」と釘を刺された。「見ないで」と言われれば「見たくなる」のが、この場合の定石で、あまつさえ、出歯亀的なっ狡(こす)っ辛い質(たち)の私である。しかしそこは、新鮮な気持で東京でのショーを見てもらいたい、と云う落合の心情を汲んで、グッと我慢。初めてウィメンズの作品に絞った、彼の初めての試みに大いに期待することにしたのだ。

「東京ストリート」だの「クロスジェンダー」と云った、これまでかのブランドに冠されてきた俗耳に入りやすい惹句にはどうも肯定出来かねる思いがあった。無粋に枠に収めてしまうのではなく、彼の駄々っ子的な資質に私は眼を向けてきた。少しく褒め過ぎだが、あたかも天衣無縫に振る舞う如く、と云ったところだろうか。つねに通底する<疾走感>の主題と、巧(うま)く崩した不均衡なプロットがバランスをとりあい、対極にある要素との対話を通して内なるシミュレーションの手法を断続的に試行してきた彼の一途さに惹かれていた。さしずめ、ひとつのショーで男の服と女の服を同時に見せるアプローチは必然の帰結だった。演出を含め、均一のテンションをかけ、男女の服の二項対立に鋭い論法で臨んだ前回のショーが彼なりの回答だったと思う。現時点ではと云う註釈は入るが、それは及第点をクリアしていた。奇貨を得てメンズ単独の作品は、既にミラノで発表している。

facetasm-20151012_004.jpg

前置きが長くなったが、今回のウィメンズの作品に触れておこう。冒頭、清々しいほどの、と形容したが、まさにペールブルーに染められた生地が印象深い。ユースカルチャーから一歩離れたエレガンスに波長が合う色使いで、やけに新鮮に映った。ただ、シックな大人の服と呼ぶには、ちと荷が勝ち過ぎるし、勿論、彼もそこを狙ったわけではない。ワークウエアやミリタリー、スポーツウエア、レスキューカラーや重ね着、オーバーサイズのグレーディングなど、彼のイディオムをちりばめながら、コレクションは周囲の予想を覆す静寂な雰囲気を湛えている。狭い廊下を、客席を蹴散らすようにモデルが疾走するかと会場設営で思わせておいて、実際には、モデルの歩調は周囲が歯痒くなるほどゆっくりとしている。彷徨(さまよ)うようなウォーキング以上に痛快だったのは、床に敷き詰めた透明のビニールシートをそのままにしてショーを敢行したアイデアだった。私の隣に座っていたご婦人は、「まだこのシート剥がさないのかしら。なんなら私が手伝ってもいいのよ」なぞ、ショー開始直前まで、ハラハラしどうしだった。「これ、絶対にこのママですぜ」と、妙な確信を密かに私は懐っていたが、この騙しの手法をその場で察知したひとは、少なくても彼の天の邪鬼的な性質を見抜いているのだ。「間際まで迷ったんですが、常識に少し逆らってみてもいいかなぁ、と思って(シートを)そのままにしました」と云うのが彼から訊いた後日談である。服を切り裂くだけでなく、小さな端切れを、嵌め絵の断片を継ぎ合わせるように結び連ねて造形した服は、一見未完成な服にも映るが、創作のプロセスをデザインに変換する試みにも見える。それはホームグラウンドを離れてまさに飛躍せんとするブランドの成長の過程を、期せずして具現しているかのようだ。また、風のない日の狼煙のように、一筋ゆらりと立っている、そんな印象でもある。

>>FACETASM 2016年春夏コレクション

【短期連載】モードノオト第一夜

麥田俊一

最新の関連記事

Realtime

現在の人気記事

    Ranking Top 10

    アクセスランキング