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コシノミチコ×ストリート青木正一対談<前編> なぜコシノミチコはロンドンで成功したのか?

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原宿ストリートのリアルファッションを収めた写真雑誌

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Talk with Ms. MICHIKO KOSHINO by Shoichi Aoki (chief editor)

A (Aoki) :正面同士で座ると、僕が面接受けてるみたいなので。(笑)
M(Michiko) : 面接といえば、昔、文化学園やモード学園のトップの子が面接にきても、当時のマネージャーが「みんなプライド持ってきてるけど、運の良いやつしか採らへん」って、採用はアミダクジやねん。(笑)
A:ホントですか?(笑)
M:そうやって採用されても、毎日サラミ切りやねん。いつも夕方に大手の繊維メーカーの部長とかがやってくるので、そういう人たちにウイスキーとサラミを出す係り。(笑)その間、軍隊みたいに後ろでピシッと立って。それからご飯を食べにいくんだけど、それが終わる朝の4時ごろまでオフィスで待機してるわけ。その頃大きなイベントがあったので、夕方から明け方までクラブを回ってポスターを貼ってもらったり、フライヤーを置いてもらったり。そんなことばっかりで。だいたい夕方の4時ごろから朝の4時ごろまでが忙しくて。
A:何年前ですか?
M:ミチコロンドンがスタートして今年で30年ですから、1986年にロンドンでファーストコレクションを発表して、その翌年に日本でストリートジャンクションっていう大きなイベントを東京の国技館と大阪城ホールやったの。そのプロモーションでポスターとフライヤーを持って、クラブを回るわけ。
A:いきなりすごいイベントをやったんですね。STREETも30年なんですよ。
M:えー。それはなんか縁ですよね!

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STREETに掲載されたスナップ写真

A:昔のSTREETを一冊持ってきました。1990年のロンドンコレクション会場でのスナップなんですが、強く印象が残ってるのが、ミチコロンドンの赤のボマージャケットに白のジーンズの二人組の写真。二人はスタッフの方ですか?
M:そうそう。DJをやってて。当時のスタッフは皆なこの格好だったんですよ。「仲間意識」がストリートだと思っていて。パンクとモヒカンが街で合ったら大喧嘩、みたいな時代だったから。(笑)
こういう仲間を集めたの。
A:ミチコロンドンのスタッフは、近寄りがたい雰囲気でしたよ。カッコ良すぎて。
M:それにスキンヘッドでしょ。その子たちは有名なDJだったの。Neal Street のミチコロンドンのお店のショーウィンドウにDJブースがあって、昼間はそこでDJをやって。夜はクラブでDJ。スタッフになりたい子がやってくると、良いよって地下に連れて行って、バリカンで坊主にするの。
A:軍隊みたいですね。(笑)
M:そうそう。本当に軍隊にいる人が働きたいって入ってきたり。
A:そういえばNeal Streetにお店がありましたね。思い出しました。
M:あのときのNeal Streetはスゴかったの。ロンドンで一番クールなストリートで。
A:そうですよね。しばらくして変わりましたよね。
M:そう。あのエリアを全部持っている人がいて、その人が「賃料を三倍にします」って言ったら「え? 出るしかない!」って。みんな出て行って。
A:フロイドっていうパブがありましたよね。オシャレな人たちがそこで集まってから、深夜にクラブに出かける。
M:そこに行かないと、コミュニケーションができないから。SNSとかないから。1日行かないと、何がどうなってるか訳がわからなくなるの。(笑)毎日クラブに行って、朝4時とかに帰ってくる。最後に行くのがWAG Clubだった。あるとき、パスポート持参、っていうイベントがあって、何かなと思ったら、3時に終わったらバスが待っていて、それに乗って48時間のクラブツアー。終着のアムステルダムまで。(笑)
A:最近のロンドンのクラブはどうなんですか?
M:金曜日は誰々がオーガナイザー、ってあったでしょ。そういう人がみんないなくなったの。どうしたんだろうって思ってたら、そういう人たちが皆んなイビザに行ってた。
A:そうか!
M:ロンドンのその流れがイビザに行ってたの。2010年から3年間、イビザのビーチでショーやったんですよ。そのときに偶然再会して、びっくり。だからロンドンは空になっちゃった。
A:ロンドンのクラブカルチャーはあの期間限定の出来事だったんですね。体験できて良かった。
M:ほんと、30年っていう気がしますよね。(笑)

A:ロンドンに最初に行ったときのことを聞かせてもらえますか?
M:ロンドンに行けることになって、ヒロコお姉ちゃんが一緒に行ってあげるって、付いてきてくれたんですけど、チェックインのときにカバンを盗まれて、一人で行かなきゃならなくなったんです。結局、一人で行く決心をしていたから、一緒じゃなくて良かったんですけど。飛行機に乗ってから、フランクフルトからロンドンのチケットがその盗まれたカバンの中にあることを思い出して。フランクフルトに着いてチケットを見せても、何を言われてるかぜんぜん英語がわからないし。どうしよう?って。
A:英語がわからないで行ったんですか?
M:どうしようって思ってたら、日本のパスポートを持った人が通ったので、捕まえて。何か言われるんですけど、わからないんですって。すごく運の良いことに、その人はスチュワーデスさんだったの。結局乗れることなって。その人に何しにロンドンに行くのって聞かれて、私行ったらもう帰れないんですよ、って。そしたら、イミグレーションでそんなこと言ったら絶対にダメって教えてもらって。(笑) 一緒にイミグレーションを通ってくれて、リターンチケットもあったので、結局六ヶ月のビザをもらえて。もし変なことを言ってたら、一週間で帰らされてたって。(笑)
A:全く単身で行ったんですね。
M:そうそう。あの二人と関係ない環境になれたので。日本にいたら、ジュンコさんの妹さんが私の名前で、ミチコですって言っても誰も覚えてくれない。

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デザイナーミチコ コシノ


A:その頃日本では活動されてたんですか?
M:そのときは、お母ちゃんのお手伝い。ロンドンに行っても、服のことをするか、何をするかは決めてなくて。フレキシブルに生活しようって。それが贅沢って自分で思ってて。それで、いよいよ明日からお金がないぞっていうとこまできたときに、自分がそれまでにいた環境のすごさに気付いて、やっぱり服屋やって思って。ずっと手伝いをしていたので、学校にも行ってないんですけど。沢山いた見習いの人たちが、三ヶ月でジャケットを縫えるようになるのを見てるから、やろうと思えばなんでもできるって思ってたので。ファッションの会社に行って、デザインもできます、パターンもできます、縫いもできますって、ウソばっかり言って。(笑)言ったらやらなきゃいけないからっていうのもあって。そうしたら本当に仕事をくれたんですよ。
A:ロンドンに着いてどれくらいのときなんですか?
M :一年後くらい。お金が尽きて。そこで500ポンドもらって。そしてその500ポンドもなくなって、明日食べるものをどうしようかなっていうときに、一週間前に知り合ったばかりの日本人のデザイナーの方に、食事を作るのでいらっしゃいって誘ってもらって。ヤッタって。そうしたら、そこにデザイナーの人が沢山来ていて、ちょうどその中に、会社を辞めたいんだけど、誰かを紹介しないと辞められないっていう人がいたんです。それで紹介してもらって、面接に行くことになって。最初手ぶらで行ったら、なんでもいいから何か見せてって言われて。次の日にビデオを持っていくことになって。見せたら、なかなか良いねって言ってくれて。これはあなたのコレクションですか? って聞かれて、「No!」って。
A:えー!
M:みんなぶっ倒れて。ジュンコ姉ちゃんのショーのビデオを持って行ったの。でも一緒に働いていて同じテイストだから認めてくれって言って。ダメだったらクビにしていいからって。なんか面白い子が来たなっていう感じになって、明日からアトリエで働いていいよって。
アトリエに行ったら、小さなアトリエで、お母ちゃんのとこと同じレイアウトだったの。これはやれるって自身みたいなのが湧いてきて。嬉しくなってきて。
小さいときから仕事場でずっと遊んでいて、回りがシルクとか高級な生地ばっかりだったので、そういう生地が吐き気するほど嫌いだったの。だからそのアトリエでも、一番安い生地ありませんか?って。そしたら全部安い生地だって。(笑) 毎日その生地を3メーター家に持って帰って、染めて、アイロンをかけて、次の日にアトリエで服を作って。そうしたら、そこに勤めてたモデルの子が、オーナーにカワイイ服を作る子がいるよ、って言ってくれたんです。
A:自由に作れたんですね。
M:そこでやってたらええわ、って。
A :(笑) すごい環境。
M:そのモデルの子に着せてオーナーに見せたら、3週間で30体のコレクションを作れって。3週間じゃムリって言ったら、スタッフを付けるから作ってくださいって。そして出来上がって、展示会に出したら、バカ売れしたの。
A:すごい。
M:だからこの中で、私が一番すごいって言ったでしょって。周りは全員ロイヤルカレッジオブアート出身で。私はロイヤルカレッジがなにかも知らなくて。(笑)しばらくして、ヘッドハンティングされて次の所に移ったの。そしたら、その会社が計画倒産みたいになって、結局独立することになった。勤めだしてから1年半くらいで独立。
独立して一番最初に作ったのが、アーミーの毛布を売っているところがあって、100枚100ポンドなんです。それをミニに積むと車から体が外に出るの。(笑) 
それを使ってジャケットを作ったんです。当時ロンドンの冬は寒かったから、軽くて、雨がしのげて、暖かいのって。お母ちゃんが30枚買ってくれるって言ってくれて、日本に送ったら、2日で売れたって。梱包すると3枚くらいで箱が一杯になっちゃうんですよ。どうしたら小さくできるかな、って考えたの。そうや、タダの空気を入れたらいいんや!ってできたのがインフレータブル。すごい数が箱に入る。(笑)

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インフレータブルジャケット

A:そうなんですね。すごいエピソード。
M:インフレータブルは空気を沢山入れるとすごく暖かいので、これを着てクラブで並んで、カッコイイから中に入れてもらえて、中に入ると空気を抜いて。

>>後半に続く

MICHIKO LONDON:http://www.michikokoshino.co.jp
ストリート編集室:http://www.street-mg.com

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