Mugita Shunichi

モードノオト16.10.18

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

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何軒もの馴染みの酒場、雑多な会話、幾人かのひとが私の意識を出たり入ったりした。そもそも私の意識自体(いつものことながら)私から出たり入ったりしていた。灰色に塗られた舞台に上がっては降りの繰り返しで、まるで霧のなかを彷徨っているようなものだった。気がつけば、私は歩いていた。その夜、初めて独りになっていた。何軒目かの酒場から一緒だった男とも、何処かではぐれたらしかった。久方ぶりに走った自分を、ふと思い出していた。道すがら同行した毎日新聞の野村房代さんと一緒に、乗り換えの神田駅の地下通路を、そして鴬谷駅の改札を抜ける通路を、会場を目指して走ったのだった。この年で走るとは、正直思っていなかった。前を行く野村さんの可愛らしい小走りにつられ、気が付いたら自分も走っていた。気恥ずかしさから顔が笑っていた。それでも「KIDILL」のショーが見たかった。

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1970年代後半のパンクロックの台頭と相俟って漸次浸透した往時のユースカルチャーに、労働者階級の背景、男らしさと清潔さを重ね合わせた前回の流れを汲んでいるのだろうか。久方ぶりにモデルを歩かせた今回は、パンクやグランジの鼓動が響き合う服が暗闇を闊歩した。大音量のロックの生演奏を背景に、眼を射るような強烈な光線に浮き出されたのは、「反社会的」と云うよりは、寧ろ邪気のない子供の心にも通じる「無垢」な内面であった。聞こえは良いかもしれないが、作り手の狙いはそこにあるのだろう。赤い舌をダラリと垂らした猛獣の総柄、骸骨や楽園のモチーフ、ビート詩を図案化した柄...。虹のように綺麗な色彩が、あたかも玉虫の体内より放射されたスペクトルのように、揺らめく放射状の輪の如く拡散している。服の形、細部は任意に大きく拡大されている。平成のビートニク(昭和のヤンキーではない)を描出しようとする末安弘明の意図は明確である。

ナイフで切り刻み、安全ピンで繋ぎとめて価値を転換するパンクの様式は、敢えて不潔のままでいることや、ラスタファリアンの精神をも汲んでいる。然るに、今様の聖なる蛮族には、プンプン臭い立つ体臭が存外に薄い。さりとて、いまや形骸化したパンクやグランジを下敷きにしたストリートファッションを下敷きにするなぞ、所謂、下衆な根性に堕ちていないのがせめてもの救いだろう。手厳しいようだが、これも私流のエールに他ならない。

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ここで「東京らしさ」や「疾走感」なぞの手垢塗(まみ)れの死語を端より持ち出すつもりは微塵もない。そもそも、こうしたロックな服の土壌は、表面だけで成り立っている世界なのだから、その倒錯やデカダンスも一種の装飾、一種の模様でしかない、と云う割り切ったモノの考え方に拠るべきで、では、そこから何を生み出すか、何を以て末安らしさとするのかが、これからの主題であり、それは即ち、ブランドにとって次の段階と云うことになろう。もそっとグロテスクに結晶した渾沌を見てみたい気もするが、それは作り手の意図しない領域なのかも知れない。ときには本筋を離れて道草を食うのをも、敢えて辞さない。いや、この道草のように見える行為が、よしんば創作の表層に面白い模様を描き出すのであってみれば、作り手は必ずしも結論を出すことのみを目的とするのではなく、寧ろ好んで道草を食いながら、結論に至る道程そのものを楽しんでみるのも一考かと思うが、如何であろうか。そんな手法もあって良いと思うのだが。

>>KIDILL 2017年春夏コレクション

麥田俊一

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