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世界中のクィアな人々を守りたい、「voices4」の創設者が語る社会正義とは?

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〈Voices4〉の創設者が語る、うまく機能する組織を作る方法、〈ACT UP〉から受けたインスピレーション、そして「非暴力直接行動」について。

By André-Naquian Wheeler translated by Atsuko Nishiyama

Photography Matt Bernstein

 

アダム・イーライの話す言葉からは、人を魅了せずにはおかない、目の覚めるような情熱がにじみ出る。例えば彼の話を聞いているだけで、こんな気持ちになる----「よしわかった、ロシアのLGBTの若者たちへの連帯を示すためにストーンウォール・インからトランプ・タワーまで行進しよう、いや、絶対にしなければ!」 私たちのインタビューに応じてくれたとき、この若き活動家はチェチェン出身のポップスター、故ゼリムハン・バカエフ(Zelimkhan Bakaev)のための、徹夜の追悼と抗議行動を準備していた。ゼリムハンは2017年、チェチェンにおける同性愛者迫害の犠牲となってしまった。ゼリムハンは、彼がクィアであることを「不名誉」と考えた彼の親族に殺害されたとされている(訳注:一部の報道によると)。アダムは、チェチェンで起きていることに対して、もっとも声高に批判を続けてきたひとりだ。ニューヨーク市を拠点に世界規模でLGBTQIA+の権利獲得を目指して戦う団体〈Voices4〉を始めた人物でもある。「これはアメリカのLGBTの問題でもある」怒りに満ちた声で彼は話す。「ゲイの有名人が失踪して、政府が〈彼の親族による名誉殺人を容認する〉と話している。僕たち全員にとって衝撃的な事態です」

27歳のアダムは、社会正義のためのキャンペーンを成功に導く、現実的な運営能力に長けている。〈Voices4〉を創設する前には、〈Gays Against Guns〉のメンバーでもあった。この団体は、歯止めの効かないアメリカの銃器産業を撲滅させるべく働きかけ、暴力の被害にさらされがちなコミュニティを守ることを目的としている。アダムはそこで、ソーシャルメディア担当という自分の立ち位置をすぐに見出した。確かに彼にはソーシャルメディアを使って人々を刺激し、鼓舞する天性の才能がある。おかげでInstagramには1.5万人のフォロワーがいるほどだ。

過去数十年の間に、西欧諸国でのLGBTの権利はかなり拡大した。けれどいまだ多くの国々----例えばロシア、ナイジェリア、ジャマイカなど----で、LGBTの人々が暴力にさらされる危険性は極度に高く、また深刻に差別的な法の下で生活していることを忘れてはいけない。

i-Dはアダムに会い、「世界中のクィアな人たちが世界中のクィアな人たちを守る」状況を作ることについて、話を聞いた。

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Photography Matt Bernstein

----〈Voices4〉を始めたきっかけは? 運営にはどんな紆余曲折がありましたか?

「〈Voices4〉は思いがけず始まったんです。僕の人生のモットーのひとつに、SNSに投稿することや自分がやることは、希望を感じられることか、行動を起こすための直接的な呼びかけ、必ずそのどちらかにする、というのがあります。できれば両方にしたいけど。チェチェンのニュースの後、みんな本当に落ち込んでしまって。それで僕は「よし、それなら」と思いました。だけど僕たちにできることは何もなかったし、どこに声を届けるべきかもわからなかった。嘆願書に署名することくらいしかできなくて。でもそれだけでは全然ダメだ、と感じていました。それで「ストーンウォール・インから96丁目のロシア大使館まで抗議のマーチをしよう」と呼びかけてみたんです。その後RUSA LGBT(この抗議行動のパートナー団体)のメンバーに会ったら、ロシア大使館じゃなくてトランプ・タワーまで歩くのはどうかと提案してくれて。だからそうしました。歩き終わる頃には、これはただのマーチでは終わらないとみんなが確信したと思います。それはムーブメントと言えるものでした」

----「人は生まれながらにマルコムXを引用するわけではない」と私はよく言うんですが、私たちは時間をかけて自分の主張や見解を持つようになりますよね。あなたはいつ頃、どんなふうに社会正義のために戦うようになったんでしょうか?

「僕の家族はアクティビスト一家なんです。母親はソヴィエト・ユダヤ人運動に関わっていた。この運動は、たった今起きていることにとても似ているような感じがします。当時はソ連の政府によって、ユダヤ人が抑圧され迫害されていた。今は同じことがクィアの人たちに対して行なわれている。
僕が活動に本格的に関わるようになったのは、2016年の〈パルス〉(フロリダ州オーランドのナイトクラブ)での銃乱射事件の後でした。自分が何をすればいいのかわからなかった。だからオンラインでとにかく何かしたいと投稿すると、反応をくれた人たちがいて。自分たちにも何かできることはないか、と聞いてくれたんです。だから「7番街と12丁目の交差点に集合して、一緒に追悼集会に行こう」と応えました。当時の僕のフォロワーは1,000人くらいで、30人が集まってくれた。そのときに「わあ、インターネットの力ってすごい」と思ったんです」

----〈Voices4〉を始める前に関わっていた、クィアの権利擁護運動について教えてください。

「〈Gays Against Guns〉の会議に参加していて、まさに団体が立ち上がるのをこの目で見ました。その経験から、社会運動の構造や仕組みもかなり学んで。その中で、いま自分たちがしていることをソーシャルメディアに投稿する担当者が必要だということになり、僕は即座に手をあげました。それで、団体のソーシャルメディア担当になったんです。そのときの経験から、組織には運営の基盤となるコミュニティや綱領などが必要だということも学びました。それから「非暴力直接行動」についても知りました。〈ACT UP〉がその方法を成功させていたこともね」

----「非暴力直接行動」とは、どのようなものですか?

「ガンジー、ウィメンズ・マーチ、それからマーティン・ルーサー・キング・ジュニアなどがわかりやすい例としてあげられます。人々が集団で何か行動を起こすことで、いま存在している問題をうきぼりにし、その問題に対する特定の反応を提示することです。例えば、1966年にニューヨークのジュリアス・バーでゲイ男性たちが「シップ・イン(Sip In)」と言われる抗議行動をしました。当時、ゲイ男性にアルコールを販売することは禁じられていました。公共の場で「騒がしくする」から、という理由で。そこでゲイのアクティビストたちは3人のジャーナリストをバーに招いて「シップ・イン」を実行しました。仲間の誰かが店に入ってきて「どうも、僕は同性愛者だ、ビールをもらえる?」とわざと聞く。バーテンダーに注文を拒否されたゲイ男性たちが、並んで座っていく、というものです(訳注:この「シップ・イン」が、ニューヨーク州酒類管理局に対する訴訟を後押しした。裁判の結果、セクシャリティを理由にゲイの客にアルコールを提供しないことは違法になった)。
〈ACT UP〉と〈Gays Against Guns〉の存在は、〈Voices4〉の創設に、強調してもしきれないくらい大きな影響があります。僕らのマニフェストは〈ACT UP〉で使われていた言葉をそのまま使っている(もちろん許可は取って)部分も多いし。〈Voices4〉の最初のミーティングでは、〈Gays Against Guns〉の最初の頃のミーティングとまったく同じ議題を提示しました」

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----話を聞いていて、映画『BPM ビート・パー・ミニット』を思い出しました。フランスの〈ACT UP〉の独自の活動について、それからアクティビズムの現場に起こりうる難しい問題などを描いた作品です。もう観ましたか?

「もちろん! すごくよかったです。実は公開されたときにみんなで一緒に観に行く企画を立てました。そこらじゅうにフライヤーを貼って、いろんな人を誘って行きました」

----すごく楽しそうですね! 〈Voices4〉の活動によって、あなた自身はLGBTコミュニティとの強いつながりを感じるようになりましたか? というのも、コミュニティの中で疎外感を覚えたり、例えばクラブなどでの交流ばかりが中心になっているように感じたりしがちな部分もありますよね。

「〈Voices4〉は意図的に、コミュニティでもあるようにしています。そういう形を作り上げるために、例えばミーティングの後にみんなで一緒にどこかへ出かけたり。いつも必ず、あまりお金のかからない、未成年でも入れる場所に行きます。〈Voices4〉で僕たちを結びつけているものは、活動の原動力となるシンプルな信念です。つまり、世界中のクィアな人々が、世界中のクィアな人々のために立ち上がるべきだ、ということ。だから、それぞれかなり違ったバックグラウンドを持つメンバーが集まっているんです」

----例えばロシアのようにLGBTに抑圧的な環境の国に暮らす人たちをもっとサポートするために、アメリカに住む私たちは何ができると思いますか。

「いくつかあります。まず確実にできることは、そういった国から渡米してきた人を助け、亡命者資格を得られるよう助けるRUSA LGBTなどの組織に資金をカンパすることです。というのも、亡命希望者の84パーセントは、アメリカ到着時の生活資金と必要なニーズの援助を必要としているからです。それからそれ以上に、実際に顔を合わせて援助の手を直接差し伸べるのは大事なこと。先日、亡命希望者の友人と話したときに聞きましたが、これまでの道のりでターニングポイントになったのはアメリカ人の友だちに出会ったときだそうです。その人たちとの出会いで変化して、いまの自分たちがあると語っていました。僕たちは常に抗議行動をしていて、それもとても重要です。領事館の外で行えば、アメリカの人たちもその国で何が起きているか知ることになります。そういった国々から移民した人たちは、抗議行動によって状況が大きく変わることもあると言っていました。各国の政府も注目するようになり、抑圧的な動きがほんの少しの間でも緩和する可能性につながるかもしれません」

@voices4_

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This article originally appeared on i-D US.

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