inkyokeidanshi

遠ざけるべき人とは?

隠居系男子

ブロガー

フォローする:

3年前にこんな記事を書きました。

参照:人を集めるだけが編集じゃなくて、人を遠ざけることも編集。 | 隠居系男子

この記事を公開した当初は「人を遠ざけるって何の話...?」とキョトンとされることが多かったのですが、近頃は共感される機会が増えてきました。

今日は、最近考えていることを少しだけ付け加えておきたいなと。

「俺を楽しませろ!私を楽しませて!」というスタンスの人とは徹底的に距離を置く。

イベントや飲み会時に「どうしてみんなが楽しめるように気を使えるんですか?」と聞かれることがあります。

でも、僕としては「みんなが楽しめるように」と思ったことは一切ないんです。

むしろ、本当に大切にしたいひとたちを、ちゃんと大切にしたいと思うから、余計なひとを引き寄せないってことも人一倍強く意識しています。

それは上述した記事を書いた時から一切変わっていません。

特に、「俺を楽しませろ!私を楽しませて!」というスタンスの人とは徹底的に距離を置くようにしています。

心の中で、中指さえも立てない。本当に無関心を貫きます。

本当に大切にしたいひとのために、その労力を使いたい。

じゃあ、なぜそうするのか?

単純にめんどうなんです。

こういうタイプの人たちは、自分が楽しんでいるときにはものすごく優良な顧客のフリをしてきますが、自分がつまらなくなると一瞬にしてクレーマーと化す。

昨夜の日本代表戦に対してのブーイングと同じ構造です。

そこに引っ張られるのが嫌なのだと思います。そのひとたちに割いている労力がもったいないなと感じてしまう。

だったら、その労力を本当に大切にしたいひとたちのために使いたい。

最後に

きっと過去の自分だったら、「そうは言っても誰に対しても平等であるべきだ!」と自分の中の"べき論"にとらわれていたと思います。

参照:「そうは言っても、こうあるべきだ」という口癖はもうやめた。 | 隠居系男子

でもそうしてしまうと、自分自身が最初に疲弊してしまうんですよね...。

だからこそ、何よりも自分を甘やかせるために"べき論"は全て捨てました。

そうやって自分を散々甘やかせてきた結果、まわりのひとたちから感謝される機会が増えてきたから不思議です。

自分の中にある"べき論"に疲弊してきてしまったひとは、もうちょっと自分を甘やかせてもいいのかなと。

最初は小さな規模かもしれませんが、そこで成功体験を積み重ねることで、少しずつ規模を拡大していくことができるのかなと。

急がば回れ、最近はそんなふうに考えています。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくれている方々にとって少しでも何かしらの参考になれば幸いです。

鳥井弘文

記事のタグ

最新の関連記事

Realtime

現在の人気記事

    次の記事を探す

    Ranking Top 10

    アクセスランキング