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【インタビュー】ビリー・アイリッシュも注目、シドニー生まれ17歳の音楽プロデューサー ペルトとは?

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シドニー生まれの天才音楽プロデューサー、ペルト。10歳児たちのパーティでDJをしていた彼が、いかにディプロと出会い、ジャスティン・ティンバーレイクやビリー・アイリッシュとコラボするに至ったか。
By Zac Bayly; translated by Ai Nakayama

天才的な音楽の才能をもつ、シドニー生まれの17歳、ペルト(Perto)。11歳でディプロと出会った彼は、多様な要素を含むエレクトロニックミュージックを生み出し、世界中の会場を埋め尽くす売れっ子プロデューサーだ。

2018年、ツアーのために学校を中退した彼は、それ以来ティンバランド、ビリー・アイリッシュ、ジャスティン・ティンバーレイクなど音楽業界の巨人たちとコラボを実現。最近では、彼が憧れるスクリレックスが所属するBlood Companyとマネジメント契約を交わした。そんな破竹の勢いにもかかわらず、彼はこれまであまり表に出ることがなかった。

i-Dは、9月からオーストラリアツアーを控え、現在バルセロナに滞在中のプラチナブロンドの天才少年にインタビューを敢行。これが彼の人生初のインタビューだ。10歳児たちのパーティでDJをしていた彼が、いかにディプロとメッセージをやり取りする仲になったのか。

──バルセロナはどう?

最高だよ。今目が覚めたとこ。こっちは朝の10時だよ。曲を書いたり、家族に会ったり、いろんなことしてる。父親がこの街でカフェをやってるんだ。僕は基本的にシドニーを拠点にしてるけど。

──シドニーには僕らの共通の友人がいるけど、君はどうやって彼らに出会ったの? 17歳でもバーやクラブに行けるんだっけ?

シドニーで? いや、めちゃくちゃ難しいよ。友達のライブに行きたいときは、いろんな手続きを踏まなきゃいけない。警察の許可もいる。いろいろ必要なんだ。めんどくさいよ。

──18歳になれば大丈夫だよね。

うん、でもその頃には米国に移住してると思う。僕のチームの大半が米国にいるから、そのほうがいいかなって。最近はマイアミでティンバランドといっしょに曲を書いてた。やばかったよ。

──あれ? 学校は行ってる?

去年のファーストツアーの前に両親と話したんだ。「高校2年生を終わらせて3年に進級するか、学校辞めてツアーに出るかのどっちかだ」って。ふたりが応援してくれたから学校は辞めたよ。

──学校に通ってるときもライブには出てたよね?

うん、でも飛行機で会場まで飛んでいって、プレイして、月曜朝までに戻るって感じだったから(笑)

──君は6歳くらいのときにすでにピアノで才能を発揮するような神童だった?

全然! 音楽一家に生まれたわけでもないし、家族は誰も音楽なんてやってない。僕がDJを始めたのは10歳のとき。母親と車に乗ってて、スクリレックスの曲が流れたんだ。確か「Bangarang」だったかな。それで「これやべえ!」って。

──10歳のときはどこでプレイを?

(笑)特に決まった場所でやってた、ってわけじゃなくて、学校の友達のいろんなパーティでDJしてた。でも嫌だったんだよね、誰も僕のDJを褒めてくれなかったから。で、それから曲づくりを始めた。iPod touchにDJアプリが入ってて、最初はそれを使ってた。そのあとは、誕生日にもらったしょぼいコントローラーで。曲づくりを始めて数カ月して、キングスクロスのAbleton Liveschoolっていう曲づくりの学校に通うことにした。授業を2つくらい受けたよ。

──そしてディプロに出会うわけだけど、その経緯を教えて。

11歳の誕生日にFLOSSTRADAMUSとMAJOR LAZERのライブがあったんだ。僕にとって人生で最大のイベントだった。その前にFLOSSTRADAMUSのカートには話しかけてたんだ、Instagramで。たぶんちょっとうっとうしかったと思うけど、彼が僕をステージに上げてくれた。最高だったよ。そこでディプロにも会った。僕が彼らのビーニーをかぶってたから、「なんでこんな子どもが俺らのグッズを?」って感じでInstagramに僕の写真を上げてくれた。

当時、僕は憧れのひとたちに会いたくてクラブの前をぶらぶらしてた。セキュリティに「こんなところで何してるんだ!」って怒鳴られながらね。両親は、誰々に会いたいから出かけてくる、っていったら「いいよ」って返してくれるような感じだから、クラブの前を8時間うろついてたこともある。

──憧れの存在に会いたい、と願うだけだった少年が、音楽で身を立てていけるんじゃないか、と考えるようになったのはいつ?

初めてそう感じたのは、ミャンマーでプレイしたときかな。ネットで僕の初ライブの映像がバズって、ミャンマーまで届いたみたいなんだ。それで、ミャンマーでプレイすることになった。その会場の外に、かつての〈僕〉がいた。中に入れなくて会場の外で待ってる少年がね。だからこっそり入れてあげて、ステージに呼んだんだ。

──最高だね。その映像のことは知らなかったんだけど、ディプロに会って彼に自分の曲を送ったことがきっかけでバズったとか?

いや、数年かけてじわじわと広まった感じ。カートとは連絡を取り合ってたんだけど、ディプロとのつながりが復活したのは去年なんだ。LA滞在の最終日、僕が彼に「何してるの?」って送って、それから彼といっしょに曲をつくることになった。カートとはずっといっしょだったよ。ハリウッドヒルズや国立公園をバイクで走ったり。ほんと最高だった。誰かが僕の音楽を推薦してくれたわけじゃない。しばらくは自分ひとりでやってたよ。

──最近はどんなプロジェクトに取り組んでる?

発表することはないかもしれないけど、LAとマイアミを行き来してたとき、ティンバランド、リュダクリス、ジャスティン・ティンバーレイク、ビリー・アイリッシュ、アリソン・ワンダーランド、ディプロ、Whethanとコラボしたよ。めちゃくちゃいろいろやった。あとスモークパープやリル・パンプのプロデューサーとして、最初から彼らといっしょにやってきたディアブロとも。彼はマジでやばいヤツだよ。LAで彼と会って、他のひとたちとのセッションは全部キャンセルした。だって、彼の家でいっしょに作業したかったから。最近は結構いろいろいっしょにやってる。

──今は、大体スタジオでアーティストたちと作業してるの?

オーストラリアではできないよ。だってみんな米国にいるから。LAにいれば、毎日誰かしらと会える。いっしょに遊んで、スタジオに入る。自分たちがやりたいことを、めちゃくちゃ自然にかたちにできる。次に発売される曲はKah-Loとコラボした「Bad Maybe Good」。この曲は2時間でつくったんだよ。大好きな曲だね。

──どうやって2時間でつくったの?

僕はアイデアをかたちにするのがめちゃくちゃ速いってみんなにはいわれる。これはシンプルな曲だしね。ビートに彼女の声を乗せてるだけ。でも何だろう、あの日は何かがあったのかも。とにかく意気投合して、それで完成したって感じ。

──別に猛烈に働いてるってわけじゃない?

全然違うよ!

──曲づくりを始めて以来体験した、夢みたいなことって?

そんなの超たくさんあるよ。でもやっぱスクリレックスに会ったことかな。30秒くらいしか話してないけど。その場には僕とディアブロとWhethanがいた。僕らはマイアミで彼のライブを観てたんだ。それが終わったすぐあとに会った。不思議な感じだったね。僕はそれまで舞い上がることなんてなかったのに、彼を目の前にしたら「あーやばいやばいやばい」ってなった。そのあと、「7年前、車のなかで彼の音楽を聴いてたのが僕の始まりだ」って気づいた。彼は、僕が音楽を始めることになったきっかけなんだ。ほんと不思議。もしあの曲を聴いていなければ、今でも学校で落ちこぼれてたと思う(笑)

This article originally appeared on i-D AU.

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