Fashioninterview

【インタビュー】ファッション界の"生きる伝説" 高田賢三が再び第一線へ

■迷いはなく、後先も考えず

―当時の「KENZO」ブランドの真骨頂といえばフォークロアをハイファッションに昇華した作風ですが、その原点はどこにあったのでしょうか。

 僕は日本から船でパリに来たので、1ヶ月の船旅でインドやアフリカとか色々な国を周った時の印象が強く残っていました。それから1968年の五月革命とヒッピー。東欧のファッションをどんどん若い人が着るようになって、民族性をミックスしたフォークロアがとても面白かった。僕の場合、ちょっと行き過ぎな感じもあったんじゃないかな(笑)。

―でも、モードの歴史があるパリがそういったインパクトを受け入れたんですね。

 珍しかったんだとは思います。その時代のチャンスに乗ることも大事ですが、僕は常に人がやっていないことをやろうと考えていましたから。特にパリに行ってからは、自分が日本人だということを改めて意識するようになって、それが強いアイデンティティーにもなった。今でも、可愛い物が好きなのはずっと変わりませんね。

kenzotakada-interview-20160817_008.jpg

―自身のブランドをLVMHに売却し、立ち上げから30年目の1999年に「KENZO」のデザイナーから退いた時のことについてお聞きしますが、迷いはありましたか。

 迷いはなく、そして後先も考えずでした。ブランドを立ち上げてから30年間は楽しくもあり、一方で続けていく厳しさがあったのも事実です。でも、ブランドを離れてから2〜3年経った時に、やっぱり何かを始めたくなった。それでもう一度絵を描いたり、改めて勉強したり、また少しずつ始めるようになって今に至ります。

―Humberto Leon(ウンベルト・リオン)とCarol Lim(キャロル・リム)の若手2人がディレクションしている、今の「KENZO」ブランドはどのようにご覧になっていますか。

 とても若返って元気があって、新しい感性を感じますね。時代に沿っていて良いコレクションだと思っています。

■77歳、再び第一線へ

―セブン&アイ ホールディングスと新たなプロジェクトが始まりました。そごう・西武とイトーヨーカドーのプライベート ブランド「セットプルミエ(SEPT PREMIERES)」のデザインを手がけることになったのは、どういった経緯だったのでしょうか。

 西武は70年代から先進的なファッションを取り扱っていて、僕もその頃からずいぶんお世話になっていました。そういった縁があったので、今回の話を頂いた時は嬉しかったですね。でも、大きなプロジェクトということで実は最初、すごく怖かったんです。

―これまでにない販路や、価格帯の低さといった、新しい服作りだったからでしょうか。

 これは挑戦だと思いました。でも品質の良い商品を幅広い世代の方に着てもらうという「セットプルミエ」のコンセプトに惹かれたので引き受けさせて頂きました。デザインの切り出しは難しかったですが、協業なので相手方のノウハウを活かして、僕が持っている何かをそこにプラスできればと。今では自分も楽しい気持ちで取り組めています。

kenzotakada-ivent-20160818_009.jpgカプセルコレクション SEPT PREMIÈRES by Kenzo Takada

―「華やかじゃなきゃ、ファッションじゃない」というコピーや、芍薬(しゃくやく)の花のモチーフが印象的です。

 やっぱり華やかな方が楽しくなりますよね。僕はコレクションに必ず花を使ってきて、一番好きなのが芍薬なんです。初めてクリエーションに取り組んだ時に選んだ花で、東洋と西洋、どちらの魅力も持っているでしょう?「セットプルミエ」ではシックなカラーに花柄を加えたり、アニマル柄を混ぜたり、フェミニンとマスキュリンのコントラストを出すようにして構成したので、色々な組み合わせができるようになっているかと思います。

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