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「ナイキ エア」デザインの歴史を辿る 社会現象を巻き起こした1990年代

エア マックス 95

エア マックス 95

Image by: NIKE

エア マックス 95

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「ナイキ エア」デザインの歴史を辿る 社会現象を巻き起こした1990年代

エア マックス 95

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 「ナイキ(NIKE)」は、「エア(AIR)」という革新的なテクノロジーをシューズに搭載するために、アイデアを磨き、技術を高めてきた。初めてのエア搭載シューズ「テイルウィンド(1978年)」は、まさに優れたクッショニングをミッドソールに内蔵することに成功したが、その「エア」はランナーたちの目に見えるものではなかった。そしてそれ以降、1980年代に誕生した「エア フォース 1(Air Force 1)」や「エア ジョーダン1(Air Jordan 1)」なども同様で、ナイキ原初のデザイン(シルエットを含む)が基本にあり、その中に「エア」を閉じ込めることに情熱を注いでいた。

 しかし、ティンカー・ハットフィールドがデザイナーに就任してからは、そのエアを体感するだけではなく、視覚化するためにシューズのデザインまでも変えてしまった。それが「エア マックス 1(Air Max 1)」であるならば、単なる靴としてのデザインではなく、スポーツ業界や社会が求めるニーズをカタチにするために生まれたこのシューズは概念としても大きなイノベーションとも言えるだろう。

 そして、今年発売された新しい「エア マックス Dn(Air Max Dn)」は、4つのドットをミッドソールから覗かせ、ユニットの構造にヒントを与えながらエアを近未来的に表現している。それは1980年代から続く歴代のエア マックス全てに、“テクノロジーという理念をカタチにする”という姿勢が表れていたからではないだろうか。今回は、エアのデザインにフォーカスを当ててみたい。

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“見える”ことのインパクト

エア マックス 90

エア マックス 90

Image by: NIKE

 エア マックス 1の誕生から3年後の1990年に発表された新しい「エア マックス 90(Air Max 90)」は、「ヒールのインパクトをどう高めるのか」に注力したデザインだった。ランナーがシューズに求めるのは、クッショニングはもちろん、(たとえゆっくりとしたジョグでも)スピード感もまた然り。エア ユニットを囲むパーツにTPU素材を使い、ショッキングカラーを配色することで「ビジブルエア」を目立たせた。そしてそのスピード感を高めるために考えられた尻上がりのフォルムは、イタリアのスポーツカーを参考にしたと言われている。ここまでは初代のエア マックス1と根本的な考えは変わらないが、進化は1990年代に入って急速した。エア ユニットをどう大きくし、効率的にクッションに作用させるか。進められた研究のゴールは、最初にフランク・ルーディが持ち込んだ「ソールがすべてエア」にある。

 かつて携帯電話といえば基本的に画面とキーボードが分かれたストレート、もしくはフリップ構造だった。それがスマートフォンの出現によってインターネットやメールに直感的にアクセスできるようになり、いつしかタッチディスプレイが全画面になった。昔を知っている世代にとってのスマートフォンは、パソコン機能をもった電話だが、今の若い世代にとってのスマートフォンは、通話とカメラ機能をもったパソコンという認識だろう。つまり感覚を追求するテクノロジーが携帯電話の存在意義すらも変えてしまったように、エア ユニットも履き心地を追求することによってシューズのデザインだけでなく、概念も変えてしまうということだ。そうした進化によって、受け手(消費者)の幅を広げ、スポーツシューズからストリートへと羽ばたいていったのだ。

マイケル・ジョーダンとエア 高まるファッションとの親和性

 エア ユニットをソールから覗かせる「ビジブルエア」はランニングだけでなくバスケットボール、クロストレーニングシューズにも積極的に採用されていく。とくに1988年に発表された「エア ジョーダン 3(Air Jordan 3)」は、それまでの通常のバスケットボールシューズに使われていた、安定性を高める重たいゴム素材を使わずに作られたことでも革新的だった。軽量のウレタンを巻きつけることでクッション性と軽量性の両立を図り、ジョーダンの期待に応えた。

 バスケットボールの跳ぶ、着地するという基本動作にクッショニングが結びついていたこと。そしてマイケル・ジョーダンという偉大なアスリートが、エアを履いてコートを制空していたことで、エア自体の認知はバスケット業界に早く浸透した。時代とともに変わっていく市民ランナーのニーズに応えたエア マックスと憧れのプレーヤーを高く飛ばせるエア ジョーダンでは、同じ「空気」でもそのイメージはまるで違う。そして、シューズもエアも姿形にデザインを帯びることで、ファッションとの親和性も高まっていった。

ランナーの枠を超え、ニーズは高感度層へ

 エアのユニットはまず、1991年に発売された「エア マックス 180(Air Max 180)」でミッドソール側面でしか見られなかったユニットの構造がアウトソールからも露出された。半透明のラバーの実用化を背景に、窓ではなく透けて見せるというアイデアを採用したことは、方向性の違いはあるものの革新的だった。馬蹄(馬の蹄を保護する装具)にヒントを得て完成した180°のビジブルエアは、ヒールの横幅いっぱいにユニットを封じ込め、エアの容量は従来のモデルから50%増している。その変化(進化)を表現した広告も巧妙だった。アンダーグラウンドなアーティストや映像作家を数多く起用したバリエーション豊富な作品群はどれも斬新で、他のメーカーとは一線を画す、その後に続く「ナイキ」の表現軸を作ったともいえる。1990年代のタイポグラフィ・ブームを積極的に取り入れたり、デジタルの大衆化を象徴したものばかりだった。ちなみにホラー映画を得意とするカナダの有名な映画監督、デヴィッド・ポール・クローネンバーグもアサインされ、当時らしいなかなか不思議で不気味な動画を制作している。

 ランナーの枠を超え、感度の高い人たちにエアが注目されるようになった。エア マックス180の刺激によって、それまでアメリカ国内の盛り上がりだったランニングシューズにおける「エア」が少しずつ日本にも浸透していく。1993年の「エア マックス 93(Air Max 93)」は、技術的な進歩が目立った。まずは半透明のラバーでエアを見せる工夫をやめ、それを囲むフォーム素材を取り除こうという発想によってエアが進化していくことになる。この第一歩がブローモールドエアと呼ばれるもので、射出成型により立体的にソールを作ることに成功した。これが270°のビジブル化への成功となった。簡単に言えばU字の形をしていて、それを安定させるために8本のチューブを連結させたのだった。

 1994年になると、部位によって気圧の異なるマルチチャンバーエアを開発。衝撃を吸収する中央部分を5psiに、その周囲を25psiに設定することで、クッションの安定感を大幅に高めた。まるで理科の実験のような話だが、日本は感覚よりもこうした小さなこだわりに敏感な国だ。この時はまだスポーツ店のみの取り扱いだったが、ランナーはもちろん、ガジェットのような文明の進歩を面白がるファンが増えていく。同時期に盛り上がるエア ジョーダンのストーリーと、80年代から湧き起こるヴィンテージブームによってナイキが注目されていく。それがハイテクファッションブームの幕開けでもある。

異端なデザインが社会現象に、エア マックス 95誕生の背景

エア マックス 95のエア バッグ

エア マックス 95のエア バッグ

Image by: NIKE

 1995年の「エア マックス 95(Air Max 95)」は、履き心地以上に、奇抜ともいえるヴィジュアルが大きなインパクトだった。まず、エアに関していえば、それまでリアフット(後足部)のみだったビジブルエアがフォアフット(前足部)にも採用されることで、視認面積が大幅に増えた。さらに歴代のシリーズと決定的に違うのは、ユニットを囲むミッドソールが黒であったこと。そしてアッパーも上から下に向かって濃度が高まるグラデーション構造だったことだ。こういった重さを感じさせるルックスは、ランニングシューズとして掟破りと当時されていた。雨の多いオレゴン州ポートランドでランニングしても汚れが目立たないように、と考えられたものだが、それ以上にデザインを担当したセルジオ・ロザーノの前部署が、「ACG」というナイキのアウトドアカテゴリだったことが影響している。

エア マックス 95

エア マックス 95

Image by: NIKE

 こうしたストーリーとエアの進化が組み合わさることで、異端な「エア マックス」が誕生した。保守的な日本のランニング業界の反応は冷ややかだったが、その斬新さに目を奪われた感度の高いファッション業界が注目したことでメディアの露出が増え、発売から少し経った1996年頃には人気が急騰。テレビや新聞にもその様子が取り上げられ、社会現象とまで報じられた。トラックやロードだけでなく、お茶の間にいても「エア」を目に、耳にする機会が増え、世代を超えて「ナイキ=エア」と認識されるようになったのだった。最初はエア マックス 95目当てだった消費者も、次第にバッシュでもランニングシューズでも、とにかく「エア」と名がつくモデルを欲しがるようになった。インターネットが普及していない時代ゆえ、情報が伝播するスピードがゆっくりだったことで、現代に比べてブームが長続きした原因ともいえる。

方向性を変えた「チューンドマックス」

ナイキのスニーカー

エア マックス プラス

Image by: NIKE

 この頃になると、エア搭載シューズの最高峰がエア マックスで、年に一度のペースで新型が発表されていくことを世の中が知るようになっていく。過去に戻りながらその変遷を体系化するストリートメディアも増え、次のデザインに期待が集まるようになった。それでもナイキは、アスリートのためにエアを進化し続けた。

スニーカーのアウトソール

エア チューンド マックスのアウトソール

Image by: NIKE

 フォアとリアに分割されたエア ユニットは1997年のエアマックスで初めて一体型(フルレングス)となり、いよいよ当初の目標でもあった「ソールがすべてエア」に近づいたと思われた。しかし、その翌年には「より少ないエアで高いクッショニングを」という考えから「チューンドエア」という新しいユニットが発表される。半球型のサスペンションパーツをエアの中に並べて、衝撃吸収性と安定性をより高いレベルで安定させたものだ。これによりシューズの用途に応じてパーツの個数、配置や大きさ、圧力や厚みをチューン(調整)することができ、アスリートの多様化に合わせて最適なパフォーマンス性を届けることが可能になった。これは「エア マックス プラス(1998年)」、「エア チューンド マックス(1999年)」などに採用。エア ユニットの構造は再び前後で分割された。半球型のパーツはそれ自体の衝撃吸収性が高く、弾力性に優れることから圧力がかかって変形してもすぐに元に戻る形状回復性も魅力だった。チューンドエアの使用期間は決して長くなかったが、その軽量なプラスチック素材の考え方は、現在の厚底のランニングシューズに搭載されている「ズームエックス(ZoomX)フォームにも繋がっている。

「形態は機能に宿る」Dnへと受け継がれるストーリー

 その後、21世紀を迎えて、エアはさらなる肥大化に向けて研究が進められた。20世紀との大きな違いは、環境問題にどのメーカーよりも早く、深く向き合あったことだ。地球が抱える課題を解決しながらアスリートの夢を叶えるためには、サステナブルな視点も取り入れなければならない。素材選びから生産プロセスすべてに新しい考えや投資が必要で、デザインも大きく変わっていった。

ナイキの黒いスニーカー

エア マックス Dn

Image by: NIKE

 エア マックス Dnは、久々に1990年代のエアの変遷を思い出させるようなデザインだ。懐かしさと新鮮味が入り混じった、不思議な高揚感がある。新しいダイナミック エアは、4つのチューブ状で成り立っている独立したエアの気室が、一歩進むごとにかかる荷重に応じて最適に反応する仕組みだ。そしてリアは15psiと高め、フォアに5psiと低めの気圧を設定した。踵で着地し、つま先が最後に地面から離れる一般的な歩行やランニングの足のモーションを考えると、気圧は逆の方が効率的ではないかと思われがちだが、ナイキのエンジニアとデザイナーは研究を繰り返すことで、踵にもっとも硬いチューブを使い、中足部に向かって柔らかくすると足の運びが滑らかであることに気づいたという。ちなみにソールの動きに呼応するように、アッパーの素材も新たに考案されている。シリコンのような素材をレイヤーし、立体感のあるプリントを施すことで足との一体感を高めた。つまりクッショニングの革命ではなく、エアの上で歩くという、その先の浮遊した感覚を実現したシューズということになる。

ナイキのヴィジュアル

エア マックス Dnのヴィジュアル Creative direction by Hommegirls

Image by: NIKE

 ドイツのバウハウスの教育理念にも掲げられた「Form follows function(=形態は機能に宿る)」とはシカゴの建築家、ルイス・サリヴァンによる有名なフレーズで、どんな業界においても引用されている有効な金言でもある。機能主義を追求すれば、優れたデザインは後から自然と付いてくる考えを、大胆に捉えていたのが20世紀だとすれば、その誇張されたデザインに自由と刺激を感じているのが、現代における1990年代と2000年代のムーブメントである。エア マックス Dnは往時のエアのストーリーを受け継ぎながら、テクノロジーの進化に目的を明確に加えることで、アッパーの構造にまで影響を与えた、新しいデザインシューズともいえる。

ライター/制作プロダクション MANUSKRIPT代表

小澤匡行

Masayuki Ozawa

1978年生まれ、千葉県出身。大学在学中に1年間のアメリカ留学を経たのちに編集、ライター活動をスタート。著作に「東京スニーカー史」(立東舎)、「1995年のエア マックス」(中央公論新社)など。「UOMO」(集英社)、朝日新聞にてコラムも執筆中。集英社主催による藤原ヒロシのマーケティング講座「FRAGMENT UNIVERSITY」の助教授を務める。

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