表参道・原宿のインフォメーションメディア

アッシュ・ペー・フランスの名前の由来は?代表取締役・村松孝尚に聞く成功の要因

 アッシュ・ペー・フランスの名前の由来は?代表取締役・村松孝尚に聞く成功の要因の画像

「青参道」の仕掛け人

NYと日本に約80店舗を展開するアパレル企業も、スタートはラフォーレ原宿の地下の1店舗からであった。当時の会社名は「原宿プロジェクト」。実は、その名前はイニシャルとなって現在の会社名に引き継がれている。今回は、そんなオモハラと切っても切れない関係性を持つH.P.FRANCE(アッシュ・ペー・フランス)株式会社の代表取締役・村松孝尚氏に"オモハラ観"をうかがった。

hpfrance-20170809_005.jpg

【プロフィール】
1952年長野県生まれ。1984年、ラフォーレ原宿に婦人服小売店「Lamp」をオープンし、原宿プロジェクト有限会社を設立。1989年、衣料品・服飾雑貨の輸出入・販売業務の、アッシュ・ペー・フランス株式会社を設立。現在は国内外に約80の店舗を展開する。NY在住。

原宿を出世させた2つの建物

70年代〜80年代前半、千駄ヶ谷でカルチャー誌の編集をしていた村松氏。もちろん原宿にはよく訪れていたということだが、当時を振り返ってもらうと、「2つの建物」の存在が印象的だったと話す。

「1つ目は原宿セントラルアパート。クリエイションの権化。たったひとつの建物に日本中の若いエネルギーが集まって、原宿を何もない街からクリエイティブな街に変え、それどころか日本の一時代を作っていた。2つ目はラフォーレ原宿。原宿セントラルアパートの向かいに誕生すると、時代を象徴する新しい才能やファッションが集まる場所となり、街を若者からも注目されるメジャーなエリアにした。この2つの建物が、原宿を日本の代表となる街に押し上げたと感じています」

hpfrance-20161017_002.jpg

現「東急プラザ表参道原宿」の土地に原宿セントラルアパートは建っていた。原宿セントラルアパートとラフォーレ原宿、向かい合う2つの建物が70〜80年代に原宿を出世させたのだ

あくまで編集者としてラフォーレ原宿をそのように眺めていた村松氏であったが、その後、運命に導かれるようにラフォーレ原宿でアパレル事業を開始する。

「家内が洋服屋に勤めていたのですが、オーナーが引退するので店を買わないかと言われ、引き渡された店が偶然にもラフォーレ原宿内のショップでした。店をオープンする際に会社も立ち上げ、『原宿プロジェクト』という社名に。新しいものが生まれる原宿という街の名を背負うに相応しい会社にしたいという想いを込めました」

hpfrance-20150216_001.jpg

1984年、ラフォーレ原宿内に誕生した村松氏の初ショップの名前は「Lamp」。今も場所を変えて「Lamp harajuku」は残っている

"原宿"という街が持つブランドに絶対的な価値を感じながら事業を開始した村松氏。では、なぜその後、社名に「FRANCE」の文字が追加されたのか。

「パリに行った際、知り合いの紹介でフランソワーズという女性のバイヤーに出会いました。日本人の私は、アクセサリーの価値は金の重さや宝石の大きさで決まるという感覚を持っていたのですが、彼女が勧めてきた指輪は、針金をぐるぐる巻いただけのものだった。物質的な価値でなく、クリエイションの価値で物を選んでいたんです。バッグなんかも、機能性で選ばないから、物が入らないようなものを勧めてくる(笑)。最初は驚きましたが、こういう価値観を日本に広めたいという想いを抱き、社名を変更することに。『原宿プロジェクト』の『H.P.』に『FRANCE』をつけて、『H.P.FRANCE』としました」

原宿が持つ"新しいものを生み出すエネルギー"と、フランスが持つ"クリエイションを重視する価値基準"を合わせた商品を提供する企業「H.P.FRANCE」が誕生した。

新たな価値観を受け入れ、広める街

H.P.FRANCEは、オモハラエリアを中心にどんどんと店舗数を増やし、現在は国内外に約80店舗を構える企業となっている。その成功の要因として、この街でスタートしたことが大きいという。

「クリエイティブなものに対する、女性の理解力の高さには救われましたね。H.P.FRANCEがやろうとしていることを面白がって集まってくれる前衛的なクリエイターはいましたが、それが日本で受け入れてもらえるかは正直不安だった。でも、原宿に訪れる女性たちの、新しい物や価値観を自分のスタイルに溶け込ませる感性は世界一なんですよね。彼女たちは、金や宝石のサイズよりもクリエイションを重視するという価値観をすぐに受け入れてくれました。それは、時代が変わった今でも同じで、原宿の若い女性たちは既存の価値基準の外にあるものを抵抗せずに吸収して、新たなスタイルを築き上げ続けています」

オモハラを拠点として、柔軟な感性を持つ日本の若い女性たちに新たなスタイルを与えた村松氏。実は現在も、このエリアから新たな価値観を発信するプロジェクトを進行している。H.P.FRANCEが名付けた「青参道」(青山通りと表参道を繋ぐ裏道。この路地には多くのH.P.FRANCE系列店舗が存在する)で毎年秋に行なわれているアートイベント「青参道アートフェア」である。

hpfrance-20161017_003.jpg

青山通りと表参道を繋ぐ「青参道」。村松氏はこの道の名付け親であり、ここでは毎秋「青参道アートフェア」が開催される

「海外に比べ、日本はアートの敷居が高いですよね。アートはもっと気軽に楽しめるもので、日常生活の中に溶け込んでいて良いもの。アート感のあるライフスタイルやアート市場を日本で作ることが、原宿とフランスの感覚をルーツに持つH.P.FRANCEの大命題だと考えています。表参道・原宿にいる若い人たちなら、我々の想いを吸収し、日本に浸透させてくれると期待しています」

「H.P.(=原宿プロジェクト)」の名を背負い、常に新しい何かを世に投げかけようとしているこの仕掛け人からは、このエリアの人々に対する信頼が滲んでいる。

ラフォーレ原宿を世界遺産にしたい

ラフォーレ原宿に運命的にファッションの世界に引き込まれ、今では街に大きな影響力を持つ村松氏。そんな彼に、このエリアで実現させたい夢を尋ねると。

hpfrance-20170809_006.jpg

青参道では1号店となる自身のインテリアショップ「H.P.DECO」にて

「できることなら、ラフォーレ原宿を世界遺産にしたいですね。H.P.FRANCE誕生の地なので個人的な想い入れはもちろんありますが、70年代後半の建築としての魅力、そして日本の斬新な若者文化を発信し続けている場所という意味でも、十分に文化的な価値があると思います。建物が次々と生まれ変わっていく街ですが、ラフォーレ原宿は取り壊されないよう世界遺産に認定させて、伝説の場所としてずっと残っていてほしいんです」

70年代後半に出現し、瞬く間に原宿をファッションの街へと変貌させたラフォーレ原宿。その後約40年間、流行を追う若者を絶えず集め続けているという事実は、すでに伝説と言っても過言ではない。「若者文化」と「歴史」という一見相反する特徴が共存するこの不思議な建物は、時代を超えるごとにその価値を高めながら、これからも原宿のシンボルとして存在し続けてくれるだろう。

Text:Takeshi Koh(OMOHARAREAL編集長)