ファッションマガジン

ガーナの首都でジェンダー観と闘うこと

ガーナの首都でジェンダー観と闘うことの画像

同性愛を禁じる法案を議論しているガーナで、ジェンダーの枠にはまらない自身のアイデンティティを通して、社会の暴力や偏見を浮き彫りにするアーティストがいる。crazinisT artisTに話を聞いた。

This article was originally published by i-D US.

初めてcrazinisT artisTことヴァベーネ・エリケム・フィアスティ(Va-Bene Elikem Fiasti)を見たとき、彼は細い体に黒い油のようなペイントを塗り、死者を演じていた。ガーナの首都アクラにある聖書専門出版社<Bible House>の建物の外で、白人女性の腕に抱かれて息絶えた人を演じるパフォーマンスをしていたのだ。毎年開催されるストリート・フェスティバル、"チャレ・ウォーテ(Chale Wote)"で披露されたこの作品は、アフリカ人の無力化と西洋への文化依存をキリスト教的なシンボリズムによって表現していたため、上演から間もなくして<Bible House>周辺での再演が禁じられることとなった。

それから2年、フィアスティの容姿は劇的な変化を果たした。髪は長く、綺麗なブレードに編まれ、細身のペンシル・スカートから伸びる脚の先にはヒールを履いている。長い爪には赤いマニキュアが塗られ、なんとも魅力的だ。「"彼"でも"彼女"でも、"あれ"でも"彼ら"でも好きに呼んで! たいていの人は"彼"って呼ぶけど」と、フィアスティは言う。彼は、アクラに新たに誕生した五つ星ホテル、ケンピンスキ・ホテルに併設された<Gallery 1957>に座っている。『Rituals of Becoming』展において、彼はこのスペースを"再植民地化"してみせる----壁からはスカートやドレス、レース下着が吊るされ、テーブルには所狭しと美容用品や貴金属が並ぶ。会場は天井から床まで真っ赤なベルベットで覆われ、まるで劇場の控え室のようだ。隅には洗面器とタオルが置かれている。聞けば、フィアスティはこのギャラリーに2週間暮らしているのだという。

ghana-gender_004.jpg

「お風呂に入っているときに人が入ってきたことも何回かあった。謝りながら慌てて出ていくんだけどね。プライベートな空間に入ってしまったと思ったんでしょうね」とフィアスティは言う。観客がいようといまいと、crazinisT artisTは体を洗い、化粧をして服を着る。わたしたちが日々繰り返している動作をパフォーマンスとして見せるのだ。観客はそれを生で目撃するかもしれないし、プロジェクターで投影された、過去のパフォーマンス映像や写真で見るかもしれない。入浴は幼児の頃の自分、すなわち洗礼のメタファーだという。またそれはアイデンティティを脱ぐことでもある。「肉体的、生物学的な意味で"自分"になるということ」と彼は話す。「それから、社会をまとっていくんです」。風呂から出た彼はメイクに取りかかる。2時間以上かかることもあるそうだ。「パンティやドレスを選ぶころには、わたしの体は男性と言い切れない状態になっている。社会的なボディが、生物学的なボディを覆いこむのです」と、彼は説明する。

設営をしている際、ホテル側にはパフォーマンスの詳細を伝えなかったという。「展示会のオープニングで彼がお風呂に入るまで、従業員も観客も、彼の性別を知らなかったんです」と、ギャラリーのオーナーであるマルワン・ザクヘム(Marwan Zakhem)はいう。「男性だとわかったときには、会場に衝撃が走りました。多くの観客は混乱していましたね。そして、彼がもとは牧師であったことや、ストレートであるという事実を知ると人々はさらに混乱しました」

ghana-gender_001.jpg
crazinisT artisT, Rituals of Becoming, performance at Gallery 1957, 26 February 2017, courtesy the artist and Gallery 1957, photo by Dennis Akuoku-Frimpong

「私たちがジェンダーとセクシュアリティに対してもっている帰属意識に、疑問を投げかけたかったんです。慣例化した社会のなかで、私たちはジェンダーやセクシュアリティを曲解してしまっている」と、crazinisT artisTは話す。彼は2013年から、男性と女性のジェンダー・アイデンティティを行き来して生きている。ここ7ヶ月間は女性として生活し、「女性と、クロスドレッサーやトランスヴェスタイトと呼ばれる男装の典型を演じてきた」と彼はいう。このパフォーマンスで彼は、「ガーナの人々がもっている"ジェンダーの不一致"や"ジェンダーとセクシュアリティの曖昧な関係"に対する恐れに疑問を投げかけようと思った」のだという。

偶然にもこの展示が始まった週、ガーナ議会は同性愛を禁じる法律を制定すべきか否かの議論を始めた。「緊張感のある中での開催でした。しかしだからこそ、crazinisTのパフォーマンスは痛烈な意味を帯びることになったのです」と、<Gallery 1957>のザクヘムは話す。ガーナにおける同性愛嫌悪は増加する傾向にある。crazinisT artisTは、それはキリスト教によって持ち込まれたものだと説明する。「同性愛は西洋からもたらされた概念だと考えられている。だから、西洋を否定するために同性愛嫌悪を打ち出しているふしがある。でも、わたしには、同性愛嫌悪こそ西洋によって持ち込まれた概念にみえるんです。同性愛はアフリカにもずっと存在していたのですから」

ghana-gender_002.jpg
crazinisT artisT, Rituals of Becoming, performance at Gallery 1957, 26 February 2017, courtesy the artist and Gallery 1957, photo by Dennis Akuoku-Frimpong

他の国と同じく、ガーナには男らしくない男性は同性愛者だと考えられる傾向があるとcrazinisT artisTは話す。「ガーナ人は性行動ではなく肉体をみて、ひとのセクシュアリティをわける。"ある"ジェンダーとして、どう見えるか、どう立ち居振る舞いをするか、体をどう見せるかを大切にしているのです」。しかし、かつてはそうではなかった。彼は、ガーナの山岳地帯ヴォルタ州のホで育った幼少期を回想する。「フェミニンな男性に囲まれて育ちました。話し方も立ち居振る舞いも女性らしい男性がたくさんいましたが、彼らを同性愛者だと思ったことは一度もありませんでした」。しかし、同性愛が世界中で議論されるようになると、ガーナでも「人々が『同性愛とは何か?』と考えはじめ、たとえば女性のような仕草をする男性が白い目で見られるようになり、暴力へと発展していきました」。今日のガーナで、LGBTの人々や、crazinisT artisTのようにジェンダーの枠にはまらない人たちは、周囲からの暴言や暴力に怯えながら生きることを余儀なくされている。ガーナには法的な規制まであるのだ。

ghana-gender_005.jpg

『Rituals of Becoming』展は、特にガーナにおいて矮小化が顕著なトランスジェンダーの人権について訴えている。crazinisT artisTには、トランスジェンダーの友人が多い。トランスジェンダーの人々は、社会から受け入れられておらず、「人前では自然体でさえいられない」のだそうだ。crazinisT artisTは、「正義のために闘います。あらゆる暴力に立ち向かうのです」と言い、自らの感受性をさらけ出し、リスクに自らをさらすことによって、「かならずしもLGBTの人々が置かれている状況への理解を促すというわけではなく、ドラァグやトランスジェンダー、社会からの理解が得にくいアイデンティティのひとが直面する偏見や汚名を、私の存在を通して社会に見せていきたい」のだと話す。crazinisT artisTの決意は----それがどれだけ彼に苦難を強いることになろうとも----固い。女性的な服を着ることで、彼はさまざまな暴力を受けてきた。また2013年にジェンダーを特定しなくなってからは家族から勘当されている。

セクシャル・マイノリティが直面させられる困難----それは根源的に社会の優劣や階級と似ていると彼は言う。だからこそ、彼はホテル側からオファーされた宿泊用の部屋を断った。「私はこれまで、ある特定の状況下で暮らしてきました。ホテルという、心地よさを提供する空間で、その申し出を受けてしまったら矛盾が生じてしまう」と彼は説明する。「わたしがここでやっていることは、この国が理想に反するものです。このスペースで私が意図してそうしている状況は、この社会そのもの。放棄され、隔絶されて、その存在すらも否定されたひとたちが生きる状況そのものなのです」

ghana-gender_006.jpg

しかし、この展示でも「安全すぎるくらい」だとcrazinisT artisTはいう。高度なセキュリティが敷かれているホテル、その中にあるギャラリーでの保護された環境は人工的なものなのだ。もちろん、このパフォーマンスには反感の声も挙がっている。インタビューを行う前週には、男性がギャラリーで憤慨し、聖書の言葉を引用しながら、「神がお前を男に生んだのに、なぜ女になろうとするのか?」と叫んだという。いま、こうしてギャラリーの隣にあるオフィスに座っていても、来場者がすぐ外に出て、「気持ち悪い」などと話す声が聞こえる。前に座るcrazinisT artisTに動じる様子はない。

彼はある意味で、この作品をすでに公衆の場で上演してきたとも言えるだろう。この7ヶ月間、彼は女性として首都アクラに暮らしてきたのだ。しかし、彼は今後、この作品をもっと人目につく場所で公開したいと考えている。「暴力に打ち勝つためには、暴力を演じてみせなくてはならないときもある。人々が強い反応を見せる場所で、この作品を公開する必要があると思います」と彼はいう。そこでわたしは「怖くはないのか?」と彼に訊いた。彼は真剣なまなざしをわたしに向けて、こういった。「怖くなることはないと思います。私の人生は、ないも同然ですから。人生はすでに失われている----そう思えるときがたまにあるんです。私の人生はもうない、これは他人ための人生なんだって」

ghana-gender_003.jpg
crazinisT artisT, performance rehearsal for Rituals of Becoming, photo Dennis Akuoku-Frimpong, courtesy Gallery 1957, Accra

crazinistartist.com

Credits

Text Alice McCool
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.