日本において未開の領域とも言える「宇宙ビジネス」に着目。2017年9月に永崎氏が設立したSpace BD株式会社は、日本初の“宇宙商社”だ。なぜ宇宙なのか、そもそも宇宙ビジネスとは何なのか。宇宙とはまったく無縁の商社マンとして活躍していた永崎氏に、宇宙ビジネスと出会うまでのストーリーと、宇宙ビジネスへの想いを伺った。
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永崎 将利さん/Space BD株式会社 代表取締役社長
福岡県出身。早稲田大学教育学部卒業後、三井物産株式会社に入社。人事、鉄鋼貿易、鉄鉱石資源開発に従事した後、2013年に退職。独立後は主に教育事業を手掛けた後、2017年9月にSpace BD株式会社設立。著書「小さな宇宙ベンチャーが起こしたキセキ」(アスコム)。
OBの一言が、商社との出会いにつながった
― 大学卒業後、商社というフィールドを選択されたいきさつを教えてください。
体育会のテニス部に所属して、テニスに明け暮れた大学生活でした。ただ、就活の時期になっても目標となる業種や業界が見つからなかったので、OB会の先輩たちに会って話を聞こうと思いました。というのも、テニスばかりやっていた私にとって、社会との接点といえばすでに社会に出ているOBの先輩しかいないんです。幸い、体育会系はOBとのつながりが強いので、たくさんの先輩たちと話をすることができました。その際、ある先輩から「君は商社が向いている」と言われ、商社について調べ始めました。
― 数ある商社の中から、三井物産を選んだのはなぜですか。
会社訪問を重ねるうちに、一番肌に合うな、と感じたのが三井物産でした。三井物産には野武士感があったというか。九州出身で体育会系の私にとって、そうした野武士感がピタリとはまる気がしたんです。
― 三井物産時代は、人事、鉄鋼製品営業、資源開発と、ジャンルの異なる仕事を経験されているのすね。
新卒でいきなり採用の仕事を担当し、入社3年目に鉄板の貿易をする、鉄鋼製品部門に移りました。実は鉄鋼製品の営業って人気がないんですよ(苦笑)。じゃあみんなが行きたくないところで仕事をしよう、と自ら志願したんです。かなりハードな仕事でしたが、この部門で仕事をしたことで英語も必死に勉強したし、多くを学ぶことができました。
これまで社会で「商社不要論」というものが何度か話されてきたと思います。私がちょうど商社に入ったときも、ちょうど何度目かの波が来ている時でした。でも実際に仕事をしてみると、商社は取引の間に立つクッション的な役割を担っていて、業種や会社、仕事の間にある摩擦をすべて引き受ける立場。「人」にしかできない仕事だということを知ることができました。
出世はしたい、でも自分のポリシーは曲げたくなかった
― 仕事にやりがいを感じながらも、なぜ退職を考えたのでしょう。
鉄鋼製品の営業のあとに異動したのは、商社のなかでも花形と言われる資源開発部門でした。華やかでグローバルな環境のなか、海外のビジネスマンたちと対等にやりあううちに、自分の仕事のやり方や、自分はこうありたい、みたいな理想像が見えてきたんですね。でも組織に所属している以上、意思決定はできません。そこにジレンマを感じるようになりました。
自分が決定権を持つためには出世して上にいくしかない。けれども出世するには自分が大切にしているポリシーを捨てなければならないかもしれない。妥協して出世の道を選ぶか、頑なにポリシーを貫いて出世を諦めるか、と悩んだうえ、11年間務めた三井物産を辞める決意をしました。
自分が経営者になれば意思決定はできる、しかし現実は厳しい
― 退職への決意を駆り立てたものが「自分で意思決定したい」という強い想いだったのですね。
ええ、「意思決定」がキーワードでした。となると上司がいない環境で働く必要がある。ですから退職後に転職という考えはまったくなくて、独立しようと思っていました。
― 独立して起業するための具体的なプランはあったのですか。
それがなかなか見つかりませんでした。ただ、食べていかなければならないので、いろいろな仕事をしました。しかしうまくいかず、一応会社を立ち上げても赤字の連続。最初に売上として計上できたのは、健康機器の販売事業でした。ただこれも知り合いが生み出した商品で、私が作り出したビジネスではありません。自らが立てた社会への問いやビジネスモデルを達成するのではなく、他の人のビジョンを実現するための方法論のところにしか携われないことに何ともいえない虚しさを感じていました。
せっかく独立したのだから、納得のいく意味のある仕事がしたかった。そして思い浮かんだのが、もともと興味を持っていた教育事業だったのです。教育事業をスタートさせた後、いろいろな縁に恵まれて、ある公益財団法人の起業家育成事業を手掛けることになりました。
プログラムを続けていく中で、ある日、プログラムのオーナーである実業家に「君は日本を代表する経営者になれる。教育も素晴らしい仕事だが、自分が事業で成功したほうが説得力があって社会に良い影響を与えることができるのではないか?」とアドバイスを受けたんですね。その言葉で、事業をやろう、日本を代表するようなビジネスを生み出そう、と心に決めました。
自分から人に会いに行き、話をする。持ち前のフットワークが「宇宙」につながった
― その先に宇宙との出会いがあるのですね。宇宙とはどのようにして出会ったのでしょう。
事業をやると決めたものの、やることは決まっていませんでした。そこで人に会う旅に出たんです。とにかく人にたくさん会って、相談しよう、と。
― 就職活動と同じスタイルですね。
そうなんです。私の原点は「人と会って話をする」ことなんです。就職活動のときもOBとたくさん会いましたし、思い起こせば商社時代も同じでした。そうしたなか一人の投資家の方から「宇宙をやりましょう」と言われたのです。
― やっと「宇宙」というキーワードにたどり着きましたね。
とはいえ、宇宙なんてまったく考えてもいなかった。宇宙といえばロケット、ぐらいのイメージしか持っておらず、何しろ知識がありません。それに、ロケットって技術の塊でしょう。そこを事業にするなんてどうしたらいいのだろう、と。だからまた人にどんどん会って相談したんです。
私のようにアナログ的で熱いアプローチをする人はあまりいないようで、そこがチャンスを広げるきっかけにもなりました。こうした熱いアプローチやどんどん突き進む仕事のスタイルを欲している人が意外とたくさんいることもわかってきたんです。そしてもうひとつ浮き彫りになったのは、日本には宇宙に関する技術力はあっても、産業(ビジネス)とは結びついていない、という現状です。
だったら宇宙をビジネスとして捉えたら、それが新しい産業になるのではないか、と。そうして立ち上がったのがSpace BD株式会社なんです。
未知の世界への挑戦は厳しいけれど想像していた以上に楽しい
― 「宇宙商社」Space BDの誕生ですね。具体的にはどのような事業を行っているのですか。
一言ではうまく説明しづらいのですが…。基本的に宇宙事業というのは、国がやっていることなんですね。その宇宙をビジネスの対象と捉えてあれこれ事業化してるといった感じでしょうか。例えば成熟した産業が〇の形だとすると、宇宙事業はまだ産業としては成り立っていないので、ギザギザの☆型です。今はギザギザ部分を事業化して、少しずつ大きな丸を形づくっている段階です。
基幹事業はロケットの空き枠を仕入れてきて、宇宙に衛星を運びたい開発者の方を見つけ、ロケットで衛星を運ぶためのあらゆる手間を請け負うという仕事です。またその周りのバリューチェーンにも手を伸ばしていて、衛星を開発する上で足りない部品を代わりに調達したり、エンジニアによる技術的な支援などを手掛けています。
Image by ©SpaceX
©SpaceX
JAXAやSpaceXなどからロケットの空き枠を購入し、宇宙にモノを運びたい顧客を支援する
― Space BDは、商社的機能を持つだけでなく、社内にエンジニアがいる。それも特徴のひとつですよね。
Space BDを始めてすぐにエンジニアが必要だと実感しました。私は商社時代の経験から、営業なら任せて、という自信もありました。ところがやってみるとどうもうまくいかない。その理由は、交渉相手が技術者だからなんですね。私がいくら技術的なことを勉強したところで、対等に話ができないし、技術的な交渉ができないと先方には信用してもらえません。俗人的な関係から受注できても、案件を履行するためにはエンジニアが必要です。また、Space BDの強みであるスピード感や大胆な意思決定、企業文化を理解して、同じ船に乗って進んでくれる人がコアになってくると思い、社内でエンジニアを採用しています。
― Space BDが挑戦していることって、ないものを作り出していくことですよね。それは商社時代から永崎さんが得意なことだったのですか。
いえ、私はアイディアマンではないので、0→1の発明のようなものは得意ではありません。ただ、フットワークや縁を大切にして人をつないでいくことは得意かもしれません。コツコツ地道に考えて、点と点をつなげることで、ひとつの事業にを作り上げていくのが私のスタイルです。
過去の栄光・成功体験から自分をリセットする
― 前例がないものを切り開いていくときに、永崎さんが意識していることはありますか。
謙虚になり、ゼロベースで考えることでしょうか。人間、誰しも少なからず成功体験がありますよね。何かを始めるときは、過去の成功体験を参考にしがちです。もちろん、私の場合も商社時代の経験が仕事に役立つ部分はたくさんあります。でも成熟産業のやり方をそのまま宇宙の仕事に当てはめようとしてもうまくいかないんですよ。だから過去の成功体験は切り捨てて、あえて座りの悪い状態に自分を持っていくようにしています。
― そうすることはとても勇気がいりますよね。
私の場合、独立してから何もかもうまくいかなかった暗黒時代の感覚が今役に立っています。華やかな商社で仕事をして、成功体験も自信もあったのに、役に立たない。あの頃ふと「俺ってダメじゃん。自分が思っていたほど優秀じゃないな」と思ったんですが、逆にそれで気持ちが楽になって、人にもっと頼れるようになったんですね。
たくさんの人と出会って話をすると、自分よりも優秀な人がたくさんいることがよくわかります。だからフットワークを軽くして、どんどん人と話して、必要なら頼ればいい。たくさんの縁に支えられていることは私の財産でもありますから。今の社会って、仕組みに縛られているような気がします。そこにこだわらずに足で動いたほうがいいと思います。
Space BDが求める人材像とは
― 今後の事業拡大に向けて、経営者としてはどんな人と仕事をしていきたいですか。
素直でタフ、スピード感がある人ですね。自分たちが思い描く未知の世界に行くには、社内で意見をぶつけ合いながら突き進んでいかなくてはなりません。だからこそ謙虚さと、人に頼る素直さと、くじけないメンタルを持つ人材が必要だと思っています。そしてスピード感があれば、50人の組織で100人分の仕事ができます。会社の意思決定のスピードを落とさないためにも、悪い話をごまかさず、きちんと報告できる人が必要ですね。
― Space BDが誕生して5年。「宇宙」をビジネスのおもしろさは何ですか。
事業を立ち上げてから、全身全霊を込めて仕事をしています。この5年間、ものすごくおもしろいフィールドであることを日々実感しています。
宇宙って、存在としてもビジネスとしても、未知そのものですよね。ただ、考えてみると、「未知」のものって意外と少ないんですよ。だから好奇心や、自分の手で事業開発をしたいという野心の強い人にとってはものすごく魅力的だと思います。
逆に未知の分野だからこそぶつかる壁や苦しさもありますが、未知への憧れや苦しさって、人間のエネルギーを満たしてくれるものなのではないかと感じています。
文:伊藤郁世
撮影:Takuma Funaba
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