

原宿クエスト|33年のジンクス?「原宿クエスト」ビルの変遷:OMOHARA TIPS Vol.12
2025年8月現在、新築建て替え工事が進む原宿駅近くの「原宿クエスト」ビル。
2021年まで、PUMA直営店やGUの次世代型店舗「GU STYLE STUDIO」、原宿の有名美容室のひとつ「美容室MINX」も入居していた旧原宿クエストビルは、表参道・原宿のシンボル的なビルのひとつとして長年親しまれてきた。
しかし更にその前、その場所が元々なんだったかご存じの人はほとんどいないのではないか。新しく生まれ変わる原宿クエストビルの完成を待つこのタイミングで、その変遷を辿ってみよう。
商業施設として現在の場所に以前の原宿クエストがオープンしたのは1988年のこと。ショップや飲食店、イベント向けの多目的ホール「原宿クエストホール」を3Fに併設した4F建ての建物。以降、商業・文化発信拠点のひとつとして、2021年の閉店までおよそ33年間、表参道・原宿の街に存在していた。
当時の建築デザインについての記述は明確にされていないが、コンクリートのソリッドかつモダンな外観は当時、斬新なデザインとして受け入れられたのではないだろうか。

「原宿クエスト」(1988)NTT都市開発株式会社 より提供
この原宿クエスト、新築のビルも含め開発・運営はNTTグループの不動産会社「NTT都市開発」が手がけている。ちなみにJR原宿駅向かいの「IKEA」や「UNIQLO」がある「WITH HARAJUKU」ビルも同様だ。旧・原宿クエストのことを覚えている人は多いかと思うが、さらにその前を知っている人はほとんどいないだろう。
実際なんだったのかを調べてみると、意外にも面白い事実を知ることができた。
原宿クエストの開発が始まる1985年まで、なんとここは「旧・電電公社(現NTT)」のトップ・オブ・トップである総裁公邸の跡地だったのだ。

旧・電電公社(現NTT)総裁公邸の跡地(1985) NTT都市開発株式会社 より提供
電電公社は通称で正式名称は「日本電信電話公社」。この“公社”というのは、国や地方自治体が公共性の高い事業を行うために出資や貸付などで設立した法人のことで、民間企業とは異なる。当時の電話・通信事業を担っていた電気通信省から、1952年に移管されて発足。1985年に民営化され現・NTTとなった。
電電公社発足から33年の間、歴代の総裁が住んでいたのがこの総裁公邸なのだ。
初代:梶井剛 氏/ 2代:大橋八郎 氏 / 3代:米沢滋 氏/ 4代:秋草篤二 氏/ 5代:真藤恒 氏
これらの歴代総裁5名が、この電電公社総裁公邸に居住していたそうだ。原宿クエストの元を辿ると、旧・電電公社総裁が住んでいた場所にたどり着くのは、なんともただならぬルーツを感じる。そして、公社の発足から民営化まで33年、果たして偶然なのかシナリオ通りなのか、旧・原宿クエストの営業も33年というのが面白い。
そんな土地に、次なる33年?のフェーズを象徴するビルがまもなく完成するというところ。NTT都市開発に問い合わせたところ、現状、オープン時期は現在非公開のためお答えできないとのことだったが、それでも少しづつ新しい原宿クエストがその姿を見せ始めている。

撮影:KO TSUCHIYA 「原宿クエスト」オフィシャルサイトより
内容は未だ謎のヴェールに包まれ、ミステリアスな存在感を放つ原宿クエストだが、ルーツを含めここまでの話を聞いていると“クエスト”という“探求や冒険”を意味するネーミングがとてもしっくり感じる。旧建物から名前がそのまま引き継がれていることに、NTT都市開発側のその思いの深さを感じないだろうか。
オランダ出身の建築家レム・コールハースらによって1975年に設立された世界的な建築設計事務所、「OMA」に所属する重松象平による建築設計ということで、デザインや都市景観も注目される新しい「原宿クエスト」。
まだ入居テナントなど詳細は一切明かされていないが、サイトには新たな原宿クエストのキーヴィジュアルらしきアートワークが掲載されていた。

Illustration : ELLYLAND 「原宿クエスト」オフィシャルサイトより
開発者であるNTT都市開発の思いと歴史を乗せ、表参道・原宿の街の玄関口で原宿クエストがどのような“冒険探求”の歴史を紡いでいくのか期待が高まる。

OMOHARAREAL編集部2025年8月18日撮影
■原宿クエスト
住所:東京都渋谷区神宮前 1-13-14
URL:原宿クエスト オフィシャルサイト
Instagram:@harajuku_quest
最終更新日:
ADVERTISING
PAST ARTICLES