「銀座で屋外ファッションショーを実現したい」ギンザファッションウィーク仕掛人 太田伸之
2012年02月14日 09:00 JST東京・銀座の百貨店「松屋銀座」と「銀座三越」による初のコラボレーション企画「GINZA FASHION WEEK(ギンザ ファッションウィーク、以下GFW)」が、2011年10月に開催された。3月に予定されている第2回では、銀座初の路上ファッションショーが計画されているという。この一大イベントの仕掛人としてリーダー役を務めているのは、松屋常務執行役員MD戦略室長の太田伸之氏。80年に渡ってライバル関係にあった2つの百貨店を、なぜ連携させたのか。その理由や反響、そして太田氏が考える百貨店の役割について語ってもらった。

太田伸之(おおた・のぶゆき)
1953年 三重県桑名市生まれ。明治大学経営学部卒業後ニューヨークに渡り、繊研新聞通信員、BARNEYS NEW YORKコーディネイターなどを務める。1985年に帰国し、東京ファッションデザイナー協議会(CFD)を設立。1995年CFD議長を退任、松屋の東京生活研究所専務取締役所長に就任。2000年 イッセイ ミヤケ代表取締役社長に就任し、2010年に退任。現在、JFW(ジャパン・ファッション・ウイーク)推進機構理事としてコレクション事業を担当。2011年5月 松屋の常務執行役員マーチャンダイジング戦略室長に就任。
■百貨店にはまだやれることがある
ーGFW構想のきっかけは?
東日本大震災の復興支援のため、2011年4月に「松屋銀座」全館を上げて開催したチャリティーイベント「4.20 Message」です。松屋が媒体となって、真っ先に協力してくれた海外の著名デザイナーや取引先、そしてお客様がひとつの方向に動いたイベントでした。出来る限りのことをして集まった支援金で、被災地の子供達のために絵本を買って寄付をして、喜んでもらえることが出来ました。その時に、「百貨店にはまだまだやれることがある」と感じたんです。
ーそこで百貨店の役割を再確認した、ということでしょうか。
改めて「百貨店は皆をつなぐ役割なんだ」ということを認識しました。それなら今度は、もの作りから販売までネットワークを生む、「プロデューサーの役割をしていこうじゃないか」と考えたことが、新企画の発端です。
ーライバル百貨店同士を協力させた理由は?
震災の後、節電の影響もあって暗かった銀座の街を「百貨店が明るくしてよ」という声がありました。そんな銀座で隣合わせている百貨店「銀座三越」と「松屋銀座」は、これまで80年間に一度も手を組んだことがないというライバル同士だったんです。でも、隣同士でライバルだからこそできることがあると思って、三越伊勢丹に「一緒に銀座を明るくしませんか」と声をかけました。

ー初開催のGFW、その目標は?
2つの百貨店による初めての合同イベントGFWの共通の考えは、「街を明るくしよう」「若手デザイナーにチャンスをやろう」「日本の匠の技術を後押ししよう」の3つ。銀座から日本を元気にするために、第1回のテーマは「JAPAN POWER ~日本人の底力~ 」に決めました。「銀座三越」と「松屋銀座」の共同企画を立て、2つのロゴが並んだショッパー(紙袋)を作りました。一方で、お互いに隠し球を持って、対決させる企画も立てました。当然、ライバルには負けたくありませんから商品開発や独自企画には力が入ります。企画する者やそれを売る者がワクワクしなければ、お客様もワクワクするわけがありませんよね。
ー「Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO(メルセデス・ベンツ ファッション・ウィーク 東京)」とも連動しましたね。
銀座の活性化を目指しながら、デザイナーを支援。そして東京のファッションウィークと連動して開催することで、「東京でファッションのイベントがやっている」という街全体の空気を作ることを考えました。
ー第1回GFWの反響や、得たものは?
本番では、新聞やテレビが大きく取り上げてくれたこともあって、思った以上のお客様が両店に来店してくれました。買い回り客も多かったようです。このイベントを通じて、バイヤー含め各スタッフが外部とやりとりすることで、新鮮な刺激になったようです。内部的にも得たものが大きかったのではないでしょうか。その後、松屋の売上も回復に転じて持ち直しています。

ーイベントを終えて、何か課題点はありましたか?
初回は準備期間が少ない中、両店が協力してよくやったと思います。ただ、ここで大事なのは「続ける」ということ。一回目が上手くいって満足してはいけないし、イベントがマンネリ化したら一気につまらなくなる。それでは、やる意味がないんです。課題があるとすれば、2回3回と続けるごとにバージョンアップしていくこと。「銀座からムーブメントを起こす」という根性をもって、真剣に面白いことを仕掛ていきたいと思っています。
■銀座からデニムを流行らせたい
ー3月に開催が予定されている第2回GFWのテーマは?
次回のテーマは、「ジャパンデニム」です。きっかけは、人気が高いヨーロッパブランドのハンドバッグに日本のデニム素材が使われていたこと。通常のデニムは斜行する性質があってどうしても歪んでしまうのですが、そのバッグには日本だけの歪まないデニムが使われていたんです。でも「日本製」とはどこにも書いていないので、売場で手に取るお客様はその事実を知らない。世界に冠たる日本の匠の技術をわかりやすく伝えていこう、という思いから「デニム」に決めました。
ーデニムを使った企画について教えてください
日本を代表するデニムメーカーのカイハラと協力し、質の高い「カイハラデニム」を使った商品開発を進めています。テーマを決めたあと、三越伊勢丹の幹部と広島県のデニム工場を視察しました。工場から持ち帰ったのは、通常は廃棄されているデニムの耳(生地の両端部分)。これを、婦人服、紳士服、子供服、呉服、リビングと各担当バイヤーに渡して「これで何が作れるか」と宿題を出しました。これらが今、想像以上に面白いものが出来上がってきているんです。帽子、バッグ、草履、藍染めの着物や帯にも挑戦していて、これがなかなか格好いいんですよ。イベントのノベルティは、デニムで出来た扇子。こんなに薄いデニム素材があるなんて、まだまだ可能性がありますね。

ー次回のファッションショーの計画について教えてください。
次回どうしても実現したい目標が、屋外ファッションショー「GINZA RUNWAY」。予定日は、3月24日土曜日。銀座中央通りに100mのカイハラデニムを敷いて、デニムのファッションショーを開催する計画です。実現したら、銀座エリアの活性化はもちろん、世界にだって発信できるでしょう。パリの百貨店ギャラリー・ラファイエットが昨年、一般モデル700人による屋外ファッションショーを開催したことを知って、「パリで出来て銀座に出来ないわけがない!」と、一気に動き出しました。でも、実はまだはっきり開催することが決まっていないんです。
ー実現の可能性は?
「GINZA RUNWAY」を実現させるには、多くの壁があります。まず、経産省や国交省、東京都、警視庁など9つもの許可が必要で、その全てが揃わないと実施することが出来ない。なんて規制が厳しい国なんでしょうか。聞くところによると、東京マラソンは42.195kmの許可に7年かかったそうです。でも我々は、たった100m。「絶対にやってみせる」という信念で、担当者が関係省庁を何度も説得に回っています。なんとか難関を突破して、最後に地元商店街理事会の審議を残すのみ。実現まであと一歩です。
ー春夏コレクションでデニムを打ち出している日本のブランドは少なくありませんでした。デニムブームが来るかもしれません。
銀座から火を付けたいですね。デニムの流行には波があって、今はきっと谷底に近い。市場は縮小していて、デニムを扱う工場は今、最盛期の約7割の生産量だそうです。次回のテーマ「ジャパンデニム」には、そういった産地の願いも込められているんです。デニムの次には、また違ったテーマで産地を掘り起こしたいと思っています。
■百貨店の次の一歩
ーGFWの次のステージは?
まずは前回よりたくさんのメディアに報道してもらって、より多くの人に銀座に来てもらいたいですね。日本が持っている素晴らしさを日本の人に伝えることが出来たら、次に目指していきたいのは世界。GFWは「B to C(企業と消費者の取引)」のイベントですが、将来的に「B to B(企業間取引)」として海外で売ることも視野に入れています。例えば両社が今、産地やデザイナーと取り組んで開発しているデニムの商品を、海外で通用するレベルまでもっていきたい。銀座を発祥に、日本の匠やデザイナーを支援しながら世界へ発信することが目標です。
ーGFWを指揮する中で見えてきたことや、百貨店の次の一歩に必要なことは?
今は何よりイノベーションが必要。変えなければいけない時にきています。面白いことや新しいことを生みだしていくには、お金も労力もかかるでしょう。イノベーションには、必ずネガティブな側面が伴うもの。でも、ネガティブからは何も生まれません。特に日本人は決まりだなんだと難しい理由ばかりつけて、動き出すのが遅い。スピード感が大事です。枠を超えてこそ、初めて新しさが認められるもの。私は、新しいことを新しい人に、つまり若い人にどんどん前に出てやってもらいたい。GFWを機に、また次を仕掛けていきたいと思っています。
