連載「ふくびと」mastermind JAPAN デザイナー本間正章〜15年で完結するブランドの使命〜

2010年08月26日 19:45 JST
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 オール日本製の"ラグジュアリーなリアルクローズ"を提案し続ける 「mastermind JAPAN(マスターマインド・ジャパン)」は、驚くほど上質なクオリティと遊び感覚を兼ね備えた世界唯一のブランドだ。商品は100万円を超えることも珍しくない。これを手がける本間正章氏は、まさに「ふく(服・福)」と常に真剣に向き合い続けてきたデザイナーだ。そんな本間氏が、2013年をもってブランドを休止とすることを決めた。その本当の理由とは。苦労の時期からこれまでの軌跡をたどりつつ、アイコンであるスカルに込める思いや、15年間で果たすべき「mastermind JAPAN」の使命について迫った。

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 本間氏は新潟佐渡島出身。美容関係の仕事をしていた両親が「イッセイミヤケ」や「コム デ ギャルソン」「ワイズ」などの服を着ているのを見ていて、たまに隠れて着ていたという少年時代を過ごす。そんな親の影響を強く受け、後を継ぐことを決心して美容学校に入学。その後、憧れだったロンドンへ。あらゆる音楽やカルチャーに影響を受け、そして自分自身の将来について葛藤するうちに、徐々にファッションの道へと心が動かされていくーーー。


■ヨウジヤマモトへの入社をきっかけにファッションの道へ
 美容学生の頃、日本の型にはまってしまう前にイギリスの空気感や感性やセンスを学べたらと思って、憧れのロンドンに飛びました。音楽にも興味があったので、当時はカルチャー・クラブやデッド・オア・アライブなんかがカッコよく見えましたね。でも、少なからず自分に美容のセンスがないことがわかってきて。負けず嫌いなんで、同じ業種だったら親を超えられない。でも後を継がないといけない。そういった葛藤があって悩みました。そうして帰国したんですが、その後ちょうどヨウジヤマモトの本店に採用されて。最初は「ファッション業界も見てみたいな」といった単純な気持ちでした。

 そこで本店の販売として働いたのは6年半。もともと絵を書くのは好きだったので「デザイナーになってみたい」と思うこともあったのですが、でもそこで目の当たりにしたのはデザイナーの仕事の凄さ。仕事量にしてもクリエイションの高さにしても、何も知らなかった自分が恥ずかしいくらいの衝撃でした。相当の労力とセンス、あらゆるものが揃っていないと到底なれない職業だと思いましたね。

 販売の仕事では、たくさんの人に知り合うことが出来て人脈が作れたり、素晴らしい経験が出来たんですが、「ヨウジヤマモトの本間」という看板がだんだんと歯がゆく感じていたんです。かといって自分に何か出来るわけではなかった。それなら一度看板をはずして自分自身を見つめ直す事が必要ではないかと。そして25歳で仕事を止め、新人デザイナー達の服を扱うショップのマネージャーに。そこで約1年間、デザイナー達を応援するような仕事をしました。まだ無名だった「ミナ・ペルホネン」や「ヤブ・ヤム」、「ナショナルスタンダード」、「ビューティービースト」など、彼らのファーストコレクションを取り扱ったりしていたんですが、新しい波といったような「何かが変わっていく」そんなエネルギーがありましたね。そこで新人デザイナー達の苦労や試行錯誤している様子を見てるうちに、自然と「自分だったらこうする」とシュミレーション的に思い始めて。そして1997年に立ち上げたのが「マスターマインド・ジャパン」です。でも、そこが苦労の始まりでした・・・。

■ブランド名につけられた"ジャパン"の意味
 立ち上げの時、ブランド名になんで「ジャパン」を付けたのか、実はあまりはっきり覚えていないんです。おそらく「自分は日本人だ」というようなプライドを持ちたかったんですね。でも、当時は「〜ジャパン」なんていうのがちょっとカッコ悪いといったような感覚があって、会う人に「なんでジャパンなんてつけたの?」なんて言われたりして。今でこそ「日本の素材や技術を世界に認知してもらう」という事をやっていますが、「日本のブランド」という誇りのようなものは立ち上げ当時から持っていたんだと思います。そのポリシーは今にも通じていますね。


■売れない苦労の連続、あるバイヤーの一言がターニングポイントに
 実際ブランドを始めてみたら、何も上手く行きませんでした。生地、縫製、何も知らない自分を思い知らされて、工場にだまされたこともありましたし。売れなくて苦労しながらもなんとか続けて、東京でファッションショーを開いたり、自分ではやれることはやったような気はしていました。でも、ショーでは席が空いてる、展示会を開いても人が来ない、といった状態。そうこうしているうちに3年がたって、残ったのは言えないくらいの金額の借金。そのうち限界を感じて、才能がないんじゃないかと自覚し始めて。でも、自分に最終烙印を押す何かがないと諦めきれないし、関わっている人たちに申し訳がない。それで海外へ行く事を決めたんです。パリの展示会で服を見せて、それで「才能ないよ」といわれたら辞められる。その言い訳を探すために、もしくは最後の賭けだったと言ってもいいかもしれませんね。

 パリの展示会ではいろんな国の人たちがブースに来て、良いよ悪いよと言いながら、でもしっかり見てくれました。そこで、日本でこれだけちゃんと見てもらったことないなと思ったんです。もっと見てもらいたいと思って次のシーズンもパリへ。往生際が悪いですよね。2回ともオーダーが付いた訳ではなくて、同じような結果でした。ただその時、1人のバイヤーが「センスはいいけれど、価格と商品のバランスが合ってないよ」と言ったんです。イコール値段を下げないと売れないということでした。4000円のTシャツですら高いと言われていたんですが、これ以上価格を下げる術を知らなくて。何をやっていいかわからなくなりましたね。