Mikio Sakabe

すべての価値がフラットになってしまった世界から新たなラグジュアリーへのヒント

坂部三樹郎

MIKIO SAKABEデザイナー

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 ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、パリのファッションウィークが終わり、今週は東京で次の秋冬に向けたコレクションが発表されている。3月21日には、次世代の東京デザイナーの多くの発表が重なっていた。せっかくなので、見て感じたことを書こうと思う。

 書く前にまず踏まえておきたいことがある。ファッション関係者なら皆が気付いていることだが、アパレル産業はもう基本システムが破たんしているということだ。それはプレタポルテの流通を含め、今後デザイナーがブランドをやる上で従来のシステムでビジネスをしていくのは、ほぼ不可能である。

 世界的に見ても徐々にその傾向は強まっている中、特に日本は元からメディアもショップも教育も、全てにおいてしっかりと成り立っているところがあまりない。成り立っていないデザイナーが成り立っていないメディアに、これは素晴らしいとか未来があるとか、成り立っていないセレクトショップに売れるといった話を毎シーズン繰り返している、狭い世界なんだと思っている。

 ただそれは、今のデザイナーやジャーナリスト、もしくはショップバイヤーを否定しているわけではない。もちろんファッションは衰退していないし、次の世界に向かって、今も見えないところで生まれてきているんだとも思っている。今の1970年あたりから続いている流通システム自体が、現代のファッションを捉えられなくなってしまったということだ。

 ファッションそのものは絶対的なものではなく流動的で移り変わっていくものだし、そのためのシステムも常に寄り添って時代に合ったシステムになっていかなければならない。

 僕はデザイナーがショーをやることは否定的ではないし、そのこと自体は古いとは思わない。ファッションを体感する上では今でも純粋に強度があると思う。

 彼らの目指すデザインが、実際に次の世代のファッション流通システムに乗っていくヒントがあるかどうかも見ていきたい。ぼく自身ももちろん模索中ではあるが、ヨーロッパからの流れを元に、それを2〜3テンポ遅く日本での評価軸にして、何がいいとかの話をしていく必要はないと思っている。

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 21日朝、まず見たのが「ケイスケヨシダ(KEISUKEYOSHIDA)」だ。

 彼のデザインは一言で言うと、とてもミーハーで素直。ファッションが好きで、現代の若い子がデザインしたらこうなるのかなと思うものが、形になっている。自分の好きなものをシーズンごとに消化して、それを吉田本人の愛想のいいキャラクターとどう同化するか。彼のやり方はデザインそのものを切り離してはいないと思う。実際に買っている人は、卸のショップではなく直接受注会に来てくれている。お客さんと直に会って話したりする中で、本人の印象とコレクションから受ける印象がうまく重なった時に、着てみたいなと思わせるようなブランドである。

 今回のショーでは、いつものダメな感じや、ダサさの中のチャーミングさを売るようなデザインは抑えて、もっと柔らかさと緩やかさの中に、吉田なりのファッションのカッコよさやあこがれのようなものを表現したように見えた。

 この気持ちの移り変わりは、時代とも重なっている。リアルさやストリートをそのまま押し出しているような「ゴーシャ・ラブチンスキー(GOSHA RUBCHINSKIY)」や「ヴェトモン(VETEMENTS)」の初期がそうだったが、ヒントになったというよりも、それらの出現によって全てがフラット化してしまった。

 心に訴えかけるような新たなラグジュアリーは、次の最も大事なキーワードの一つだと思える。旧時代のものの価値、つまり高価な生地やテーラードのテクニックなどはもうラグジュアリーとしての差別化にはならない。むしろそこからファッションはすり抜けてしまい、存在していないかのようにも思えてくる。

 これからのファッションラグジュアリーはまだ皆が考え始めたばかりだけど、見る側や着る側のインテリジェンスとの調和の中で現れていくのだと思う。ケイスケヨシダは彼なりのチャレンジに向かって、ただカッコ良いものをエレガンスとしての表現にするよりも、素材をスポーツ素材にしてドレープを軽くさせたりフルーツのプリントを入れたり、もっと等身大で模索しているように見えた。今シーズンのみでの判断というよりも、ベクトルとしての面白さが感じられたコレクションだった。

>>KEISUKEYOSHIDA 18年秋冬コレクション


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 次に見たのが「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」である。

 今季はインスタレーション方式で発表を行った。僕が思う彼女のデザインの面白さは、本人の持つ自我の強さがコレクション全体を統制しようとする力に、自分自身がブレを作り、その振動が見る側に伝わってくること。

 今回のインスタレーションも、女性らしさの中に特徴のあるシェイプを入れて、その上5人のモデルの内の1人はスプレーでアキコアオキの作り上げる服そのものを自ら破壊し、それ自体を内包して見せた。

 彼女の良さは、王道のようでとてもずれた一面を常に抱え続けているところのように思える。ただ日本では保守的な部分での評価が主流になっているので(LVMHプライズのショートリストにノミネートしたとか)、もっと自分から多角的な動きがないと、それこそ古いファッションシステムの中で徐々に失われてしまうかもしれない。それは先述したようにアパレル産業内での評価を受けすぎると、ある意味で産業外を見る機会を失ってしまいがちになるからだ。

 評価とは賛否があるものがいいと思っている。大嫌いと大好きどちらも存在するときに、新たな扉が開かれてるものである。皆が絶賛するものは、ある種もう存在する価値観の焼き直しとも言える。ただ青木はそのような評価軸の中であっても、本人すらコントロールできないブレを持っているのが本質的なんだと思う。

 ファッションそのものは一貫性がないし、時代と主に移り変わることそのものである。そんな辻褄が合わないことと常に対峙し続けるのは、ファッションデザイナーの在り方の基本かもしれない。

>>AKIKOAOKI 18年秋冬コレクション

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 次は「リョウタムラカミ(RYOTAMURAKAMI)」を見た。

 彼はもともと「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」で働いていて、いまは独立して7シーズンほど。本質的に彼のクリエイションは山縣(良和)君と少し隣接しているところがあるように思う。

 今回の村上のショーは、見ていてとても複雑な気持ちになった。デザインに関してはわかりやすく訴えかけてくるような作りで、クオリティや技術が無くてもクリエイションはできるということを見せていこうとしているのかもしれない。もちろん僕自身もそれは信じているし、そうじゃないと純粋なクリエイションはお金がないとできないものになってしまう。そういう意味では彼自身が打ち出そうとしているクリエイションそのものの力を、僕自身が体感したかった。

 ただ、これは諸刃の剣でもある。このやり方で人の心に訴えるには、ある種のバロメータを振り切らなければならない。見る側に理性や知識での判断ではなくココロで見てもらうには、作る側の振り切りがないと冷めて見られてしまうこともある。彼のやろうとしている方向は夢も希望も感じるが、今回に関してはむしろクオリティが心配になるほうに心が動いてしまった。

 もちろん見せる場所によっては評価基準は違うと思う。ロンドンのデザイナーたちはクオリティに関して多くのデザイナーはそこまで高いものではないし、見る側もそこでの評価を軸にはしていない。ただ、東京で見せる事も彼が選んだ選択肢である。ファッションは関係性の中に生まれるもの。同じ服や作品を発表するとしても、それがどの時代でどの場所で発表したかによって価値は180度変化する。つまり服そのものが入れ物としてファッションが宿るのではなく、そこにある関係性にファッションは宿るものだと思っている。そういう意味では、村上が今回やろうとしたファッションとの関係性が、少し共鳴できてないようにも感じた。

>>RYOTAMURAKAMI 18年秋冬コレクション

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 「パーミニット(PERMINUTE)」は、この中では最も若いデザイナーである。2回目のショーとなる今回、僕は強く可能性を感じた。彼のクリエイションはもともと学生時代から見ている。彼もファッションが大好きで、たしか「アンダーカバー(UNDERCOVER)」を着ていた。

 ただ、学生時代はずっと砂の研究をしていて、砂を研究する中でファッション性を見出そうとしていたが、正直最後まで形にはならなかった。その理由として、彼は作るデザインの中に本人らしさがない、オリジナリティの存在を感じられないという部分があった。

 物を作る上で、その人らしさがあるかどうかは大切だと思う。その人らしさとは人間そのもので、そこに存在する人は同じ人が2つとない。それくらい当たり前のことだけど、その人の作り出すものにその人らしさがあることで唯一無二の存在になるし、人から求められていくんだと思っている。ファッションデザインはデザインを良くしていくという作業だけではなく、デザイン自体が作った人自身を魅力的にみせるものだとも思う。それはファッション教育の中でも大切なことだと思ってきたのだけれど、半澤のショーを見てそれすらも考え直したほうがいいと思うくらい、新鮮なものが感じられた。実際ショーを見ても半澤らしさを感じはしなかった。だけどファッションのセンスを感じる。不思議な感覚だった。もしかしたらオリジナリティなんて無くても、永遠のリファレンスやリズムだけでファッションになる時代なのかもしれない。よくファッションが他のクリエイションと違う特徴として、フレッシュかどうかが大事だという話をする。ファッションは見た人が新鮮に思うかどうかは大事な部分だと思っている、そして鮮度とは頭で考えるものよりも五感で、もしくは六感で感じるものなのかもしれない。

 鮮度は生命そのものと関係していることだし、ファッショナブルな人は生命力にあふれているようにも感じる。そんな生命のようなファッションを創作するのに、本人らしさや存在を感じられないのはとても難しいことのようにも思えていた。

 しかし現代は、正直どんどんコンピューターが進化してロボットも進化して、生命そのものが人工物にさえも宿ろうとしているようにも思える。膨大な情報を毎日味わえる現代において、その情報のつなぎ合わせ方やその作る心の軽さそのものが、オリジナリティを持つよりもファッションの流動性と相性が良くなり、生命にさえなれるのかもしれない。そう感じるようなコレクションだった。まさに水が流れていくように、自己が無くそれでいて軽く、自由な広がりを持っている。もちろんこのやり方はセンスそのものでもあるから、自分がもし不安になったりうまくいかない時の、柱のような存在がない。

 オリジナリティとは良いも悪いもクリエイションを続けていくための自分の道しるべのようなものだし、長い目で見るとそこに寄り添うことも大切に思える。だけど新たな時代の希望のようなものを感じることができた。とても心地よいショーだった。

>>PERMINUTE 18年秋冬コレクション

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 次に見たのが「ヨウヘイオオノ(YOHEI OHNO)」のインスタレーションである。

 彼自身とは最近話すきっかけがあって、今回のインスタレーションを見に行くことになった。今日見たほかの日本人デザイナーとは少し違った、言ってみれば王道のルールにちゃんと則ってデザインしようとしている。意識的にしているんじゃないかと思う。実際に見た服は、東京でファッションデザイナーとしてどうやってビジネスを作り出せるかという課題の中で作られているようにも見えた。

 ただそんな彼が作る服の面白さは、葛藤の中から意図せずにもにじみ出ている部分にある気がした。彼の作り出す服の中に、男性と女性が両方混ざり合うことなく共存している。彼は女性に心を陶酔するわけでもないのにそれを人一倍求めている。無機質でいて有機的な存在を作り出そうとしている。今季のデザインはそんな悩みの中にもあるように見えた。今後その葛藤からどの道に進んでいくかは、とても楽しみである。

>>YOHEI OHNO 18年秋冬コレクション

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 最後に見たのが「ヘヴン タヌディレージャ アントワープ(HEAVEN TANUDIREDJA ANTWERP)」のショーだった。新人というわけではないが、服を発表し始めてからは、まだ3シーズンほどだろう。

 彼は僕が「ミキオサカベ(MIKIO SAKABE)」のコレクションデビューの時に、一緒にコラボレーションをしたことがある。その頃から彼は10年以上ジュエリーデザインをしてきたが、初めてファッションショ-をやるということで、とても楽しみだった。

 ショーを見て思ったことは、やはり彼がとてもすごい美意識でコレクションを作っているということだった。ジュエリーはもちろん美しいし言葉を失うくらいの存在感なのだが、PVC素材に手で穴をあけて作ったスカートやドレスも、普段みるプラスチックのような質感を全く感じさせない違ったものに仕上げていた。超高価なものと普段見るものを変化させて品を出し、1体の中に融合させている。全体の印象としては、ただのヨーロッパからのエレガンスにとどまらず、彼が生まれたインドネシアの匂いや湿気までもが感じられるようなショーだった。

 ここにもすべての価値がフラットになってしまった世界から、新たなラグジュアリーへ進むヒントがあるようにも思えた。もちろん彼は日本人ではない。育った環境は違うからこそ、そこに存在することすら気付かないラグジュアリーを提案していた。

>>HEAVEN TANUDIREDJO ANTWERP 18年秋冬コレクション

 長くなってしまったが、これが3月21日に見たコレクションの僕なりの感想である。ファッションは様々な調和の中生まれるものだと思っている。

 もしかして オフィスでショーの動画を見ていたら違った印象かもしれないし、1週間後にショーが行われて、その日が雪じゃなかったら何にも心に働きかけなかったかもしれない。とても流動的でつかみどころがない。 だけどファッションは確実に存在している。そんな矛盾そのものが、とても魅力的だと思っている。

坂部三樹郎

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