OMOHARAREAL

STUDIO VOICE、BRUTUSなどの雑誌デザインを手掛けた藤本やすしが語る原宿の歴史

OMOHARAREAL

表参道・原宿のインフォメーションメディア

フォローする:

— ADの後に記事が続きます —

『STUDIO VOICE』『BRUTUS』雑誌デザイン界の父・藤本やすしが明かす、原宿セントラルアパートの伝説、同潤会青山アパートの秘話

 『STUDIO VOICE』『VOGUE JAPAN』『BRUTUS』『GINZA』など様々なファッション・カルチャー誌のアートディレクションを手掛けてきたデザイン集団CAP代表・藤本やすし氏。90年代からこの街で存在感を放ち続けるギャラリー「ROCKET」の運営者としても知られる彼は、オフィスをこのエリアに構え続けることはもちろん、時に表参道ヒルズ内住居フロアの一室を借りるなどの強い接点を持ちながら、街の移り変わりを眺めてきた。原宿セントラルアパートで衝撃を受けた糸井重里氏から、今を代表する写真家・奥山由之氏&フードエッセイスト・平野紗季子氏夫妻まで、エディトリアルデザイン界の父が目撃した様々な街の記憶を語る。

【Profile】
1950年生まれ。愛知県出身。武蔵野美術大学卒業。平凡社へ入社。1983年CAPを設立。『流行通信』『Olive』『STUDIOVOICE』『VOGUE JAPAN』『GQ JAPAN』『BRUTUS』『CasaBRUTUS』『GINZA』などの雑誌、ルイ・ヴィトンなどのファッション広告やDMなどのディレクション&デザインを手掛ける。1996年に同潤会青山アパートにギャラリー「ROCKET」をオープン。同ギャラリーは複数回の移転を経て、2016年に表参道ヒルズ同潤館に復活。

インタビューは南青山の路地裏に構えるCAPのオフィスにて。自身でアートディレクションを手掛ける『BRUTUS』のバックナンバーがズラリ。1980年5月の創刊号から全て揃う貴重な空間

 「東京生まれの友達に車で連れてきてもらって、窓越しに眺めながら街を一周したんです。『ここが今最先端の街だよ』って言われたんだけど、正直ピンと来なかった。普通のアパートが連なった住宅街で、たまにカフェが点在してるという感じだったから。最先端って言われて近代的な建物が連なっている景色を想像してたからね。その後も何度も原宿に来たけど、僕が訪ねるのはお風呂のないアパートに住むような友達の家ばかりだった。今考えるとあのあたりがその後『裏原』になっていったんだと思うけど。当時盛り上がっていた原宿セントラルアパートを知ったのはもう少し後でしたね」

原宿セントラルアパート1Fに存在した伝説の喫茶店『レオン』店内(撮影:染吾郎) 中村のん氏INTERVIEW記事より

 原宿セントラルアパートとは、"クリエイターのトキワ荘"とも呼ばれ、写真家・繰上和美氏、イラストレーター・宇野亜喜良氏など、レジェンドクリエイターを多数輩出した現在も語り継がれる伝説的アパート。

 「僕が原宿セントラルアパートに出入りするようになったのは出版社を退職してデザイナーとして独立した80年代。仲のいい友達がオフィスを持っていたからたまに訪れていたけど、すごい雰囲気でした。スタークリエイターが集まるカフェ『レオン』なんかは、怖くて一度も入れませんでしたね(笑)」

 そう語る藤本氏だが、当時セントラルアパート内で目撃した"ある光景"が、彼に大きな影響を与える。

それまでは新宿のカルチャー界隈で活動していた藤本氏「ゴールデン街とか、新宿は新宿でバイオレンスの怖さがあったけどね(笑)」

 「友人のオフィスと同じ階に、コピーライター・糸井重里さんのオフィスがあって。バレンタインのときにたまたま通りかかってふとドアの前を見たら、プレゼントの箱が山のように積んでありました。ロックスターみたいですごいな、僕も糸井さんみたいになりたいと思った(笑)。今では当たり前になっている『コピーライター』という肩書きを最初に使ったのが糸井さんだったんだけど、彼を真似して僕も自己プロデュースということを強く意識するようになりました。当時は雑誌のデザインをする人って『レイアウター』と呼ばれてて職人仕事をする地味な存在だと思われていたのですが、僕は『マガジンデザイナー』と名乗り始めた。そんな言葉はなかったし気取ってるみたいで本当はすごく恥ずかしかったけど、結果的に僕もそこそこ知られる存在になれましたね。髭を生やしたり丸い眼鏡をかけたり帽子をかぶったり、他にもいろいろしたんですけど(笑)」

 「表参道で働くなんて夢のような話だと思っていた」と話す藤本氏は、90年代に表参道にオフィスを移転し、その後この街から離れることなく現在に至る。

"若手アーティストの登竜門"! ギャラリー「ROCKET」誕生秘話

 日本初の"マガジンデザイナー"として様々な人気カルチャー誌のアートディレクションを手掛け、業界内で確固たる地位を築いた藤本氏。1996年に、現在もアートファンから熱く支持されているギャラリー「ROCKET」をオープンした。場所は、現表参道ヒルズの土地に存在した、日本初の鉄筋コンクリート造アパート「同潤会青山アパート」の一室。当時の街のシンボルとして愛される場所に、マガジンデザイナーである彼がギャラリーをつくった理由とは?

 「雑誌のデザイナーとして知名度が出てきて、僕に作品を見せにくるクリエイターが増えてきたんです。イラストレーターやフォトグラファーとかね。それで、雑誌以外にも彼らの発信の拠点を作りたいという想いが湧いてきた。一方、僕も僕で雑誌の仕事をしながら『デザイナーではどんなに頑張っても編集長になれない』ということに不満を感じていたりもして。そこで、自分が選んだ好きなクリエイターの作品を、ページをめくるように毎週紹介する"雑誌のようなギャラリー"を作り、自分が編集長になりたいと考えたんです」

書籍『ROCKET』に記録されている同潤会青山アパート。1階左端が当時の初代ROCKET。佐藤可士和氏、蜷川実花氏など様々なクリエーター&アーティストが展示を行い、現在は「若手アーティストの登竜門」とも呼ばれている

 藤本氏によって多くの才能ある若手クリエイターが発掘されていく名ギャラリー「ROCKET」はこうして誕生したが、その裏には、ある人物のサポートも存在していた。

 「同潤会にギャラリーを出したいという願いを叶えてくれたのは、ラフォーレ原宿の佐藤勝久館長(当時)でした。いずれ同潤会は取り壊され、森ビルによって新しい建物に生まれ変わることが決まっていたのですが、ラスト数年間、空き部屋を安い賃料で貸してくれることになったんです。当時表参道のシンボルであった同潤会の一室なんて、高くて普通には借りられませんからね。僕以外にも、同じような形で空き部屋を借りて運営しているギャラリーがありましたね。他にもたくさん佐藤さんは街を面白くする仕掛けを実施していて、表参道・原宿が『ファッションカルチャーの街』になったのは彼の功績が大きいと思っています」

不定期発行している『magazine ROCKET』。写真家・奥山由之氏が撮影しフードエッセイスト・平野紗季子氏がテキストを執筆した号も。「最近結婚した奥山くんと平野さんも、昔からよくROCKETに通ってくれていたんです。今ではふたりともすっかり大物ですね」

 ROCKETが多くのファンを抱える存在に成長する中、2003年、同潤会青山アパートは解体。移転を余儀なくされる。そして2006年、同潤会青山アパート跡地に表参道ヒルズが誕生。当時の想いを、藤本氏はこう振り返る。

 「同潤会が解体されるときに僕らが出ていくことは最初に決まっていたので、それは仕方ないことでした。多くの人が感じたように、街の象徴的な景観が失われるのは残念だとも思ったけど、近未来的な風景に変わる期待感もあったから、僕としては楽しみな気持ちも大きかったですね。実際完成してみて、安藤忠雄さんの建築はすごかった。入ったら底が深くて『潜水艦のようだ』と思ったのを覚えています。できてから後に表参道ヒルズの仕事もしてるし、愛着もある。一時期は部屋を借りて住んでたから(笑)。意外と知られていないけど、表参道ヒルズって4階から上は住居になってて、クリエイターもたくさん入居しているんですよ」

「そのときは『風とロック』の箭内道彦さん、編集者の後藤繁雄さんなども借りていました。入れ替わりが結構あるし、ほとんど交流はしたことありませんでしたが」

 "マガジンデザイナー"、そして"ギャラリーの編集長"。藤本氏に新たな道を切り開くきっかけを与えた街だからこそ、彼はその街自体の変化に対してもポジティブであったのかもしれない。では、街の現在、また未来については、どのように眺めているのだろうか。

「この街はキュレーションの力によってさらに進化する」

「空きが出たと聞いて飛びついた」と話すほど、やはりこの場所への想い入れは深かった。2016年、ROCKETは10年以上の時を経て、表参道ヒルズ同潤館にカムバック。80年代に原宿セントラルアパートで大きな影響を受け、90年代に同潤会青山アパートでROCKETをスタート。振り返れば、彼にとっての大きな出来事の隣には、いつもこのストリートがあった。

「表参道ヒルズ前のケヤキ並木が、僕は日本で一番お洒落な人が行き交う場所だと思っています。青山のラグジュアリー文化と原宿のストリート文化を繋ぐランウェイ。異なるものを混在させるということにも、大きな文化的価値があると感じます」

表参道ヒルズ本館に並ぶ「表参道ヒルズ同潤館」。当時の同潤会青山アパートが忠実に再現されている。ROCKETは3階に入居中

 もちろん、30年以上にわたり仕事、また生活の拠点としているこの街にも愛着は深い。表参道・原宿の変化をデザイン・アート視点で眺めて続けてきた藤本氏は、街の未来を想像しながらこのように語った。

 「物や情報がますます溢れていくこの街では、キュレーターがより大事な存在になっていくはず。CAPではよく『ショップは美術館』と言っているんだけど、この街にあるショップには、世界中から新しいものや面白いものが集められていて、僕らはそういったものからインスピレーションを受けて時代感を捉えたデザインをしています。だからキュレーションの価値というのを強く感じているし、ROCKETでも良いキュレーションができているか、僕が厳しくチェックし続けなければならないと思っています」

「ネットでも情報を得られる時代ではあるけど、例えば新しいフードの試食は街に出てこないとできない。場所の価値となる体験をつくる方法はまだまだありますよね。実は現在も食に関する新しいプロジェクトを進行中です」

 最後に「ファッション、インテリア、アート、フードなど多岐に渡るジャンルのショップがこれだけバランスよく集まっている街など他にないので、その個性を崩さずに進化していかなければならないですよね」と話した藤本氏。彼の頭の中ではきっとすでに、この街の新たなページの美しいデザインが考えられている。

Text:Takeshi Koh
Photo:Yusuke Iida

最新の関連記事

Realtime

現在の人気記事

    次の記事を探す

    Ranking Top 10

    アクセスランキング