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ラフォーレ原宿社長の荒川信雄が見てきた、原宿・表参道の歴史

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ラフォーレ原宿社長/表参道ヒルズ初代館長が明かす「街の名物」たちの誕生秘話

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「原宿のシンボル」。そう聞けば世代を問わず誰もが反射的に「ラフォーレ原宿」を思い浮かべるほど、その存在感は絶大だ。1978年に開業して以来40年以上にわたり街を背負い続けるこのファッションビルを現在牽引するのは、株式会社ラフォーレ原宿社長・荒川信雄。長蛇の列をつくるグランバザール、ケヤキ並木のイルミネーションなど多くの原宿名物が生まれる瞬間を影で支え、2006年に誕生した表参道ヒルズの初代館長としても街の進化に深く関与した男。街の2つのシンボルのトップを経験した彼に、表参道・原宿はどう映っているのだろうか。荒川氏の“オモハラ観”を覗かせていただいた。

《Profile》
1964年、茨城県笠間市(旧岩間町)生まれ。慶応義塾大学卒業後、1987年森ビル株式会社へ入社。1989年ラフォーレ原宿へ配属、2006年から表参道ヒルズの初代館長などを経て、2014年株式会社ラフォーレ原宿の代表取締役社長に就任。森ビル株式会社の執行役員を兼任。趣味のサッカーではシニア50東京代表として東アジア大会に出場。

駆け抜けた90年代原宿。グランバザール、イルミネーションから学んだ「街づくり」の原点

1964年のオリンピックイヤーに誕生した荒川氏は、国立競技場近くで肉屋を営む叔父に連れられ小学生時代に原宿デビュー。予備校へはVANショップ(60年〜70年代に青山から一世を風靡したアイビーファッションブランド)のランドリーバッグで通い、大学時代も雑誌を片手に原宿中を巡ったファッション好き。森ビル入社後、移動希望を提出し続け、念願のラフォーレ原宿へ配属された。1989年当時、すでにラフォーレ原宿はファッションの発信地として全国的に知られる存在であったが、そこで彼が最初に学んだのは「街づくり」の意識であった。

荒川氏は、学生時代に持ち歩いていた『別冊MEN'S CLUB』やVANショップのランドリーバッグを今も大切に保管している

「僕が社員になって最初に経験した大仕事は、今も続く表参道のイルミネーションプロジェクトの庶務係。当時の館長・佐藤勝久が欅会(表参道の商店街組合)の方々と協力しながら先導していたのですが、僕が指令された任務は『警備と清掃』。冬の夜にみなさんがキャーキャーと手を繋いだりキスしたりしている中、僕は走りながら一生懸命にゴミを拾っていました(笑)。大変でしたが、街を輝かせるために、裏で大人たちが組織の枠を超えて一致団結している様子を見て、原宿の深い魅力を知りました。これが僕の仕事の原点でもあります」

現在も冬の夜を輝かせるケヤキ並木のライトアップ。初回は1991年に実施され、木へのダメージなどを考慮し1999年から10年間は休止したが、2009年にLEDを採用する形で復活した

入社直後の強烈な思い出として、ラフォーレ原宿の向かいに存在した「原宿セントラルアパート」の喫茶店「レオン」のエピソードも。「当時の原宿セントラルアパートにはクリエイターや文化人の皆様が入居されていて、『レオン』ではトップデザイナーの皆様をはじめ、四方義朗さんなどオーラに溢れる方々ばかりでして。タバコ部屋のように皆様が集まり、ひとつのコミュニティになっていました。上司に呼ばれて、僕は事務所の書類を持ってきたりするただの使いっ走りでしたが、めちゃくちゃ緊張していました」(撮影:染吾郎)/スタイリスト・中村のんさんのインタビューより

荒川氏の口から語られる90年代の思い出の中で、彼はいつも街を走っている。ラフォーレ原宿の名物セール「グランバザール」が始まった当初の原宿でも、やはり彼は走っていた。

「当時、ラフォーレ原宿がセールをすると高校生が学校を休んで来ちゃうということで『教育に良くないビル』というレッテルを貼られかけていたんです。そこで館長の佐藤が『セールを朝6時スタートにして、高校生にはラフォーレに寄ってから学校へ行ってもらおう』と考えた。結果『早朝のバーゲン』という面白さが話題となり、さらに人が集まり竹下通りまで列ができてしまった…これが『グランバザール』の伝説です。そして佐藤は僕に『君は足が速いから行列の整備をやれ』と(笑)。携帯電話もない時代で大混乱でしたが、ファッションのために早朝から原宿に集まってくださる若い方々のエネルギーに驚きながら、大きな可能性を感じたことを覚えています」

ラフォーレを語る上で欠かせないのが見た者に強烈なインパクトを与える広告。荒川氏は、大貫卓也氏によるグランバザールの行列を表現したこの広告写真が特に心に残っていると語る。「ラフォーレって、公序良俗に反しないものにしようと決めてはいますが、それ以外は制限がほぼない。広告でありながら、自由に表現できる形を意識してはいます。原宿らしくクリエイターを応援しようという文化、そして『自分たちなんて施設としたら小規模なんだから、楽しいことやっていようよ』という感覚もあると思います(笑)」

その後、街のシンボルに身を置きながら、DCブランドブーム、裏原ブームなど原宿から生まれるファッションのエネルギー、そして数々の才能が羽ばたいていく様子を見てきた荒川氏。中でも特に忘れられない人物は?

「私と同年代だからということもあるのですが、『X-girl』や『MILKFED.』を展開するB's INTERNATIONALの皆川伸一郎さんですね。彼は1995年に『X-girl』をラフォーレに出す少し前まで、自ら輸入や仕入販売をしていて、貯めたお金で海を渡りチャンスを掴まれた。皆川さんが海外より、ラフォーレの営業部に国際電話で『店をやりたいから区画を空けてくれ』と言い、当時の上司が『お前のその情熱、買った』と電話1本で出店が決まったと聞いています。最初のファッション・ショーをソフィア・コッポラとスパイク・ジョーンズがプロデュースしたことでも話題になった『X-girl』は世界的に大成功。同年代の人間が、大きな志を持って夢を叶えていく姿を間近で見たため、強烈に印象に残っています。アメリカ発のファッションブランドが成功するために、原宿という街が、ラフォーレ原宿という館が、必要とされているのだという事実にも心が昂りました」

ラフォーレ原宿とともに90年代の活気ある街の時代を駆け抜けた荒川氏。2000年代は、約300m移動し、新たに誕生する表参道ヒルズから街を眺めることになる。

表参道ヒルズ開業。初代館長が語る「同潤会青山アパート」への想い

2006年、ケヤキ並木のシンボルとして80年間にわたり愛された「同潤会青山アパート」跡地に、森ビルによる「表参道ヒルズ」が誕生した。そして、初代館長という重役を任命されたのは、ラフォーレ原宿で培った街への深い理解を持つ荒川氏であった。しかし、その裏にはこんな経緯もあったという。

自身を「同潤会を知る最後の世代」だと話す荒川氏。「同潤会青山アパートはギャラリーやアパレルショップがありながらも、メインは住居。分かりやすく言うと高級住宅で、巨人軍の海外選手からスタジオジブリの関係者さんまで、様々な方々が住んでいました。真ん中にブランコのある公園もあって、そこに人が溜まってたんですよ」

「実は、本当は僕でなく4〜5つ上の先輩が館長に就任する予定だったんです。彼は同潤会に住んで日々入居者の方々とのコミュニケーションもしていました。僕もその先輩の部屋で『表参道をこういう形で開発をするんだ。一緒にやろう!』という話をよく聞いていて、まさに館長に相応しい人間でした。けれど、彼は代々木公園でジョギング中に亡くなってしまったんです。だから僕は、彼が果たせなかった、託された夢を引き継ごうという意識を強く持ちながら、表参道ヒルズの開業を迎えました」

開業当初を振り返りながら、荒川氏は「表参道ヒルズを新たな街のランドマークにするつもりは全くなかった」と話す。

「僕らがまず一歩目の目標として設定したのは『新たなランドマークができたな』ではなく『前からあった施設みたいだね』と言われること。街の皆さまと一緒に街づくりをする施設として、風景や歴史に馴染めるかどうかはとても重要なテーマでした。その点で、安藤忠雄さんの設計は素晴らしいです。ケヤキ並木と同程度の高さの建物や、表参道ほぼ同じ勾配のスロープ、同潤会青山アパートを再現した『同潤館』などが、我々の考えを体現してくださっています」

「表参道ヒルズを設計した建築家・安藤忠雄さんは、吹き抜け大階段やイベントスペースにその面影を残してくださっていると感じます」

街と共にあろうという考え方はラフォーレ原宿と変わらない。一方で、大きく異なる点として表参道ヒルズを“商住施設”と位置付けたことが挙げられる。

「表参道ヒルズの4-5階はレジデンスフロアになっていて、住んで暮らしていただくことができます。同潤会青山アパートの歴史を尊重し、『住』という要素を大切にしたかったということがまずあります。そして、1998年に解体された原宿セントラルアパートへの想いを持つ方々も多いことを知っていたので『表参道ヒルズがそれに代わる役割をできないか』という想いも。そこでレジデンスフロアは、この街で活躍するクリエイターさんに積極的に住んでいただくことにしていました。商業施設でありながら、上の階では街の生活空間になっていて、そんな環境から常にクリエーションが生まれている建物を目指しています。表参道ヒルズは、“商住施設”なのです」

「残すべきもの」を大切にし、丁寧に取り組み続ける荒川氏。一方で、もちろん表参道ヒルズによってこの街を進化させたいという想いもあった。

「せっかく原宿と青山という異なるカルチャーを繋ぐ通りに誕生した施設なので、ラフォーレ原宿から明治通りを渡って表参道の坂をのぼっていくなかで、表参道ヒルズ沿いを歩きながらだんだんと大人になっていくような感覚を与える存在になれたらというイメージはありました。実際に表参道ヒルズの誕生によって海外のラグジュアリーブランドがケヤキ並木沿いに増え、VOGUEさんと組んでFashion's Night Outを実施するなど、ヤングカルチャーとラグジュアリーカルチャーの架け橋的な役割ができたと思っています。今は表参道はさらに次のステージにいて、多様化が進んで良い意味で年齢のグラデーションはなくなっていますね。ラフォーレのバッグを持った方が表参道ヒルズで買い物を楽しんでいたりと、もう世代やジェンダーで客層を区切ることはできなくなっていますが、そんな時代を受け入れられるこの街の奥行きを、表参道ヒルズがつくれたのではないかと思うことがあります」

様々な想いを背負いながら表参道ヒルズの進むべき方向性を示し、街で愛される施設へと育てあげた荒川氏。2014年、満を持して300mの距離を戻り、株式会社ラフォーレ原宿の社長に就任する。

街の未来を支える才能をインキュベーションせよ

「なぜラフォーレ原宿のトップは『支配人』や『マネージャー』でなく『館長』か。それは我々が、ラフォーレ原宿という建物全体を『美術館のような存在』と捉えているからなんです。最上階のラフォーレミュージアムはそのシンボルですが、入居してくださっているショップやイベントスペースなども含めて、何かを表現・発信する場。お客様からすれば、それらに触発される施設。という考えが根底にあるんです」

2014年、株式会社ラフォーレ原宿の代表取締役社長に就任(森ビル株式会社の執行役員も兼任)した荒川氏は、2017年にラフォーレ原宿を大胆にリニューアル。その想いは?

2017年のリニューアルでは、正面エントランスの反対口に、土地の歴史を踏まえた「源氏山テラス」を設置。「明治神宮が完成してから2020年で100年。まずは我々が改めて街の歴史と向き合い、若い方々にこの街が持つ深い魅力を知ってもらうきっかけをつくれたら」と荒川氏は意気込む

「一言で言えば原点回帰。ラフォーレ原宿はファッションの宝箱であり、インキュベーション(孵化)装置でなければならない。リニューアル前のラフォーレ原宿は、いつの間にか海外から上陸した人気ブランドが大きな面積でショップを構えたりしていましたが、僕ららしく勝負するなら、やはり小さなショップをたくさん入れるべきだと。そして、新しい才能を発掘・育成することも重要な役割。2Fのフロアをすべてポップアップスペースとし、年間160の新鋭ブランドが出店する環境をつくりました」

社長就任時、同業の同じ志ある先輩から「ラフォーレの社長をやるなら、俺が知らない店を7割入れてもらわないと困る。業界の方もお客様も、ラフォーレに期待しているのはそういうことだと思う!」と言われ、気が引き締まったと語る荒川氏。「原宿という街の魅力のひとつとして『失敗してもOK』なムードがあると思いますので、多くの若い方々がチャレンジできる場になればと考えています」

また荒川氏は、入社当初に経験した「会社の枠を超えた街づくり活動」にも精力的だ。

清掃活動「Laforet HARAJUKU CLEAN KEEPERS」の活動に参加する神宮前小学校の生徒たち

「ここ最近で特に力を入れているのは、表参道ヒルズに隣接する『神宮前小学校』の生徒たちへの学びの機会の提供です。グラフィックデザイナーである押見健太郎さんと一緒にラフォーレ原宿が展開する清掃団体『クリーンキーパーズ』のユニフォームをデザインする企画や、人気雑誌の編集者と一緒に外国人向けの街案内マップをつくり表参道ヒルズで配布する企画など、様々な取り組みを行なっています。神宮前小学校の生徒たちは、この原宿という恵まれた環境で育っていて、いずれ街、日本、世界の未来を背負っていく人材。そんな子どもたちに、同じ地域にいる大人として、何か思い出や自信として残るような体験をつくる。それも街づくりだと考えています」

ラフォーレ原宿の社長として、原宿を愛する一個人として、現在もエネルギッシュに活動し続ける荒川氏。最後に、これからの街が進むべき方向について聞くと。

「ラフォーレ原宿は『ファッションラバーズファースト』を掲げていますが、街全体としては『ストリートファースト』であるべきだというのが僕の考え。今後どんなに商業ビルがたくさんできても、この街のファッション、カルチャーを生み出すのは“ストリート”であり続けるはず。ラフォーレ原宿のフロアが0.5階刻みになっていること、表参道ヒルズはスロープで全フロアが繋がっていることからも、我々は人がストリートから地続きで目的地以外を歩く大切さを知っています。商業施設の人間だからこそ、この街の美しい緑を守りながら、ストリートをより活性化させるようなことに力を注いでいけたらと思います」

学生時代から今日までこの街を歩き、走り回ってきた荒川氏ならではの言葉。仕立ての良いスーツをビシっと着こなしているにも関わらず、ラフォーレ原宿の屋上で平気な顔で地面に座り、街を眺める彼。きっと今日も街のシンボルから、ストリートに現れる新時代の表現者を探していることだろう。

Text:Takeshi koh

Photo:Yuki Maeda

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