

ワークマンが溶接工用に開発したウエアがあった。綿100%の厚手素材で、作業員の体を火の粉から守るものだった。このアイテムにキャンプ情報を発信するブロガーが目をつけ、焚き火の時に着用すれば大変便利と発信したところ、多くのキャンパーの共感を呼んだ。ワークマンは影響力の高さに、ブロガーを公式アンバサダーの第1号に起用。溶接工のための燃えにくい作業服を応用したキャンプ用のアウターを共同開発した。同製品は累計販売40万着を超えるヒット商品になった。現場スタッフのための作業着が別のオケージョンウエアにもなる。社内にいると意外に気づかないことが社外から見れば新鮮に映り、発想転換や応用がきく。格好の事例ともいえるだろう。
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一方、作業服といえば、素材は通気性が高い綿100%が常識だ。しかし、30年ぶりにそれを破り、刷新したのが今治造船だ。同社は愛媛県今治市に本社を置く造船専業メーカーで、世界最大級のコンテナ船や大型タンカー、自動車運搬船などを建造している。当然、造船に付随する溶接などの作業は過酷で、作業服には防護性と並行して暑い夏場には熱中症のリスクを下げる通気性も求められる。新しい作業服はこの2つを両立させ、綿100%ではない独自の素材を使用することが考えられた。作業服刷新は人事総務部のスタッフが中心となって社長に提案することからスタートした。作業の負担を知っている社長はすんなりOKを出し、2023年3月、プロジェクトは始動。テーマは綿ではなく、新素材をベースに開発を進めるものだった。
プロジェクトチームは生地探しから始め、まず既存産地のもので燃えにくく風通しの良さを測定した。だが、高レベルで防護性と通気性の両方を満たすものは見つからなかった。そこで、作業内容による火傷のリスクを高低の2つに分け、それぞれ夏用と冬用の計4種類をオリジナル生地で作ることにした。燃えにくく、風通しも良いという条件をバランスよく備える生地を作業服メーカーと一体で開発する方向で進めた。まず、すでにある生地の中で、燃えにくい組成のものを下敷きにして織り方を工夫。また、飛んだ火の粉が当たりやすい部分は、燃えにくい既存の素材を貼り付けた二重構造にして安全性を高めた。火の粉が当たりにくい部分はなるべく風通しを良くすることで、逆に通気性を高めるというものだ。

防護性と通気性は二律相反し、その機能を生地全体で生かすのは難しい。そこで、部分的にどちらか求められる機能を優先する発想だ。不燃性のボタンを使用したり、火の粉が服からすべり落ちるように縫い合わせたりなど、ディテールにも工夫を凝らした。さらに腰の部分をアコーディオンプリーツにすることで、ウエストサイズに応じて伸縮するようにし腰痛防止にも配慮。裾上げも自分でできるようにし、業者に依頼する手間と費用をカットした。色は社員アンケートから熱を吸収しにくいグレーを基本に、コーポレートカラーのグリーンも取り入れた。当初、開発スタッフはコストについて社長に相談すると、過酷な環境下で作業をする社員が少しでも安全、安心、快適になるようにする、つまり人への投資と考えればいいと、返答してくれたという。
それでも、試作品は36着にもおよび、費用も数百万円にも達した。出来上がった作業服は1着あたりの料金が現行の3倍に膨れ上がるなど、高コストになった。開発スタッフは経営陣の承認が得られないかもしれないと、ダウンスペックのものも2タイプ用意してプレゼンした。だが、社長は最上級の仕様でいこうと即決してくれたという。今回のようにメーカー自ら作業服をゼロから開発するのは、レアなケースになる。新・作業服は日本産業規格を取得したことで、他のメーカーからも問い合わせがあるという。開発スタッフがその許可を取りに行くと、社長は造船業界、地域全体が盛り上がるからとすんなりOKしたという。開発に当たったスタッフにとっても誇らしい経験になったはずだ。

新・作業服はプロトタイプで、完成形ではない。作業に着用することで、火の粉が当たって穴が空いたケースがあれば、どこに穴が空いたのか、どんな作業で空いたのかを検証する。作業服には1着ずつバーコードが付いているので、作業で発生したデータを元にそれぞれの課題を洗い出し、作業服の改良に繋げていく考えもあるという。造船業は人手不足や環境問題、競争激化などさまざまな課題を抱えている。中でも、少子高齢化や若者の都市部流出などによる人手不足が最大の課題だ。その解消には女性の採用やリタイアした経験者の再雇用、特定技能をもつ外国人の雇用が不可欠だが、そのためには作業環境を改善することも必要で、ユニフォームの刷新も条件の一つになる。
労務管理を行う上で、作業服が意味するところ
話を産業の面に広げてみよう。造船、そして鉄鋼は1960年代初めまでは、日本を代表する重厚長大産業として有望視されていた。子供の頃に誰からとなく、造船会社や製鉄所は「日本の最高学府である東京大学を卒業したエリートたちの就職先」の一つと聞かされた記憶がある。また、父親はそれらを取引先に持つエネルギー資材のサプライヤーに勤めていたため、実際に営業で交換した部課長の名刺を出して、「この人たち、みんな東大出だよ」と教えてくれた。高校時代にはそれを実感する。知り合いに誘われて出かけたライブの楽屋で、フォーク歌手の故・山本コータロー氏の実姉と対面したが、その後に彼女が新日本製鐵の社員と結婚していることを知った。コータロー氏は一橋大卒だから、実姉の夫が東大出としても不思議ではない。もちろん、エリートたちが溶鉱炉作業に就くわけではないのだが。

ところが、1980年代になると産業構造の主役がソフトやサービスに代わり、重厚長大産業は精彩を欠くと共に造船や製鉄は、アジアの発展途上国に移っていった。米国も然りだ。1980年代、造船は自動車産業などと同様に衰退していく。81年、当時のレーガン政権が補助金を打ち切ったため、国外移転が進んだのである。造船は厚板を大量に使用するが、米政府がそれを軽視したことがUSスチールなどの米鉄鋼産業を地盤沈下させる結果になった。2024年、ニューヨークタイムズは「軍艦が造れない米国」という記事を書いたが、米国の造船業が10万トン以上の商船を造っていないところを見ると「軍艦しか造れない米国」が正しいのかもしれない。なのにバイデン前政権は日本製鉄によるUSスチール買収に対し、安全保障と重要な供給網に対するリスクになると禁止命令を出した。だが、本音のところでは労組票欲しさからの政治介入と、見る向きは少なくない。
2025年3月、トランプ政権は造船局を設置すると発表し、4月9日にはトランプ大統領が造船業を強化する大統領令に署名した。同月17日、今度は米通商代表部(USTR)が中国籍や中国が建造した船舶を運行する業者から手数料の徴収を半年後から始めると発表。米国内に寄港した際に業者から受け取ることで、海運業界での中国の力を弱める狙いと見られる。外国と取引する世界の企業は中国の海運業に依存しているため、その支配を逆転させることで米国の造船業の復活とサプライチェーンへの脅威に対処する考えのようだ。鉄鋼業については、同月7日、トランプ大統領はCFIUS(対米外国投資委員会)に対し、日鉄によるUSスチール買収計画を再審査するよう指示したが、10日には「日本の手に渡ってほしくない」と言い出したことから、皮算用は禁物だ。
造船や鉄鋼からソフトやサービスへ産業の構造転換を図ったのは、米国自ら。製造業全体を見ても省力化を図り、かつてのように人的労働を必要としなくなっている。米国のGDPが1980年(2億8570億3300万ドル)比で2024年(29億1670億7800万ドル)は10倍も拡大したことを見ても、労働生産性は格段に上がっている。不法移民は別にしても、労働者の大多数が新しい仕事を得たのは、米国の失業率が直近で4.2%という低さを見てもわかる。しかも、アマゾンなどの好業績で、ITサービス貿易では黒字を計上している。人件費が高騰する米国で旧態依然とした製造業を復活させたところで、競争力があるとは思えないし、何より労働者がそれらに戻ってくるとは考えにくい。それより40年もの間に衰退した造船技術が政権期間のわずか4年で復活することなどあり得ない。
それでなくても、中国との格差は歴然としている。2023年の世界の造船産業(船舶総トン数換算)は、中国が50.73%と半数以上を占めている。韓国が28.28%、日本が15.38%と続くものの、米国はわずか0.1%に過ぎない。トランプ政権としては、造船能力が中国との間で500倍以上の開きがあることを見過ごすわけにはいかない。だが、中国は揚子江の最下流域にある造船所で国産初の空母を秘密裏に建造しており、その技術に日本製鉄のノウハウが使われた可能性があることから、米国はバイデン前政権時代から日本製鉄のUSスチール買収に否定的だったという識者もいる。確かに世界最高レベルの軍事兵器を製造してきた米国とすれば、日本が中国に提供した鉄鋼技術を受け入れると、自国の兵器がダウンスペックになる。

船舶の製造能力で中国にここまで差をつけられている米国が造船業を復活できるかは懐疑的だ。トランプ政権は相互関税の導入により製造業の自国回帰を進めると言うが、関税発動後すぐに一部の国について90日間の停止と税率10%の引き下げことを見れば、増税によるコスト増でインフレ懸念も考えているのは間違いない。それより製造業の復活の狼煙を上げることで、ラストベルトの労働者票を共和党支持で固めたい思惑の方が強いのではないかと思う。もちろん、日本も他人事ではないだろう。日本製鉄のUSスチール買収も、縮小する国内市場だけでは勝負にならないから、米国事業に活路を見出そうとしたわけだ。造船業界でもIHIや川崎重工、三井、日立といった大手は、殆どが造船から撤退した。それにより建造量が半分に落ち込み、船舶総トン数は世界3位まで後退した。

ただ、大手に代わって中堅専業グループが固まって日本の造船業を牽引したのも事実だ。そのリーダーとなったのが作業服を刷新した今治造船である。造船には船舶の設計や研究開発を行う技術職と、船舶の建造・生産作業を行う技能職がある。建造・生産の仕事には、主に鋼材などから部品を切断・加工する、部品を接合して船体を組み立てる、船体に必要な設備・機器を取り付けて航行できるようにする作業がある。切断・加工、接合では火の粉が発生するため、火傷や熱中症のリスクがつきまとう。そのため、若者には敬遠されがちで、それが人手不足を生んでいる。そんな中、今治造船は3月、労働安全衛生法違反が確認されたとして、出入国在留管理庁と厚生労働省に合計2100以上にも及ぶ技能実習計画の認定を取り消されている。これが何を意味するのか。中国政府が石破政権の媚中派を通じて、今治造船に圧力をかけたのではないかと見る識者もいる。
せっかく、造船の作業環境を少しでも良くしようという動きに水を差す措置。国はいったいどこを見ているのか、である。もっとも、パーツを組み立て、船型にしていくには人間の手でしかできないものがあり、それは日本しか持たない匠の技。今後、LNG燃料船や電気推進船などの需要拡大が期待され、複雑な形状の部品製作や軽量化・高強度化などは3Dプリンターを活用できることから、日本の先端技術への期待度は高い。今治造船にとっても追い風だ。時代は変わったとは言え、造船は一流大学卒のエリートが集まる傾向が強い業界でもある。ともあれ、技術革新の根幹には会社に所属する本工はもちろん、協力会社に所属する社外工まで含めた作業の省人化があり、作業環境の改善は避けて通れない。可能な限り機械化、自動化を進める一方、熟練の技術、技能を必要とする部分は人間が従事しなければならないことから、彼らが安心・安全で快適に作業できる環境にすることが求められる。
作業服もその一つ。刷新されたものが本工、社外工問わず支給されると社内の連帯感は高まる。何より実際の作業で防護性と通気性が発揮され、作業員がそれを肌で実感すれば士気が上がり、プロとしての意識も高まるはずだ。それは今治造船のブランドイメージをアップする。若者がそんな会社で働いてみようと思えば、人手不足の解消につながるかもしれない。おそらく、作業服の刷新に当たったスタッフはエリートだろうから、そこまで考えていると思う。これは、テナントスタッフが休憩時間に疲れた足を解せるようにマッサージ機を導入したJR東日本の駅ビルのルミネにも通じる。JRの前身、国鉄時代にはエリート職員は、国労・動力に属する血の気が多い連中をいかに手懐けるかが仕事だったわけで、それは民営化され駅ビル事業に注力する現在でも、労務管理のベースに息づいている。エリートの管理職が集まる造船会社も同じだろう。
たかが作業服、されど作業服。ユニフォームは人材への投資である一方、従業員を籠絡するツールという側面を持つのは確かである。
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