ADVERTISING

アナ・ウィンター 世紀の“エディター”が編集したファッションの未来

人物

「プラバル・グルン」2025年秋冬コレクションに出席したアナ・ウィンター

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

人物

「プラバル・グルン」2025年秋冬コレクションに出席したアナ・ウィンター

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

アナ・ウィンター 世紀の“エディター”が編集したファッションの未来

人物

「プラバル・グルン」2025年秋冬コレクションに出席したアナ・ウィンター

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 2025年6月、1988年に米国版「ヴォーグ(VOGUE)」の編集長に就任して以来、37年間その座にあったアナ・ウィンター(Anna Wintour)が、退任を発表した。彼女はファッション誌の枠を超えた存在感を示してきた。誌面の刷新だけでなく、デザイナーの発掘やイベントの演出などを通して、業界構造そのものを動かし、編集者という職業の役割を大きく拡張してきた人物である。

ADVERTISING

人物

「プラバル・グルン」2025年秋冬コレクションに出席したアナ・ウィンター

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 その姿は大衆文化にも投影された。映画「プラダを着た悪魔」で描かれた編集長像は、世間にとっての「ウィンター像」を決定づけ、来年には続編となる「プラダを着た悪魔2」が公開される。映画というフィクションの世界でも、人々の関心は彼女に向けられる。その事実が、ウィンターを文化的象徴たらしめている。

 1949年11月3日、ウィンターはロンドンに生まれた。父はロンドンメディア「イヴニング・スタンダード」の編集長を務めた新聞人であり、その背中を見て育った彼女は、早くから雑誌の世界に惹かれていたのかもしれない。1960年代のロンドンカルチャーから受けた影響は大きく、ウィンターの象徴となるボブヘアはその時期に形成された。

 1970年代初頭、「ハーパース・アンド・クイーン(Harpers & Queen)」の編集アシスタントとしてキャリアをスタートし、のちにニューヨークへ渡り、「ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)」や「ニューヨーク(New York)」誌で経験を積んだ。1985年には英国版ヴォーグの編集長に抜擢され、3年後には米国版の編集長に就任。2020年にはコンデナスト(CONDÉ NAST)のチーフ・コンテンツ・オフィサーに就任し、彼女が手掛ける領域はグローバルに及んだ。

 デザイナーが服を生み出すように、ウィンターは視点を提示し、時代の輪郭を編集してきた。ヴォーグの表紙における挑戦、メットガラの一夜、そして若手デザイナーの未来まで、彼女が選び、仕掛けてきた数々の出来事は、ファッションの枠を越えてカルチャー全体に波及している。本稿では、その代表的な三つの出来事を取りあげ、アナ・ウィンターという「編集者」がファッションの時代をどう動かしてきたのかを振り返り、その意味を考察していく。(文:AFFECTUS)

ヴォーグのカバーは時代を語る

 2024年12月号でヴォーグは初のゲストエディターとして、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)を起用した。表紙にはジェイコブスの希望により、モデルのカイア・ガーバー(Kaia Gerber)が指名され、異なる2バージョンの表紙が用意された。

表紙

アメリカ版ヴォーグ2024年12月号(表紙)

Image by: ©︎Vogue/Condé Nast Publications

表紙

アメリカ版ヴォーグ2024年12月号(表紙)

Image by: ©︎Vogue/Condé Nast Publications

 ファッション誌の顔である表紙において、挑戦的な試みを続ける現在のヴォーグだが、ウィンターが米国版ヴォーグの編集長に就任した1988年当時、表紙はまだクラシカルなポートレートが主流だった。正面を向いた端正な顔立ちが誌面を飾り、そこには変わらぬ「美の理想」が投影されていた。

 その流れに一石を投じたのが、同年11月号である。ウィンターが初めて手掛けたこの号には、モデルのミカエラ・ベルク(Michaela Bercu)が登場。彼女はわずか50ドルのジーンズに、1万ドルの「クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)」のクチュールトップスを合わせ、ポーズも表情もリラックスした佇まいだった。これは従来の「完璧な美」を演じるポートレートとは一線を画すものであり、ファッションを「日常」と「ラグジュアリー」の交差点に置き直す新しい視点を提示していた。

 その後1990年代に入ると、リンダ・エヴァンジェリスタ(Linda Evangelista)やクラウディア・シファー(Claudia Schiffer)らが次々と表紙に登場し、スーパーモデル全盛期が到来する。ベルクの表紙で芽生えた新しさは、やがて表紙戦略の大きな潮流として結実していった。

 以降のヴォーグの表紙は、スーパーモデル中心からセレブリティへと軸足を移していく。ハリウッドスターやミュージシャンが次々と表紙を飾り、その選択は単なる顔ぶれ紹介を超えて、雑誌が社会やカルチャーに対してどんなメッセージを発するかを象徴する場となった。

 1996年には、映画「セブン」(1995年)で注目を集めたグウィネス・パルトロウ(Gwyneth Paltrow)を表紙に起用。その後すぐに1996年12月号でウィノナ・ライダー(Winona Ryder)、1997年10月号でキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)といった映画スターたちが登場し、表紙はもはや「モデルの専有物」ではなくなった。ヴォーグはこの時期から、ポピュラーカルチャーを積極的に取り込む編集方針を鮮明に打ち出していく。

 この方向性は2000年代に入ると一層加速する。映画スターや歌姫、時にはファーストレディまでが表紙に登場し、読者層はファッション愛好家からカルチャー全般に関心を持つ層へと広がっていった。2009年3月号ではミシェル・オバマ(Michelle Obama)が初めて表紙を飾り、ファッション誌が政治や社会の領域にまで踏み込むことを印象付けた。ヴォーグはこの時期、単なるファッション誌から「文化の最前線を定義するメディア」へと変貌を遂げていたのである。

 2010年代以降は、多様性の表現が一層強まった。2018年9月号の表紙に選ばれたのはビヨンセ(Beyoncé)だった。

人物

Image by: Courtesy of LOEWE and Parkwood Entertainment

 ビヨンセは、表紙の撮影に当時23歳の若手黒人フォトグラファー タイラー・ミッチェル(Tyler Mitchell)を起用した。これは米国版ヴォーグ史上初めて黒人フォトグラファーがカバーを手がけた事例であり、以後表紙そのものが社会的メッセージとなった。

 ウィンターが編集長に就任したとき、彼女が何を最優先の課題としていたのか。そこには、読者層の拡大という目標があったのではないかと考えられる。ファッション誌にとって広告収益は当時の最大の基盤であり、読者を広げれば広げるほど広告価値も上がる。その仕組みを踏まえれば、ヴォーグの成長戦略として自然な方向性だったと推測できる。

 かつてのヴォーグの表紙は、ブランドやデザイナーの世界観を凝縮して見せる「広告塔」として機能していた。しかしウィンターは、その枠組みを反転させた。表紙は単なるファッションの顔ではなく、むしろ時代の価値観や社会的な気分を象徴する「鏡」として扱われるようになったのだ。

 こうしてヴォーグは、従来のファッション誌という領域を超え、カルチャー誌としての側面を帯びていったと考えられる。より広い読者を取り込みつつ、「ファッションの窓」から「社会を映す鏡」への転換を実現した。その背景には、流行を超えて文化や政治の最前線を提示しようとする編集哲学があり、同時に冷静な経営感覚も働いていたのではないか。

 そして、この「表紙戦略」で示された、時代の感性をとらえながらビジネス的合理性を失わない姿勢は、後に彼女が手掛けるある一大イベントの改革にもつながっていく。

メットガラをカルチャー現象へ

 ニューヨークの春を象徴する催しとなった「メットガラ」。正式名称は「コスチューム・インスティテュート・ガラ」であり、メトロポリタン美術館(以下、メット)の服飾研究所(コスチューム・インスティテュート)のための資金調達イベントである。「ガラ(gala)」は、フランス語で「祭典」を意味する。まさにこの世紀のイベントにふさわしい名である。

 イベントには毎年テーマに沿った衣装が登場するが、今年2025年のテーマは、「スーパーファイン:ブラックスタイルの仕立て(Superfine: Tailoring Black Style)」。黒人のスタイルに端を発する多様なダンディズムがレッドカーペットで話題を呼んだ。

人物

Image by: ルイ・ヴィトン/(c) Mike Coppola/MG25/

 メットガラはもともと、美術館関係者やファッション業界の寄付者が集う比較的内輪の会合であり、外部に向けて大きな注目を集めるものではなかった。だが、1995年にウィンターが主催者に就任すると、その姿は変貌を遂げた。

 ウィンターは、まず招待客の幅を広げた。デザイナーやモデルに加えて、映画俳優やポップスター、スポーツ選手など、ファッション以外の領域で人々を惹きつける存在を積極的に取り込んだ。彼らの登場はレッドカーペットを「世界一華やかな舞台」へと変え、イベントの知名度を飛躍的に高めた。単なる業界内のチャリティから、誰もが翌日の新聞やテレビで目にする社会的行事へと格上げされたのである。

 その変化は資金面にも直結した。ウィンターが主催者を務めて以降、メットガラのチケット価格は年々引き上げられ、2025年の調達額は過去最高の3100万ドルに達した。スポンサー企業にとっても、世界中の視線を集める場に名前を掲げることは大きな価値を持ち、イベントそのものがブランド戦略の一部として機能するようになった。メットガラは単に服飾研究所を支える寄付の場ではなく、グローバルなマーケティング装置へと変わったのである。

 さらに2010年代以降、SNSの普及がその影響力を決定的なものにした。毎年設けられるテーマに合わせ、セレブリティがまとう衣装はレッドカーペットに登場するや否や、瞬時に写真や動画として拡散される。Twitter(現X)やInstagramのタイムラインは一晩でメットガラ一色に染まり、翌日には「ベストドレス」や「ワーストドレス」をめぐる無数の議論が展開される。かつて雑誌のページを通してしか見られなかった高級メゾンのドレスは、スマートフォンの画面を介して全世界の人々の目に届くようになったのだ。イベントはその瞬間ごとにニュースとなり、ファッションの話題を大衆的な娯楽へと変換している。

 メットガラを語る際に重要なのは、これが単なる偶然や時代の後押しではなく、ウィンターによる明確な編集的戦略の結果だという点だ。彼女はこのイベントをひとつの巨大な「誌面」と見立て、テーマを設定し、出演者をキャスティングし、物語の流れを構築した。招待客の顔ぶれは記事の見出しであり、衣装はヴィジュアル特集であり、レッドカーペットは表紙そのものだ。雑誌の構造を現実の場へと投影することで、イベント全体をひとつの編集物として成立させたのである。

Image by: ルイ・ヴィトン

 その結果、メットガラはファッション誌の枠を越え、現実世界に展開された「生きたコンテンツ」となった。誌面が時に時代を映す鏡となるように、このイベントもまた、同時代の文化や社会を映し出す舞台となる。ウィンターは雑誌編集者として培った構成力を、イベント運営に応用することで、ファッションの舞台をメディアの外側へと押し広げたのではないだろうか。

 今日、メットガラは「ファッション界のアカデミー賞」とも呼ばれる。しかしそれは単なる華美な祝祭ではない。イベントそのものが文化的現象へと昇華し、ファッションを社会全体の関心事に仕立てあげた点にこそ、ウィンターの手腕が光る。彼女はメットガラを編集することで、ファッションの舞台を「社会全体」に拡張した。

若い才能をスターに変える編集の物語

 ウィンターのもうひとつの大きな功績は、若手デザイナーの発掘と育成である。ファッション誌の編集長という立場を越えて、彼女は次代を担う人材の発見者、あるいは仕掛け人として振る舞ってきた。

 その象徴が2003年に設立された「CFDA/ヴォーグ・ファッション基金(CFDA/Vogue Fashion Fund)」だ。アメリカファッション協議会(CFDA)とヴォーグが共同で立ち上げたこの基金は、若手デザイナーに資金援助とメンターシップを提供する仕組みである。CFDAのチェアマンは2019年から2022年まではトム・フォード(Tom Ford)が務め、2023年からはトム・ブラウン(Thom Browne)がその役職を担っており、ブラウンの任期は2026年まで延長されている。

 優勝者には30万ドル、準優勝者にも10万ドルが授与され、加えて経験豊かな業界人からの助言やネットワークを得ることができ、ブランドの基盤づくりを後押しする。設立以来、200人以上のデザイナーがこの支援を受け、総額800万ドルを超える資金が提供されてきた。一時的な援助にとどまらず、長期的な活動を可能にする制度として業界に根付いているのである。

CFDAのインスタグラムより

 ウィンターの若手支援は、制度設計にとどまらない。編集長としての誌面や人脈を駆使し、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)といった才能をいち早く取りあげ、業界に押し上げてきた。

 1990年代初頭、資金難に喘いでいたガリアーノに手を差し伸べたのはウィンターだった。彼女は投資銀行や支援者とガリアーノをつなぎ、さらにはショー会場までも探し出した。誌面では、彼や他の若手デザイナーの革新性をいち早く紹介し、「新しい時代の到来」を読者に示す編集的演出を行ったのである。

 こうした若手支援の姿勢は、ファッションを単なる消費財ではなく、世代を超えて継承されるべき文化と捉える意志の表れとも言える。

 ウィンターは若手デザイナーを単に「才能ある個人」として紹介するのではなく、未来を担う「ストーリーの主人公」として誌面に配置した。読者は若い才能を新しいスターとして認識し、業界は次の革新が訪れる兆しを共有する。これは、誌面をひとつの物語として編集するウィンターならではの手法である。

 CFDA/ヴォーグ・ファッション基金のような制度は、ファッション業界における「人材インフラ」として機能した。そして誌面での露出は、それを物語に仕立てる「編集的補助線」として作用した。制度と物語を結びつけることで、ウィンターは業界の新陳代謝を意図的に設計したように思えるのだ。

 市場はすでに名の知られたビッグスターの動向に注目する傾向がある。その傾向に則るなら、地位と実績を確立したデザイナーとブランドで、誌面を埋めればいい。しかし、それでは一時の成果は得られても、未来のファッションは停滞しかねない。ファッション界は常に新しさを求める。新しい才能を探し出し、世の中に広げることは編集者に課された使命と言えるだろう。

 若手の育成をストーリーとして編み込むこと。そこに、彼女の編集者としての本質がある。新しい才能の登場は偶発的に見えるが、その背後にはウィンターが描いた筋書きが存在していたかもしれない。

映画が生んだ編集者のブランド化

 2006年にアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)主演で公開された映画「プラダを着た悪魔」は、単なる娯楽作品を超えて、ファッション業界の“編集者像”を社会に刻み込んだ。冷徹で妥協を許さない編集長──そのモデルがウィンターであることは広く知られており、映画は彼女の存在を大衆文化の水準まで押し上げた。ファッションを知らない人々ですら「ヴォーグの編集長」としての名前を認知するようになったのである。

 この映画がもたらしたのは「編集者のブランド化」だった。本来、ファッション誌の編集者は裏方に徹し、デザイナーやブランドを照らし出す立場にあった。だが、映画のヒットはその関係を逆転させた。読者や市場が注視したのは「どんなブランドがあるか」ではなく、「アナ・ウィンターが誰に注目しているか」という視点になったのだ。

20thcenturystudios 公式インスタグラムより

 一般に、人々の関心はすでに名の知れたブランドやデザイナーに向かいがちだ。新しい才能をメディアが紹介しても、その反応は限られることが多い。だが、「アナ・ウィンター」が誌面で取りあげるならば話は別だ。彼女が見出したという事実自体が、その才能に注目を集める装置となる。つまり「新しい才能が注目される」のではなく、「注目を集める編集者が見出したからこそ、才能が注目される」という構造が生まれたのである。

 「プラダを着た悪魔」が描いた悪魔像は虚構でありながら、結果的にウィンターを文化的現象へと押し上げた。そして、編集者がブランド化されるという逆説的な現象は、ファッションにおける権威構造を変えた。ファッション誌の誌面だけではなく、その誌面を編集する「人」そのものが関心の対象となったのだ。

 そして今、公開を控える「プラダを着た悪魔2」は、この編集者像を再び世に問いかけようとしている。虚構と現実の交差点に立つ「アナ・ウィンター」という存在は、映画が描くストーリーを越え、なお現在進行形のカルチャーであり続けている。

アナ・ウィンターが「編集」したものとは

 ウィンターの革新は、誌面の刷新やイベント運営にとどまらなかった。彼女は業界そのものを「編集」してきた。表紙で新しい価値観を提示し、メットガラを社会的現象へと拡張し、若手デザイナーを物語の主人公に据え、そして映画を通じて編集者自身をブランド化するに至った。こうした一連の行為は、ファッションをただの流行から、社会全体を巻き込むカルチャーへと押し上げる構造的な力を持っていた。  

 その核心にあるのは「才能を見つける才能」である。まだ無名の存在にいち早く目を向け、誌面や制度を通して輝かせる。だがそれだけではない。彼女には「才能を伝える才能」もあった。発掘した才能をどう社会に提示すれば注目を集めことができるのかを設計し、編集的に演出する力である。この二重の才能が、ウィンターを稀有な存在にした。  

 ファッションの未来をデザインするのはデザイナーだけではない。エディターもまた、業界の循環をつくり出す設計者であることを、ウィンターは証明してみせた。彼女は、ファッションにおける「見る側と見られる側」の関係を変えたとも言える。

 第一線を退いたとしても、その影響は消えることはないだろう。それは、ウィンターの影響が消えないという意味ではなく、ウィンターの遺したエディター像が消えないという意味だ。物語は語り継がれ、編集者の役割は拡張されたまま業界に根を下ろす。アナ・ウィンターが編集してきたのは、誌面だけではなく、ファッションそのものの未来だった。

AFFECTUS

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。

最終更新日:

ADVERTISING

「プラバル・グルン」2025年秋冬コレクションに出席したアナ・ウィンター

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント