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「未回収のアントワープ・シックス」マリナ・イーと語られなかった時間

 アントワープを語るとき、ふと浮かぶ名前がある。モード史の巨人として刻まれるドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)といった「アントワープ・シックス」の面々の影で、ひっそりと存在していたデザイナー、マリナ・イー(Marina Yee)だ。伝説の6人の一人にもかかわらず、なぜか存在が遠い。膨大な情報にあふれるインターネットの海ですら、1980年代当時の彼女のコレクション写真を探すのは容易ではない。

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 2025年11月3日。その静かなデザイナーが67歳で亡くなったという知らせが届いた。訃報の見出しには“Antwerp Six”の名が並んだが、読み進めてもマリナの服がどんな佇まいだったのか、どんな思想で仕立てられていたのかを知ることは難しかった。書きかけで終わった物語のように、彼女の服の輪郭はぼやけていた。

 それでも近年、日本のセレクトショップでは、再始動したマリナの服がそっと並びはじめていた。彼女のアイテムは使用されるクラシカルな素材とは裏腹に、服そのものは実験性が滲んでいた。とは言っても、日常から逸脱したものではない。テーラードジャケットの概念を少しずらすようなカッティング、隠すべき服の内部をあらわにする構造。ベーシックを基点にしながら、どこか別の次元に滑り込む「モードなクラフト」とでも呼ぶ手法があった。

 再構築やヴィンテージのアップデートが一般的になった今でも、マリナの服には独特の時間が通っている。強引に折り畳まれたように見えるラペルや、布地のたわみをそのまま肯定するようなライン。多くの人が見過ごす「ゆらぎ」に、マリナは価値を見出していた。静けさの内側に潜む造形が、服の奥で息をしている。

 マリナ・イーとはどのような道を歩み、どのような服を作るデザイナーだったのか。そして、なぜ再び注目され始めたのかを考えてみたい。声高に語られなくなった服が、どのように日本で息を吹き返したのか。その軌跡を静かに辿っていく。(文:AFFECTUS)

マリナ・イーという才能が生まれるまで

 1958年生まれのマリナは、アントワープ王立芸術アカデミーで学んだ世代の中でも、とりわけ静かな存在として語られてきた。沈黙さが際立つ一方で、彼女の服は初期から確かな異質さを帯びていた。ヴィンテージの再構築や、既存の服の秩序を少しずらす手法。「デコンストラクション(再構築)」という言葉が一般化する以前から、マリナは未来の理論を実践していた。

 マリナに訪れた転機は、1984年に開催された「ゴールデン・スピンドル(Golden Spindle)」だった。ITCB(ベルギー繊維衣料産業振興機構)が若手を支援するために開いた同コンテストは、当時のベルギーにおけるデザイナー発掘の中心的な舞台だった。ブリュッセルの名店「STIJL」の創業者ソニア・ノエル(Sonja Noël)は、コンテスト会場でマリナの作品を見つけ、店に置くことを決める。その瞬間、彼女の人生は大きく動き出す。決断の早さと執念に近い熱量によって、ひとりのデザイナーが発見された。STIJLで売られ始めたプロトタイプは、当時としては珍しい「再構築の美学」をまとっていた。

 1986年、マリナがアカデミーの仲間たちとロンドンの「British Designer Show」に参加した際、メディアが彼ら彼女らを“Antwerp Six”と呼び始めたことで、グループの名は世界に広まる。ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)、そしてマリナ・イー。彼女は歴史的瞬間の中心にいた。

人物

アントワープ・シックス(左から1番目がマリナ・イー)

Image by: ©Karel Fonteyne

 ベルギー政府の振興策と、若い才能同士の相互作用。幸運と実力が重なりながら、アントワープ・シックスは時代の風そのものになっていった。

 だが、マリナの内側では別の揺らぎが続いていた。自分はアーティストなのか、ファッションデザイナーなのか──。長いあいだその立場を決めきれなかったと、後年の彼女は語っている。大きな注目を浴びながらも、その光の中に自分の居場所を見いだせなかったのだろう。勢いに押し流されるようにして、マリナは表舞台から距離を置き始める。

 それでも、ファッションから離れたわけではない。ブリュッセルでカフェ「Indigo」を営みながら、舞台衣装や企業向けのデザインを手掛け、のちには「ダーク ビッケンバーグ」のウィメンズラインにも参加する。ドリスやアンのような大きな成功とは異なる歩みだったが、彼女は創作の手を止めなかった。

 そして2018年、日本のコンセプトショップ「ライラ トウキョウ(LAILA TOKIO)」が、ベルギーの博物館アントワープ・ファッション・ミュージアム(MoMu)の展示で彼女の作品を見つけ、時間をかけて本人を探し当てたことによって、物語が動き出す。ほとんど伝説のように語られていたマリナの服が、日本の眼差しによって再び息を吹き返したのだ。

 こうして振り返ると、マリナの歩みは成功に向かってまっすぐに進む直線ではなく、現れては消える影の濃淡に近い。最前線での光を求めず、しかし創作を決して手放さなかった。その揺らめくような存在こそが、今日の「マリナ・イー像」を形づくっている。

マリナ・イーとマルタン・マルジェラ、異なる再構築

 テーラードジャケット、MA-1、ヘリンボーン、ガンクラブチェック。伝統的なアイテムと素材がマリナの手にかかると、私たちの知らない顔を見せる。彼女の手法は、普遍的な服を大胆に作り変えるというよりも「服の概念をずらす」という表現がふさわしい。服の裏側の毛芯が表側へ露わになり、袖は断ち切られ切りっぱなしで未処理、デニムウェアの断片がMA-1に張り付く。

 構造そのものが捻れ、私たちが見慣れてきたベーシックウェアとは異なる表情を見せる。これまで何度も見てきたはずの服なのに、見たことのない服。マリナは既知を未知に書き換える才能を持っていた。

 彼女が注目したのは、古い服の時間だ。何年も着られ、もう価値がなくなった誰かの服に、価値を見出したのだ。何年も着られ、誰かの手を離れ、価値を失ったかのように見える服。その「時間の層」を素材として扱い、再構築していく。布を強引に摘んだようなシワ、捻れたフォルム。通常なら美しいとは言えないフィニッシュが、マリナの手の中で味わいへと変わる。素材の色は、紳士服のテーラーに保管された生地を見るかのようにクラシック。新しい服なのに、すでに数年、数十年も歳月が経ったかのような感覚が滲む。

Image by: Amanojak.

 マリナの服を語るなら「時間」と「構造」は欠かせない。そして、その視点で語るとき、避けては通れない名前がある。マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)だ。

 1988年、マリナはあるショーを観ることになる。それが、マルタンのデビューショーだった。観客の中にいた彼女に、人々が耳元で囁いたという。「あなたの服を思い出した」と。解体された布、裏側をあえて見せる構造、既存の服を別の文法へと組み替えるアプローチ。確かに、そこにはどこかマリナの服と共通の空気があった。

 マリナとマルタンはアカデミー入学前に出会い、一時期は交際もしていた。同じ学校で育ち、同じ資料を読み、同じ街でヴィンテージを巡り、同じ年代の倦怠と美意識を吸い込んでいた。そんな想像が巡る。同じ土壌を共有した二人が、それぞれに「異なる解体」を育てたとしても、不思議ではない。

 マルタンは服を「研究対象」として扱い、構造を分析し、分解し、発表するデザイナーで、コレクションの多くは論文のように主張が明快だった。その一方で、マリナの再構築はもっと日常に根ざしている。

 マルタンの服が「実験による解体」だとすれば、マリナの服は「暮らしの温度を帯びた解体」である。実験性を手前に押し出すのではなく、奥へ沈めたまま、服としての佇まいを保った解体。より日常に根ざした「リアルなデコンストラクション」。そう呼びたくなるアイテムたちだ。

 マルタンがデビューした1988年を境に、彼女はファッションの最前線から距離を置いたが、マリナの感性はマルタンと同じ文脈に立ちながら、異なる根を張った。

Image by: Amanojak.

日本で始まった、ライラ トウキョウとの物語

 表舞台から距離を置いても、マリナは服づくりから完全に離れていたわけではなかったが、その活動は、自分の名を冠したブランドを成功させた同窓生とはまったく異なる道だった。

 しかし、2018年、一つの出会いがマリナの運命を変える。きっかけとなったのはMoMuに展示した彼女自身の作品だ。東京のライラ トウキョウはそこでマリナの服と出会った。当時、彼女はほとんど消息がわからない状態にあったが、同店は時間をかけて所在を追い、ついに連絡手段を探り当てた。

 これは劇的な物語ではない。展示で偶然目にした服に惹かれ、高揚していく。私たちがショップで思わぬ服に出会い、その服がなぜか頭から離れなくなる。そんな瞬間に近い。ファッションの原点にある「出会い」の感覚だ。こうしてライラ トウキョウと「エムワイ・プロジェクト(M.Y. project)」が始まり、マリナのデザイナー活動が約30年ぶりに静かに浮上した。

コラージュ作品

「M.Y. project」

Image by: LAILA TOKIO

 なぜマリナの再起動は日本から始まり、そしてこれほど注目されたのか。

 そこには、未回収のまま残されていた物語が、ようやく動き出すという期待があったのではないか。日本はアントワープファッションに早くから反応してきた国だ。アカデミー出身のデザイナーが脚光を浴び始めた1990年代以降、日本のセレクトショップは積極的にアントワープのブランドを扱ってきた。そしてメディアも同じ温度を共有していた。「装苑」は2001年10月号で、現地を取材して大々的にアカデミーを特集する。これは日本で本格的にアカデミーを詳細に取りあげた、伝説的な一誌だと言っていい。私も探し当て入手し、今も保管している。

 世界を揺さぶる才能を次々と輩出したアントワープ。その中で、アントワープ・シックスの一員でありながら、最も語られず、最も謎に包まれた存在がマリナだった。その距離感こそが、ミステリー小説の「未解決事件」のような吸引力を帯びていた。

 謎に包まれていたデザイナーの服が、ついに見られる。ファッションを愛する人間なら、この期待に抗うのは難しい。かつてアントワープをリアルタイムで追った世代と、伝説をあとから知りつつ、強い興味を抱く若い世代。この二つの視線が日本では確かに重なっていた。だからこそ、マリナの復帰は日本でこれほど熱を帯びたのではないか。

 そして肝心なのは、プロダクトそのものに人を惹きつける力があったことだ。伝説的デザイナーが復帰した。それだけではプロジェクトは続かない。「欲しい」「着たい」と思われなければ、何も始まらない。マリナの最新ウェアは、その最初のハードルを越えてみせた。マリナの服に魅了された日本のショップはライラ トウキョウだけではない。「スーパー エー マーケット(Supur A Market)」はポップアップを開催し、別注アイテムまで制作した。

 語られていない歴史への関心。埋もれた名前を拾い上げる編集文化。そして、世界でも稀なほどファッションへの愛が深い市場。これらの条件が備わっていた日本だからこそ、マリナの復帰が歓迎されたように思う。未回収だった物語は、日本で読むことができたのだ。

ファッションの歴史で“稀に見る空白”、時間の外側にいたデザイナー

 ファッションウィークでどんなコレクションが発表されたか。ラグジュアリーブランドの新しいディレクターは誰か。今シーズンはどんなブランドがデビューしたか。ファッションは常に「新しさ」を追いかける。最新のアイテム、最新の情報こそが価値の中心に置かれる。

 一方で、アーカイヴ市場は大きな高揚を見せてきた。とりわけ「ラフ シモンズ(Raf Simons)」の初期アーカイヴは、数百万円で取引されることがあった。

 2018年に新プロジェクトが始まるまでのマリナは、一見するとアーカイヴの側に属していたのかもしれない。しかし、アーカイヴ市場で頻繁に取引されるほどのボリュームが、「マリナ イー」にはなかったようにも思える。実際に、彼女の服を知る現代人はほとんどいない状態だった。名前は世界に知られているのに、肝心の服を視覚で確認することが困難。それはファッションの歴史において、稀に見る空白だった。

 歴史上の存在だが、その服は今シーズン発表されたような「現在性」を帯びている。それが、マリナ・イーというデザイナーだった。そして、新しいマリナのコレクションは、日本を起点に始まった。

 彼女はヴィンテージから新しい服を生み出した。そしてデザイナーとしての再起動も、自らの歴史が掘り起こされるような形で始まった。マリナの服も歩みも、過去が未来へ接続されるプロセスそのものだった。振り返ることは、後ろ向きなことではない。次の時代の新しさを切り拓くための一歩である。

Image by: Amanojak.

AFFECTUS

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。

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