ADVERTISING

ピエールパオロ・ピッチョーリの「バレンシアガ」、この先にあるのは継承か刷新か?

ピエールパオロ・ピッチョーリの「バレンシアガ」、この先にあるのは継承か刷新か?

 何度目の驚きだったろうか。今年5月、ファッション界に一つのニュースが駆け巡った。ケリング(Kering)傘下の「バレンシアガ(BALENCIAGA)」が、新クリエイティブディレクターにピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)を任命すると発表したのだ。

ADVERTISING

人物画像

ピエールパオロ・ピッチョーリ

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 当時、ケリングを取り巻く状況は少々複雑だった。2025年上期の決算では、売上高が前年同期比15%減の75億8700万ユーロ(約1兆3000億円)。看板ブランド「グッチ(Gucci)」では、クワイエット・ラグジュアリーの潮流に対応するように、サバト・デサルノ(Sabato De Sarno)をクリエイティブディレクターに起用し、「クリーンなグッチ」を打ち出したが、状況は芳しくなかった。この苦境を脱するべく、ケリングはバレンシアガのアーティスティックディレクターを務めていたデムナ(Demna)をサバトの後任としてグッチに移籍させた。

 新生グッチにも注目が集まるが、同時に関心を集めていたのがデムナの後任人事である。その中で浮かび上がってきたのが、キャリア豊富な熟練デザイナー ピッチョーリだった。

 SNSを見渡すと、彼の起用には歓迎の声も多かった。たしかに、デムナ時代のバレンシアガは飛躍を遂げた。しかし、創業者クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)の築いたエレガンスとは、似ても似つかないメゾンに変貌したのも事実である。

 「ヴァレンティノ(VALENTINO)」で彫刻的なエレガンスを体現してきたピッチョーリであれば、かつてのバレンシアガの美意識を甦らせるのではないか。そんな期待が高まった。

ショールック

ヴァレンティノ 2024年春夏オートクチュール

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 しかし、ピッチョーリを「エレガンス」だけのデザイナーと見るのは、あまりに一面的だろう。ヴァレンティノ時代のコレクションを振り返ると、もう一つの顔が浮かび上がってくる。それは、市場の動きを冷静に見定め、トレンドを取り込みながら、ブランドの言語に翻訳していく戦略家としての顔である。

 本稿では、「エレガンス」と「マーケティング感覚」という二つの軸から、ピッチョーリの本質と、これからのバレンシアガを読み解いていきたい。(文:AFFECTUS)

ココ・シャネルも認めたデザイナー クリストバル・バレンシアガの功績

 ピッチョーリのエレガンスを語る前に、ひとつ問わなければならない。

「バレンシアガにおけるエレガンスとは何か?」

 この問いを抜きにしては、ピッチョーリが「何を受け継ぎ、何を更新できるのか」を見極めることはできない。

「ドレスのデザイン、裁断、縫製を一人ですべてこなせる、本物のクチュリエは彼だけ」

 クリストバル・バレンシアガについてそう語ったのは、あのココ・シャネル(Coco Chanel)だ。プライドが高く、クリスチャン・ディオール(Christian Dior)にすら敵意を隠さなかったシャネルが、ここまで称賛した相手──それが、20世紀モードの巨星 クリストバル・バレンシアガだった。バレンシアガ自身も、こんな言葉を残している。

「私の服を着るのに完璧も、美しさも必要ない。私の服が着る人を完璧にし、美しくする」

 傲慢にも聞こえるこの言葉は、バレンシアガが生み出した数々のドレスを見れば、決して誇張ではないとわかる。彼の革新性は、「身体の線をどう捉えるか」という問題に対する、まったく新しい回答だった。

 ディオールの「ニュールック」が象徴するように、バレンシアガ登場以前のモードは、女性のバストやウエスト、ヒップといったボディラインを強調することでエレガンスを演出してきた。一方でシャネルは、ジャージ素材やパンツといった機能性を備えた素材と服で、動きやすさと自然なシルエットを重視し、女性の身体と生き方を解放していった。では、バレンシアガは?

 彼が選んだのは「拡張」だった。メゾンの伝統は、デムナ体制下における最後のオートクチュールコレクションでも披露された。

ショールック


Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 「あるがまま」を尊重したシャネルに対し、クリストバルは身体の外側にまで服の造形を押し広げた。Aラインのウェディング、コクーンコート、サックドレス。いずれも、バストもヒップも輪郭を曖昧にし、身体の線を可視化することすら拒む。ドレスを身にまとうことで、身体そのものが意味を失う。

 では、何が立ち上がるのか? そこに浮かび上がるのは、「人間の美しさは、身体の内側や外側といった分断のさらに向こう側にあるのではないか」という問いである。バレンシアガのフォルムは、「新しい身体のあり方」を提示しようとしていた。

 しかも興味深いのは、ドレスやコートが極端に抽象的な造形でありながらも、どこかにクラシックの気品を漂わせていたこと。バレンシアガは、伝統的なドレスの形式や構築も作品の中に取り入れながら、フォルムの前衛性とエレガンスの両立を実現した。

 たとえば彼のウェディングドレス。その多くは極めて簡素なデザインでありながら、静謐(ひつ)で荘厳な美しさを放っていた。ドレスから感じる印象は、たしかにエレガント。しかしその造形は、アヴァンギャルド。この両義性こそが、「クリストバル・バレンシアガ」の真骨頂であり、彼がファッション史に刻んだ独自の文脈だった。

 この崇高なエレガンスを、いま再び現代に呼び戻せるとすれば、「ピエールパオロ・ピッチョーリ」の名が真っ先に挙がるはずだ。それを証明するために、次章ではヴァレンティノでの彼の仕事を振り返ってみたい。

ピッチョーリのオートクチュールは「布地の彫刻」

 ピッチョーリの類稀な造形センスを確かめるなら、まずはオートクチュールに目を向けるべきだろう。なかでも、ヴァレンティノ時代に彼が手掛けた最後のオートクチュール、2024年春夏のコレクションは、ピッチョーリの才能を余すところなく証明している。

 クリストバル・バレンシアガのエレガンスを現代に蘇らせるには、直線的なカッティングで軽やかな構造体を作る感覚が不可欠だ。その資質を最も的確に観察できるのが、メンズウェアではないか。

ショールック

ヴァレンティノ 2024年春夏オートクチュール

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 たとえば、このボタンレスのテーラードコート。複雑なパターンを排除し、直線のカッティングとボリュームのわずかな調整だけで、浮遊感あるフォルムを描き出している。パンツもまた、生地の硬さを活かしながら、ワイドな輪郭を保った構築的なデザイン。布が身体に沿っているのではない。身体の上に、布が立っている。そう言いたくなる造形だ。

 男性の服は、女性に比べて平面的な身体に合わせて作られる。そのため、服の形は自ずとシンプルになりがちだ。もともとのボディラインが平面なら、そこに沿う衣服もまた、直線的なものに収束していく。歴史的に見ても、男性の服が簡素に映るのは、その構造的要因によるものだろう。しかし、ピッチョーリはそうした伝統には収まらない。

 次に必要なのは、「ボリュームを優雅に扱う感覚」である。クリストバルのドレスの多くは、豊かな量感によってかたちづくられている。しかし、単にボリュームがあるだけでは足りない。そこには、必ず「気品」が伴っていなければならないのだ。

ショールック

ヴァレンティノ 2024年春夏オートクチュール

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 とりわけ印象的だったのはヴァレンティノ 2024年春夏オートクチュールコレクションで登場した、ワークウェアと呼ぶにはあまりに洗練されたジャケットに、サーキュラースカートを思わせる広がりを持つフレアスカートを組み合わせたルックである。

 アウターは、フードやアウトポケットを備えたオレンジのジャケット。色彩もデザインも力強く、存在感がある。逞しさと気品が同居する一着に引けを取らないよう、ボトムには、大きな三角マチを挟み込んだ構築的なスカートが選ばれていた。

 このスカートは、ただのフレアシルエットではない。分量の多さに加え、巧みに挿入されたマチが波打つような動きを生み出し、ボリュームにリズムを与えている。アウターの強さに拮抗する存在感を保ちながら、その輪郭はむしろ軽やかで、優雅そのもの。ピッチョーリは、単に布を多く使うのではなく、布の運動と重心のバランスを理解したうえで、優雅さという価値を「量」に翻訳している。このように、「優雅なボリューム」を構築できる能力もまた、ピッチョーリの大きな資質のひとつだ。

 最後に取りあげたいのが「立体的装飾性」である。

ショールック

ヴァレンティノ 2024年春夏オートクチュール

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 2024年春夏オートクチュールコレクションで登場した一着は、まるで薔薇の花を一輪ずつ縫い留めたような、真紅のマント。技巧の極致とも言えるこの造形は、オートクチュールの伝統を受け継ぐ表現であり、同時にピッチョーリの情熱と感性を凝縮したシグネチャーとも言えよう。

 一見、これはピッチョーリ独自のロマンティシズムの極みに見える。しかし、ここにもバレンシアガに通じる美意識が確かに息づいている。

 バレンシアガは、柄や刺繍を用いた表層的な装飾とは距離を置いていた。彼の美は、構築とフォルムによって語られる。しかし同時に、彼は装飾そのものを否定していたわけではない。たとえば、羽根のようなパーツをまとわせたスカートには、布の上に「絵を描く」のではなく、布そのものを「彫刻する」ような姿勢が感じられた。それは、プリントでは決して到達できない、触感と奥行きのある表現だ。

 ピッチョーリが手掛けたこのマントもまた、平面上に図案を載せるのではなく、布自体を立体的に重ねることで装飾を成立させている。一つひとつの花弁が独立して存在しながら、全体では流れるシルエットを作り上げ、構築と装飾が分かちがたく溶け合っている。

 これは、装飾でありながら構築であり、構築でありながら装飾である。まさにバレンシアガが提示した「かたちそのものが語る装飾性」の現代的再解釈と言えるのではないか。

 ピッチョーリがバレンシアガのディレクターに選ばれたことは、偶然ではなく、運命だった。そう断言するのは誇張だろうか。しかし、驚くほどにバレンシアガと共鳴する才能を見たあとでは、ピッチョーリこそがクリストバルの美学を21世紀に蘇らせることができる、唯一の人物だと思わずにはいられない。

ストリートの言語をメゾンに翻訳する ピッチョーリの真骨頂

 ピッチョーリを語るとき、造形だけでは語りきれない。もうひとつ見逃せないのが、彼の優れたマーケティング感覚だ。ヴァレンティノは、イタリアが誇る最高峰のラグジュアリーブランドであり、ウィメンズもメンズも、その本質にあるのはエレガンスと洗練である。そんなブランドに、ピッチョーリはあえてストリートの文脈を持ち込んだのだ。

 最も象徴的なシーズンが、2020年春夏メンズコレクションだ。

ショールック

ヴァレンティノ 2020年春夏メンズコレクション

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 ルックを構成するのは、Tシャツ、トラックパンツ、スニーカーといった、いわばストリートウェアの三種の神器。ピッチョーリは、Tシャツという最もマスに届くアイテムに狙いを定め、ストリートをヴァレンティノに翻訳してみせた。使った手法は、グラフィック。これまたストリートに欠かせない表現手段だ。

 だが、描かれているのはロゴでもなければ、落書き風のペイントでもない。鮮やかなオレンジの生地に浮かぶのは、東洋の山水画を思わせる、淡く繊細な筆致のグラフィック。松の木や岩肌が幻想的に描かれ、その色彩と配置は画仙紙に描かれた動物のように儚げだ。

 Tシャツでありながら、たしかにエレガンスが宿っている。装い全体はストリート然としていながらも、その中身は明確にヴァレンティノの言語で話されていた。誰にでも届くTシャツという媒体に、ブランドの詩情を織り込む。それこそが、ピッチョーリ流マーケティングの真骨頂なのかもしれない。

ショールック

ヴァレンティノ 2020年春夏メンズコレクション

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 続くルックもまた、グラフィックアイテム、トラックパンツ、スニーカーといったストリートの要素で構成された。ただし、先ほどの淡い山水画とは異なり、今回のグラフィックはコントラストの効いた配色と明瞭な輪郭で構成され、よりストリート色が強い。

 だが、プリントされたのはTシャツでもなければ、フーディーでもない。ピッチョーリはあえて、ヴァレンティノらしさを象徴する「シャツ」にグラフィックをのせてきた。さらに、シャツの上にはクラシカルな「ジャケット」を重ね、ブランドの「顔」とも言えるアイテム同士を組み合わせた。

 ストリートの文法で作ったグラフィックを、ラグジュアリーの構文に編み直す。それが、ピッチョーリのもう一つの翻訳術なのだ。ストリートから来たものが、気づけばオートクチュールの言語で語られ、見る者を魅了する。

 2020年春夏シーズン当時、ファッションの潮流はストリートと装飾が主軸だった。このコレクションが物語るとおり、ピッチョーリはブランドの美学だけに殉じるデザイナーではない。むしろ、社会や市場の動きに対して、極めて敏感に反応するデザイナーだと言えよう。そしてそれこそがファッションデザイナーの本分なのではないか。

 ファッションは人が身につけることで初めて成立し、社会の空気や時代の価値観が反映されることで、さらなる魅力を獲得する「生きたプロダクト」だ。たとえば、20年以上前に世界中を席巻したスキニージーンズが、現在ではどこか時代とのズレを感じさせるように、ファッションの価値は時間とともに絶えず変化していく。10年単位の長いスパンだけでなく、半年や一年という短い周期でも、ファッションの意味は揺れ動いてしまう。

 こうした変化を見極めながら、ブランドの哲学に沿って再解釈し、顧客のスタイルへと昇華していく。それこそがファッションデザイナーの宿命だろう。ピッチョーリは、それを高いレベルで実践している数少ないデザイナーの一人である。

ショールック
ショールック

ヴァレンティノ 2020年春夏メンズコレクション

Image by: ©Launchmetrics Spotlight

 現在のバレンシアガには、デムナが10年以上かけて築いた顧客たちがいる。現時点でケリングはバレンシアガの売上を個別に公表していないため、正確な業績は明らかではない。ただし、同ブランドが含まれる「その他ブランド」カテゴリは、2025年上期決算で前年同期比15.0%の減収を記録している。

 ポジティブに見れば、同25.9%減のグッチよりも緩やかな落ち込みとも言えるが、それでも決して楽観視できる状況ではない。現行の顧客層を手放すわけにはいかないが、それだけでは先細りにもなりかねない。刷新と継続、その両方を求められる難しい局面に、ブランドはいま立っている。

 この矛盾を乗り越えられるのは、クリストバル・バレンシアガに通じる崇高なエレガンスを持ち、市場の変化を冷静に観察できるピッチョーリをおいて他にいない。彼ならば、この揺れる地盤の上に、次なる物語を築くことができるはずだ。

デムナ後のメゾンに求められること

 バレンシアガの次の一歩を考えるとき、しばしば「継承か、刷新か」という問いが立ち上がる。だがピエールパオロ・ピッチョーリというデザイナーの軌跡をたどるとき、この二択だけでは語りきれない何かが、たしかに浮かび上がってくる。

 彼は、構築と優雅さを備えたオートクチュールのなかに、彫刻的なエレガンスを見出してきた。同時に、Tシャツやグラフィックといった日常的な形式のなかに、ブランドの美学を丁寧に織り込んできた。そうした姿勢に一貫しているのは、デザインを「翻訳」として捉える感覚だ。伝統をただ守るのでもなく、トレンドに従属するのでもない。理念と現実のあいだで、慎重に文脈を書き換えていく。ピッチョーリがこれまで行ってきたのは、そうした営みだったように思われる。

 現在のバレンシアガでは、ブランドの精神と市場の要求を、同時に捉える視点が求められている。そして今、その二つを結びつけた新たなバレンシアガ像を築ける存在がピッチョーリであることに、異論を唱える者は少ないだろう。

 継承と刷新。そのどちらにも振り切らず、静かにそのあいだを歩くこと。クリストバル・バレンシアガの問いかけを胸に、なお新しさを描くこと。バレンシアガの次の物語は、きっとそこから始まる。

AFFECTUS

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。

最終更新日:

ADVERTISING

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント