連載「ふくびと」ゴヤール&ザ・コンテンポラリー・フィックス 吉井雄一
2010年09月03日 20:20 JST名だたる東京のショップでバイイングを手がけてきた吉井雄一氏は、東京のファッションシーンにインディペンデントな新風を吹かせてきた人物だ。現在、東京・青山の注目ショップ「THE CONTEMPORARY FIX(ザ・コンテンポラリー・フィックス) 」オーナー、そして「GOYARD(ゴヤール)」ジャパンブランディングディレクターを務めている吉井氏。その「ふく(服・福)」と深く関わり影響を与え続けてきた軌跡を振り返り、人生を変えた「ゴヤール」ファミリーとの驚きのエピソードやファッションに対する熱い思いなど、惜しみなく語ってもらった。

吉井氏は、飲食業「PARIYA(パリヤ)」を営むかたわら、伝説のサロン「CELUX(セリュックス)」バイヤー、セレクトショップ「LOVELESS(ラブレス)」ヘッドコーチを経て、2008年に自らのショップ「ザ・コンテンポラリー・フィックス 」を立ち上げた。2010年夏にショップの大リニューアルを実施し、それまで手がけてきた飲食とファッションを融合。「ザ・コンテンポラリー・フィックス」1Fにカフェ&デリ「パリヤ」を導入し、新たなステージを迎える――――。
■ジェラート屋から、母の死をきっかけにファッションの道へ
母がニットデザイナーだったのですが、作っていたのはカシミア製の1着30万円もするような高級品でした。とにかく色の美しいものが好きな親で、小さい頃からそのそばで遊んでいるうちに、毎シーズン1枚はアーガイル柄を組まされたりもしていました。それで物心ついた時から自然と洋服が好きになり、若い頃は古着やコムデギャルソンなどいろいろと興味がありましたね。10代でこれだけ分割の支払いがあるのは異常なんじゃないかというくらいの買い物をしていました(笑)。
でも、 ただ洋服が大好きなだけで、仕事にするのは飲食業と決めていたんです。96年くらいにジェラート屋(PARIYA)、そこでお弁当も始めました。でも、ようやく流行ってきたかなという時に母が突然亡くなって。僕が26の時です。早くに父と離婚して働きながら女手一つで3人の子供を育ててくれた母のそばにずっといたものですから、「息子としてなにかしら母の意思を継ぐものを」という気持ちが強くありました。でも自分はデザインが出来る訳ではないので、青山に物件をみつけて、当時好きだったヴィンテージを扱うショップを始めました。自分で定期的にNYやロサンゼルスに行っては個人宅を訪ねてまわったり、新聞に「ヴィンテージ買います」と広告を出したりと地道でしたね。大きな資本があるわけではないので、売上が出たらキャッシュを握って格安のチケットで飛行機に乗って、という状態からのスタートでした。
■伝説の会員制セレクトショップ「セリュックス」のバイヤーに
そのうち、だんだんとヴィンテージブームが加熱して、値段がどんどん上がっていってしまいました。たまたま良い顧客さんたちに恵まれたのですが、小さなブティックなのに売上が月に1000万円を越えてしまったんです。どれも1点物なので、とびきりのものを買い付けても1人の人に売ったら終わりなんですよね。それで商品がまわらなくなって買い付けの頻度が上がり、飲食業も平行してやっていたので、次第に疲れて身体がもたなくなってしまいました。何かが違う。もう止めようかとも思っていたちょうどその頃、LVMHのサロン「CELUX(セリュックス)」バイヤー就任のお話を頂き、いい機会なので引き受ける事にしました。
「セリュックス」は画期的なセレクトショップで、入会金を払って初めてショップへのカギがもらえるという、当時憧れのショップでした。でも、入会するのに20万を払わないと入れないような店に並べる商品って、どれだけ最高なものを置くのかという部分ではすごくプレッシャーでしたね。普通の店に売っているものではダメ。そういった意味ではやりがいがありましたが、責任のある重要な仕事でした。
■ゴヤールとの一生忘れられない瞬間
「GOYARD(ゴヤール)」を知ったのはヴィンテージショップを始めたころなんですが、初めは単純に"ゴヤールディン"という杉綾模様に惹かれました。それで、パリに行った時には直営店に寄って、必ず何か1個は買おうと決めて。頑張って自分の掟を作って買い続けていたんです。
「セリュックス」のバイヤーを務めた後、新しいセレクトショップの立ち上げのお話を頂きました。それが「LOVELESS(ラブレス)」です。まず店作りをするとき、新しくてフレッシュじゃないといけないと思いました。ファッションは、シーズンごとに前のシーズンを否定するかのようにトレンドがどんどん変わっていきますよね。でも一方で、永遠に変わらないものの素晴らしさがあるとも思っていて。それで4層のお店の真ん中にくる1階の核となる部分に、時代に動かされないオーセンティックなものを置きたいという考えから「ここにはゴヤールしかない」と心に決めたんです。
でも、1国1店舗主義の「ゴヤール」は、日本ではすでにある百貨店で展開されていました。それでも飛行機に飛び乗ってパリへ。
