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【インタビュー】原宿を"ファッションの街"にした巨匠、菊池武夫が語る現在の表参道・原宿

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原宿を「ファッションの街」にした巨匠

1980年代に原宿を中心として巻き起こった「DC(デザイナーズ&キャラクターズ)ブランドブーム」。画一的だった「洋服」の概念を壊す若手デザイナーたちの個性的なクリエーションは、日本のファッションを大きく変貌させ、世界中から賞賛された。そのブームを先導した男こそ、菊池武夫氏。彼は自身のブランド「BIGI」を立ち上げるにあたり、当時「ファッションの街」であった銀座でなく、あえてまだ何もない原宿を勝負の地に選んだ。一体なぜ? 今回は、そんな菊池氏の"オモハラ観"を覗かせてもらった。

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《プロフィール》
1939年、東京生まれ。ファッションデザイナー。1970年に「BIGI」、1975年に「MEN'S BIGI」、1984年に「TAKEO KIKUCHI」を設立。1980年代に全盛期を迎えた"DCブランドブーム"の火付け役。現在も「TAKEO KIKUCHI」の運営総指揮を担当しながら、環境省「クールビズ推進協議会」の共同代表なども務めている。

DCブランドブーム前夜。石垣の中の倉庫にて

1956年。高校を卒業し「青山ファッションカレッジ」(当時は「原のぶ子デザインアカデミー」)に通い始めた。約60年前を懐かしそうに思い出す菊池氏は「表参道のケヤキは今の3分の1くらいの高さだった」と振り返る。

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1950年代の表参道・ケヤキ並木

「緑が多くて空気、環境は良かったですが、閑散としていましたよ。近辺に洋服屋は2軒しかなく、とても商圏として成立するような場所ではなかった。当時は『ファッションの街』といえば銀座。実際、僕も卒業後は銀座を拠点にしながら衣装デザイナーとしての仕事を始めました」

その後約10年間、資生堂やカネボウなどの広告に衣装デザイナーとして参加していた菊池氏。そのセンスからだんだんと名の知られる存在になっていた彼は、1970年、ついに自らのブランド「BIGI」を設立する。だが、出店場所は銀座でなく、まだ栄えていない原宿であった。

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モード誌『high fashion』1970年12月号には、誕生したての「BIGI」1号店が記録されている。表参道の石垣の中にあった倉庫を店舗にした斬新な発想も話題に

「銀座はもう過去の人たちが作り上げて、完成している街でした。僕は新しい時代を作ろうと思っていたので、未開拓の土地を選びました。借りた場所も、綺麗なビルの一室などではなく、坂道である表参道沿いにビルを建てるため敷かれていた石垣の中の倉庫。今でこそ倉庫をリノベーションした空間なども流行っていますが、当時はそんな考え方はどのアパレルブランドも持っていませんでしたね」

結果、話題の衣装デザイナーが設立した斬新なアパレルショップには芸能人や雑誌の取材が殺到。オープン1ヶ月目にして常に店内が満員になるほどの繁盛店に。その後、拡大に合わせて移転を繰り返したというが、常に青山通り、キラー通りなどを選び、原宿から離れることはなかった。

「あの頃、喫茶店『レオン』でよくお茶をしていました。まだ原宿は喫茶店も少なかったので、あの辺で働く人はみんな集まっていた。お互い何を企んでいるのか気にし合っていて、写真家とか音楽家とか、業種も年齢も問わず挨拶して会話し始めちゃうような場所でした。原宿をバイクで流していた舘ひろしさんや岩城滉一さんとも仲良くさせてもらっていましたね」

そんな交流も関係してか、菊池氏が手掛ける「BIGI」は、1974年に始まりカリスマ的人気を得たアウトロードラマ『傷だらけの天使』の衣装協力を全面的に請け負うことに。主人公を演じた俳優・萩原健一氏の影響もあり、原宿に存在する「BIGI」は、その名を全国にとどろかせた。いよいよ原宿が「ファッションの街」としての気配を帯び始めたが、まだ周囲にはラフォーレ原宿もコム・デ・ギャルソンもない。DCブランドブーム前夜であった。

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70年代、一世を風靡したカリスマドラマ『傷だらけの天使』。衣装は全面的に菊池氏率いる「BIGI」が担当し、主人公たちのファッションも注目を浴びた

DCブランドブームを支えた大物デザイナーたちの意外な関係性

「BIGI」メンズラインの成功を受け、1975年、菊池氏は株式会社MEN'S BIGIを設立。1978年にはメンズブランドとして日本人初となるパリ進出を果たす。そしていよいよ、日本は原宿を中心とするDCブランドブームに突入する。そのDCブランドの代表格として「MEN'S BIGI」、また「コム・デ・ギャルソン」や「ヨウジヤマモト」が挙げられる。

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80年代の原宿の人々のファッション。DCブランドブームにより、みなが個性を重視しはじめた
出典:Office J1.com

「『洋服』という画一化された概念を壊す若手デザイナーたちによるブランドが、個性を求め始めた消費者の心に刺さっていました。『DCブランド』とくくられても、実際は服へのアプローチもテイストも全く違うから、それぞれ別々のものという印象でしたけど。ただ、そうテレビや雑誌がひとまとめにして表現してくれたおかげで産業全体が勢いがついたことは確かでしたし、当時もネガティブに捉えてはいませんでしたよ」

ちなみに、ブームを支えた「コム・デ・ギャルソン」の川久保玲氏、「ヨウジヤマモト」の山本耀司氏との交流はあったのだろうか。

「日本に戻ってすぐの頃、モリハナエビルでショーをやったときは、まだ有名になる前の川久保玲さんや山本耀司くんが観に来てくれたことは憶えています。でも、面識こそあれど、ちゃんと話したことは当時から今まで1度もないですね。デザイナー同士って交流しないんですよ。みんな自分がやりたいことをやっているだけだから」

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「MEN'S BIGI」1981年のコレクションを着用したカット。撮影:操上和美

意外なことに、同じ時代に原宿でDCブランドブームを支えていた大物デザイナーたちは、近くにいながら交わることなく活動し、今に至っているという。一方で菊池氏は、海外のあのデザイナーへの影響を確信していた。

「僕は70年代から素人をモデルにしてショーを行っていました。これは世界で誰もやっていないことだったのですが、DCブームの頃にゴルチェが僕のショーを観に来て、その後彼も素人をモデルにしてショーを行いました。本人は口が裂けても言わないでしょうけど、多分影響を与えたんじゃないかなと思っています」

時は80年代。いつの間にか原宿は、日本の中心となるファッションデザイナーがうごめき、世界のファッションシーンにまで影響を与える街になっていた。

「ファッションの街」の変貌をどう見る?

その後、1984年に自身の名を冠して立ち上げたブランド「TAKEO KIKUCHI」は、当時から今に至るまで知らぬ者はいないメジャーブランドとして君臨している。「BIGI」立ち上げ時代から一貫して「誰もやっていないこと」にこだわり続け、原宿を「ファッションの街」にした巨匠。時を経て、当時からさらに街の様子は変貌したが...、実は菊池氏、ここ最近の表参道・原宿を「世界中でどこにもない街」だと評価している。

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現在の表参道・原宿の魅力を"雑多感"にあると話す菊池氏

「僕は懐古主義者じゃないので、決して昔が良かったとは思っていませんよ。2000年代に海外のハイブランドが続々来て、2010年代に入るとファストファッションブランドが急増した。でも、80年代に生まれた日本のブランドも残っている。この雑多感が魅力だと思います。ヨーロッパだと旧市街と新市街で分かれちゃうものだけど、日本の街には古いもの、新しいものが混在するし、表参道・原宿においては高いもの、安いものも混ざっている。幅があるから消費者の中から新しい着こなしも生まれてきます。その価値にもっと行政も企業も気付いた方がいいと思いますよ」

そんな菊池氏、2013年には原宿の明治通り沿いに「TAKEO KIKUCHI」グローバル旗艦店としてのビルを新設。今では「AESOP」や「BLUE BOTTLE COFFEE」の設計で知られる建築家・長坂常氏(スキーマ建築計画)を起用したり、併設されるカフェは京都の人気パン屋「ル・プチメック」の西山逸成氏に任せたりと、積極的に新たな人材を採用しているように見えるが。

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TAKEO KIKUCHIのグローバル旗艦店である渋谷明治通り本店

「年齢は問わず『誰もやっていないこと』をやろうとしている人を僕は尊敬しています。自分が気に入った人に仕事を頼んでいるだけなんだけど、結果的に新しい才能を起用する形になっているかな。一緒に仕事をすることはないけれど、ファッション業界で言えば高橋盾くんと宮下貴裕くんにはいつも刺激を受けています。盾くんは頭良くて天才って感じ、宮下くんはチャレンジ精神や気構えが僕に似ていると勝手に思っている(笑)。僕自身も、メインストリート沿いにガラス張りのビルを作ったんだから、人々がここを通る度に『面白い』と感じてもらえるような新たしいことを仕掛けるのが使命だと思っています」

約50年前、菊池氏のひとつのチャレンジによって、閑散としていた表参道・原宿はファッションの街へと変貌を遂げる運命となった。高さが3倍になったケヤキ並木と同様、その成長はこれからも止まることはなさそうである。今日も新たな才能が生まれ続けるこの街で、巨匠は次にどんな「誰もやっていないこと」を仕掛けるのか、楽しみにしたい。

Text:Takeshi Koh(OMOHARAREAL編集長)
Photo:Takako Iimoto

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