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「不協和音が街のファッションを変えようとしている」FRUiTS創刊者 青木正一が語る原宿の歴史と未来

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『FRUiTS』創刊者・青木正一が語る原宿の歴史と未来「不協和音が街のファッションを変えようとしている」

1985年、海外ストリートスナップ誌『STREET』を、96年に原宿を中心とした東京のストリートスナップ誌『FRUiTS』を、2004年にはそのメンズ版『TUNE』を創刊。彼に撮影されたい若者が集まる「青木待ち」なる現象も生まれるほど、ストリートスナップブームを盛り上げた男。奈良裕也シトウレイ、清川あさみ、きゃりーぱみゅぱみゅ...様々な個性派ファッショニスタを撮影しながら、約20年にわたり原宿のストリートを観察し続けた彼だが、2015年から16年にかけて『FRUiTS』『TUNE』を休止。一体なぜ? そして、彼が「守りたい」と語るこの街の未来とは。青木正一の"オモハラ観"を覗いてみた。

【PROFILE】
1955年東京生まれ。プログラマーを経て独立。ヨーロッパのストリートファッションに感銘を受けて、85年、海外ストリートスナップ誌の先駆けとなる『STREET』をスタート。96年、原宿に集まる若者たちのファッションを記録した雑誌『FRUiTS』を、2004年、『FRUiTS』のメンズ版として『TUNE』を発行。15年に『TUNE』、16年に『FRUiTS』を休止。19年春、新たなストリートスナップメディア『Discord』を本格始動予定。レンズ株式会社代表。

『STREET』で蒔いた種が育ち『FRUiTS』が実った?

「ネアンデルタール人にも"ファッション"は存在したはず...そう考えたとき、服を着るという行為は、僕らが思っている以上に人間のルーツに直結する深い研究テーマなのではないか。80年代、パリを歩く人々の自由なファッションを眺めながら浮かんだそんな仮説が、デザイナーから発信されるコレクションでなく、ストリートのファッションを記録したいと思ったきっかけですね。ファッションは一種の言語。着用している人の脳や心をそのまま表現するもの。そして、その表現によって見る人の心を瞬間的に動かす力を持つ一種の魔術でもあります」

世界の都市のストリートスナップを掲載する雑誌『STREET』は現在も国内外のファッションファンから人気

アカデミックな哲学的ファッション論を展開する青木氏だが、20代半ばまでの職業はプログラマー。自身の年齢について「スティーブ・ジョブズと同い年」と笑いながら話す彼は、まだAppleなき1970年代、時代を先取るように京都にてプログラミング界の第一線で活躍していた。(初めて原宿に訪れたのはその頃。まだラフォーレもなく、"ファッションの街"にもなっていない地へ観光にきた青木氏は「外国っぽい自由な街」と感じたとのこと。)その後、新たなステージを探してヨーロッパを放浪するなど約5年を過ごし、先述のような発想に至る。

「帰国した当時の日本はまだDCブランドが東京の一部の人にだけ注目されているような時期で、普通の人たちのファッション的な自由度はかなり低かった。そこで、日本に世界の都市のストリートスナップを紹介する雑誌『STREET』を創りました」

立ち上げは京都にて行ったが、創刊号から予想以上に売れたことで、すぐに東京へ。事務所は原宿。「"ファッションの街"という意味で原宿以外は考えられなかった」と話すが、一方で、その時期に彼が原宿のストリートでスナップを行うことはなかった。一体なぜ?

「DCブーム全盛で、原宿にいる人たちはみんなギャルソンやヨージを着ていました。それしか選択肢が考えられないくらい東京では圧倒的な存在でした。かっこいいと思ってたし、僕自身も着ていたんですけど、それを撮ろうとは思わなかったですね。みんな同じだから。撮ってもそればかりになっちゃって、スナップ雑誌としては面白くないだろうなと」

「ちなみに、あの頃のギャルソンやヨージは人気が増すごとにどんどん値段が上がっていってたんですよ。ギャルソンのパンツが5万円を超えたときに、僕は買うのをやめました(笑)」

そして、『STREET』誕生から11年。ついに東京のストリートスナップを紹介する雑誌『FRUiTS』が誕生する。創刊を決めた理由は?

1996年に創刊された『FRUiTS』。モード界の文脈を無視した原宿独自のファッションは世界中のファッションシーンにも大きな影響を与えた。KAWAIIファッションのルーツ「デコラファッション」を世の中に広めた雑誌でもある

「DCブームもだんだんと下火になり、『次は何を着ればいいの?』というムードが街に漂っている中、原宿で一気に注目され始めたのがヴィヴィアン・ウエストウッドやクリストファー・ネメスなどのロンドンファッション。DCブランドとは異なる、型破りな組み合わせのファッションが街に急増しました。そこで『STREET』でも初めての東京スナップをやってみて『これは1冊原宿でもいけそうだな』ということで、『FRUiTS』を創刊。『STREET』で東京に蒔いたファッションの種が育って"実"をつけた...そんな想いで『FRUiTS』って名前にしたんだけど、これは僕の勝手な想定(笑)」

今も原宿に根付く「ストリートスナップ」というカルチャーの始まりのエピソードである。

『FRUiTS』で活躍した原宿の個性派スターたちに対する想い

インタビューを行ったのは原宿に構える青木氏のオフィス。壁には『TUNE』で撮影した歴代のスナップ写真がズラリ。当時の原宿では『FRUiTS』や『TUNE』に載りたい若者が路上で彼を待つ「青木待ち」と呼ばれる光景も見られた

1996年に『FRUiTS』を創刊。青木氏は当時の思い出をこう振り返る。

「『FRUiTS』ができた頃は、ブームの移り変わりのスピードはかなり速かったね。それを誰が始めたのかっていうのも僕は常に分かっていた。(当時はオシャレとされていなかった)古着を取り入れ始めた人、学校のジャージを着てアクセサリーを合わせ始めた人。ネットもなかったし、数人がダントツに目立っていて、その子たちがストリートのブームを作っている感じだった」

それから20年以上にわたりスナップを通して原宿を眺め続けている青木氏。彼は、こんな視点で、原宿が「ファッションの街」であることを感じるという。

「DCブームのときも、裏原ブームのときも、街がそれ一色になる。女性も『mini』が流行ればシンプルファッション一色に、最近だとファストファッション一色に。そして、ブームが終焉を迎える頃に、年代を越えてみんなが『これからの原宿ってどうなっちゃうんだろう』と心配し始める。地域の経済や景観を心配する街はあっても、地域のファッションを心配する街って他にないですよね(笑)」

『TUNE』は裏原ブームが落ち着きをみせ、裏原一色だったメンズファッションシーンに新たな風が吹き始めたタイミングで創刊

彼がスナップを通して関わった中には、奈良裕也シトウレイ、清川あさみ、きゃりーぱみゅぱみゅ...など今では世界で活躍する個性派スターたちも多数。彼らに対する記憶や想いを聞いてみると。

オフィスに飾られた写真の中に、若かりし頃のカリスマスタイリスト・奈良裕也氏の姿も発見

「基本的には、僕はあくまで観測をしていたいので、被写体とあえて距離をとっています。自分がブームを作るようなことはしたくないし、影響も与えたくないんです。だから撮影以外で深く話したりすることもなかったんだけど...やっぱり親心もありますし、印象に残っている子たちもいます。たとえば...清川あさみちゃんは自分のクリエイションやこだわりが強くて。プラダの靴を履いたりして"『FRUiTS』にも染まらない"みたいな姿勢を感じる人でしたね。きゃりーちゃんは、シンプルファッションブームにそれを壊すように登場してきたので、救世主のように感じたのを覚えています。みな当時と変わらず自分の個性を活かして活躍していて、素晴らしいと思います」

自身が持つ"ストリートスナップの流儀"を貫きながら、暖かく街を観測し続けてきた青木氏。そんな彼は今、この街で新たな動きを見せ始めている。

原宿は自由なファッションを披露するアジアのステージに

オフィスには約20年分の『FRUiTS』全号が保管されている

青木氏は、2015年に『TUNE』を、16年に『FRUiTS』の休刊を決定。国内だけでなく、海外のファンから惜しむ声が挙がるファッション界の世界的ニュースとなったが、理由はシンプルに「オシャレな子を雑誌1冊作れるほど撮れなくなった」ことであった。ストリートスナップの象徴であった青木氏が街を離れることは、「原宿が"ファッションの街"でなくなるのでは」という不安を多くの人々に与えた。しかし、2019年の春に、新たなストリートスナップメディア『Discord』の立ち上げを決定。雑誌とSNSの両方で情報発信を行うという。原宿にオシャレな若者が戻ってきた?

『FRUiTS』は233号で休刊することに。特集タイトルは「Harajuku street fashion」であった

「原宿にオシャレな子がいなくなったのは、ファストファッションの影響もあったけど、SNSの浸透も関係していた。わざわざ街に出てファッションを披露しなくても、SNSで発信できちゃうから。でも、ここ数ヶ月でそれが変わってきているように思う。理由のひとつは、原宿が、日本人がオシャレを見せにくるステージから、中国、韓国などを含むアジア全域の子たちがファッションを見せにくるステージに変わったこと。まだファッションの歴史の浅いからこそできるアジアの人たちの自由なコーディネートはハイレベルだし、日本人にもいい刺激をくれてるよね。そして、アジアの人たちがなぜ原宿を選んだかというと、歴史的にみて、ここが様々なファッションの始まりの場所だということが関係していると思う。それはこれからも変わらないものだよね」

また、彼が新たに出現したストリートファッションを記録するのには、こんな想いもあると話す。

2019年、青木氏がSNSで発信した「discord 宣言」の全文

2019年、青木氏がSNSで発信した「discord 宣言」の全文

「メディア名の『Discord』は"不協和音"という意味なんだけど、僕はVETEMENTS(ヴェトモン)の登場以降ファッションが大きな変革期に入ったと思っていて、これは音楽でいうとストラビンスキーやドビュッシーが不協和音を提案したようなものなんじゃないかと捉えているんです。VETEMENTSとかBALENCIAGAのスニーカー、大きいにもほどがあるでしょ(笑)。でも、それにパリコレのファッション関係者も飛びついたし、ストリートも敏感に反応して取り入れ始めた。僕から見るとあのブランドたちが『この不協和音を使って何か新しい自分のファッションを作ってみてよ』と提案したことで、世の中に新しいファッションが次々と生まれそうに見えているし、そこで生まれるファッションって『FRUiTS』的だとも思っていて、楽しみなんです。そういった新時代の芽が叩き潰されないように守るようなメディアが作れたらと思っていますね」

一歩離れて見守る。原宿を愛する男の親心が見てとれるが、他にも、編集部であるオフィスを『Room F』の名でイベントスペースとして新しい挑戦者に貸し出す予定だと話す。

「自分はストリートの観測をしたいので、デザイナー側には興味がない」と言いつつも「ヴェトモンとかバレンシアガのデザイナーやってるデムナ・ヴァザリアは元々マルジェラにいて、彼が意識的にやっているのは現代アートでいうデュシャンの…」と、青木氏のファッションに対する造詣は非常に深い

「原宿って"場所"が意味を持ちやすいエリアですよね。NIGO®さんが『NOWHERE』をスタートした場所とか、伝説のカフェがあった場所とか。面白い子がでてきたときに何かできる場所を作っておいて、いつかずっと意味を持ち続けるような場所を作れたら嬉しいですね」

最後に改めて「渋谷でも代官山でも六本木でも難しい。日本で『ファッションの街』でいられるのは原宿しかない」そう語った青木氏。様々なブームの波、時代の波に飲まれ、何度も「どうなってしまうのか」と心配されながら、その度に個性を取り戻すこの街のファッション。その変革の歴史を、これからも彼がストリートの片隅で観測し続ける。

Text:Takeshi Koh
Photo:Hiroaki Noguchi

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