


そのデザイナー名を目にしたのは、何年ぶりだろう。ノーマ・カマリ氏である。最初にその名を知ったのは、二度目にニューヨークを来訪した1982年。現地ではカルバン・クラインと並んで知名度がぐんと上がっていた。彼女のクリエーションは現地で購入した新聞、ニューヨークタイムズの日曜版で、広く露出していた。日曜版は別名「電話帳」と呼ばれるほど、日刊紙を10部以上も束にした分厚さ。もちろん、記事だけではその分量になるはずもなく、広告ページ、パンフレットやフライヤーの折り込みも含まれていた。その紙面1ページ(日本でいうところの15段)を使って、販売契約する百貨店(ロードアンドテーラーだったと記憶)が広告を出稿していた。そこが全面に推していたのがブランド「ノーマ・カマリ」だ。
早速、店舗まで出向いて商品をチェックした。腰のあるグレーのスウェット素材を用い、ヒップラインでラッフルに切り替えたミニ丈のドレス。これがニューヨークのファッションかと呆気に取られた感じだった。カマリ氏はニューヨークのFIT(ファッション工科大学)を卒業後、同市に自身のショップをオープン。爬虫類の皮やラインストーンを使ったオリジナリティあるファッションを生み出し、人気を博した。1971年にはパラシュートの素材を使ったパラシュート・クロージングを発表。中でもジャンプスーツは彼女の代名詞になった。80年代に入ると、それまで大学などのロゴ入りトレーナーにしか使われていなかったスウェット素材をニューヨーク流のシティファッションに持ち込んだ。筆者がニューヨークタイムズの広告で見たドレスがそれだったのではないかと思う。
斬新なアイデアを駆使してアップデートなファッションを創造する。スウェットルックはその代表格となって大ヒット。カマリ氏は「スウェットの女王」と呼ばれ、ニューヨークファッションにおいて金字塔を打ち立てた。ニューヨークタイムズの新聞広告は日本に持ち帰り、そのまま額装して自宅の部屋に飾っていた。その後も仕事では「ノーマ・カマリのようなデザイン」と、事例にすることも度々あったが、彼女がデザインするようなドレスが日本でトレンドになるのはもう少し後になる。2000年頃、同じニューヨークのデザイナー、ジル・スチュワートがキャミソールドレスを発表して以降だ。
2026年2月、久々にノーマ・カマリという名前を目にしたのは、彼女がアラブ主張国連邦(UAE)のアブダビで出会った科学者からある言葉を投げかけられたという記事だった。「あなたの脳をダウンロードしたい」。1945年生まれの彼女は80歳を目前に控えた23年、世界中から優秀な理系学生が集まるマサチューセッツ工科大学(MIT)で生成AIを学ぶ。そこで50年以上にも及ぶ自身のクリエーションを記録した、いわゆるコレクション・アーカイブを活用した独自のAIを構築した。そのバイタリティにも驚くが、これから自身のブランドをどう持続させていくか。そのテーマを実現する上で、アブダビで出会った科学者の言葉が彼女の背中を押したのは言うまでもないだろう。

カマリ氏は、「AI×ノーマ・カマリ・アーカイブ」をカマリ氏自身のカール・ラガーフェルドと説明。ファッションデザイナーであるカール・ラガーフェルド氏がココ・シャネルの死後、シャネルのアーカイブを参照し、同ブランドをアップデートし続けたことを参考にしたと見られる。ココ・シャネルとカール・ラガーフェルド氏との関係同様に、カマリ自身が創ってきたノーマ・カマリもまさにブランドのアップデートそのものに他ならない。それを現在から将来までにおいて変わらずにコレクションとして生み出していくという決意でもあった。
では、ファッションデザイナーが構築するAIはどう働くのか。あくまで筆者の私見だが、アーカイブを不要でも削除したくないデータや文書を専用の保管庫に長期間保存することと、解釈するとする。ならば、過去数十年にも及ぶデザイナーの作品をアーカイブしたAIを用いることで、過去のコレクションで用いた素材使いや配色、シルエットやボリュームの取り方、ディテールや様々な加工法などが整理できる。新シーズンのデザインをする時にAIを活用すれば、そうした要素を瞬時に取り出せるので、ブランドの世界観をブレさせることなく新たなクリエーションに新鮮味を出していけるのだ。
デザイナーは過去のクリエーションが頭の中に蓄積されていても、色や素材、ディテールなど細部にわたって整理されて記憶できているかといえば、そうではないと思う。だから、新シーズンのデザインに携わる時、「いつか手がけたあの作為を踏襲してみよう」「あの素材を再度活用できないか」「細めにしたいからあの頃のシルエットを参考にしたい」などとアイデアが浮かんだとすれば、従来なら膨大な資料の中から参考になるデータや文書を探し出さなければならなかった。それがコレクション・アーカイブのAIを構築していれば、欲しいデータや文書が整理された状態で、取り出すことができる。AIはデザイナーにとっての「無尽蔵の引き出し」でもあるわけだ。
AIはデザイナーにとって有能なブレーン

では、デザイナーにとってAIはどんな存在となるのだろうか。先の記事では、「大量の資料や教養から要素を抽出して、抽象化して、それを組み合わせて新しいものを作る。これは基本的にクリエーションそのもの。優秀なクリエーションそのもの。優秀なクリエーターというものは、ものすごく高性能なコンピュータ人だった。これまで人間が身体でやってきたことを、今、機械が引き受けたに過ぎないのだと」と、記述されている。確かに生身の人間の頭脳には断片的な記憶や教養でしかないから、Aiはそれらを時期、種別、内容別に整理して保存できる。また、それらを引き出す時も、条件を設定すれば欲しいものが整理されて出てくるから、効率的にデザイン作業を進めることができる。
つまり、デザイナーにとってAIは自身のクリエイティビティを広げ、仕事をスピーディに無駄なく進めていく上での有能なブレーン(アシスタント)と言えるのではないか。詳細なデータを計測したわけではないが、AIを活用することでおそらくデザイン作業の初期段階では作業時間を最低5割、多いと7割程度カットできるのではないかと思われる。それだけ作業の効率化が測られるわけだ。では、具体的にどの部分が効率化され、有益になるかを考えてみたい。
まず、AIに何を要求するか、である。いわゆるテキストプロンプトによって、AIはそれに沿ったアイデアスケッチや写真画像を作成してくれる。アイデア出しの段階における時間短縮が図れることになる。次に、1つのアイデアスケッチにおいて、素材違い、色柄違い、シルエットやボリュームの差異を瞬時に生成できる。デザインの初期段階でこの二つが短時間で可能になるため、ブランドの世界観や独自性を保ったまま、アイデア素案をプレゼンできる。もちろん、プロンプトが不明瞭や曖昧であると、AIから意図しない答えが返ってくることもあり得る。いかに明確な指示をするかが重要になる。
ビジネス面ではどうだろう。例えば、デザイン作業の前にマーケティングやトレンド予測で活用できる。例えば、SNSでの各種投稿、検索データの上位ランキング、コレクションなどでの人気ランウェイ画像などをAIに解析させることで、どんな色や素材、シルエット、スタイリングやコーディネートが予測できる。勘に頼らない需要予測ができるため、マスを狙うファッションでは有効かもしれない。逆にそれを否定するマーケティングをしたいのであれば、AIが導き出した予測を全否定した企画・デザインにすればいいわけだ。それはそれでコアな客層に響くことになる。また、過去の販売データとトレンドを掛け合わせると、在庫過剰を避ける最適なコレクション構成を設計することができるだろう。

サンプリングやプロダクト工程はどうか。AIによりIllustratorで作成した2Dのスケッチを即座に3Dモデルへ変換し、仮想試着(バーチャルフィッティング)を行うことができる。CADレベルで画質が粗かったが、モデルが来たサンプルを現物同様のリアルなものに再現できる。従来、展示会でバイヤーに試着してもらっていたが、3Dデータを見てもらうだけで商談が進められるのなら、全ての企画でサンプルを作る必要はなくなる。また、PC上でサンプルを見てもらえるから、会場を押さえて展示会を開催したり、バイヤーを招待しなくて良くなる。莫大なコストと時間が削減できるわけだ。パターンの作成時間も短縮でき、より精度の高い製品開発に繋げられる。見切り発車で最低限の在庫を確保する必要がなくなれば、廃棄を減らせ、環境負荷の低いブランド運営を実現できる。

アパレルと生産工場の連携では、3Dツール上でAIが生成したビジュアルや計測値、修正メモをアパレルサイドと工場側で共有できるため、企画チームと工場との意思決定がスムーズに進み、生産までの時間が短縮され、製造効率がアップする。その他にAIでデジタルクローンを制作できるため、ブランドのバーチャルモデルを仕立ててアイコン化すれば、持続可能で一貫性をもつプロモーションやマーケティングが展開できる。生身のタレントやモデルを起用する必要なく、ブランド力も向上が図れることになる。逆にターゲットとする客層に向け等身大のデザインができるため、ブランドデザインをパーソナライズしてレコメンドできる。これまで、「ここがこうあったら」「この部分のコストをカットできれば」「離れた取引先でわざわざ来てもらうのはちょっと」などの課題も一気に解決されるということだ。
もちろん、AIはあくまでツールに過ぎない。デザイナーでもなければ、生身の人間でもない。それらにしか味わえない体感やバランスが得てしてクリエーションの成否を決めることもある。人間だけが持つ拘り、間、侘び寂び、思いやりや共感、反省や倫理観は、クリエイティブワークでも時として必要になる。つまり、AIが生成したものをこうした人間独特の性質によってフィルタリングし選別、編集して、クリエーションの完成度を高めていく必要がある。AIに完璧性を求めるのではなく、AIに人間が直接関与することで、判断・修正・フィードバックを行うというヒューマン・イン・ザ・ループの姿勢が、クリエーションの独自性とクオリティを維持するには重要だということだ。ノーマ・カマリ氏もそう感じていると思う。
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