

ファーストリテイリングが、「ジーユー(GU)」のクリエイティブ・ディレクターに、フランチェスコ・リッソ(Francesco Risso)を任命した。「マルニ(MARNI)」退任後、去就が注目されていたリッソだが、新天地がジーユーだと予測できた人はどれだけいただろうか。マルニで独自の美学を築いてきたリッソが、ジーユーという巨大な日常服の場で何を提示するのか。その行方に注目が集まっている。(文:AFFECTUS)
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デザイナーには、服を美しく整える人と、整った美を疑う人がいる。リッソは後者になるだろう。彼は「可愛い」を磨き上げるのではなく、歪ませる。色を調和させるのではなく、衝突させる。コレクションは完成させるのではなく、あえて未完成の緊張を残す。リッソは不安定なバランスを積極的に引き受けるデザイナーだ。
2016年11月、マルニは創業デザイナーのコンスエロ・カスティリオーニ(Consuelo Castiglioni)の後任としてリッソを指名した。デビューは2017-18年秋冬メンズコレクション。リッソのマルニを初めて見たとき、違和感が先に立った。色は鮮やかで、柄は大胆。それは創業デザイナーの世界を、確かに受け継ぐものだった。しかし、デビューコレクションには、カスティリオーニ時代のマルニが持っていた知的で安定したフェミニンは見当たらなかった。可愛いはずなのに落ち着かない。華やかなのに、どこか不穏。整えられているはずの視覚が軋んでいる。

2023年秋冬コレクションのショーを日本で開催した際のフランチェスコ・リッソ
Image by: FASHIONSNAP
カスティリオーニが築いたマルニは、幾何学的なプリントとスモーキーな色調によるエレガンスを核としていた。リッソはそのDNAを否定したわけではない。色も柄もむしろ増幅させ、積極的に使用していた。ただし、安定を取り払った。原色はより濃く、モチーフは具体性を帯びながらも混ざり合い、抽象と具象の境界を曖昧にする。そこにあるのは、安心できる美しさではなく、わずかな居心地の悪さである。
興味深いのは、造形そのものは決して複雑ではない点だ。シンプルなシルエットの上で、強烈な色と柄、そして断片的な装飾が衝突する。形はリアルで、視覚は過剰。その緊張関係が、リッソのマルニに独特の不安定さを生んだ。デビューシーズンから最後のシーズンまで、リッソの世界は一貫していた。
彼はエレガンスを壊したのではない。完成を拒んだのだ。その未完成性こそが、リッソというデザイナーの思想である。そして今、その思想がジーユーという新たな文脈の中で、どこまで機能するのか試されようとしている。
造形そのものは前衛的ではない、クリエイションの特徴は?
リッソの服には不穏さが匂う。それは危険や怪しさといった直接的なものではない。意識ははっきりと目覚めているのに、どこか夢の断片を見せられているような感覚だ。デビューから3シーズン目となる2018-19年秋冬メンズコレクションで、その不穏さはより明確な輪郭を帯びて現れた。軸となったのはグラフィックである。

マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
絵画調に描かれた椅子が、クラシックなコートやトラウザーズの表面に点在する。地面の上に固定されるべき椅子が、角度を傾けながら浮遊するように服の上を漂う。誰かが座った後なのか、それともこれから座るのか。用途を持つはずのプロダクトが用途から切り離され、意味だけが宙吊りにされている。
コート、ネクタイ、シャツ、ボトム。いずれも形そのものはリアルで日常的だ。椅子も私たちの生活に欠かせないリアルな「モノ」。服と家具、本来両者は制作上交わるはずのないプロダクトである。しかしリッソは、リアルな服にリアルな椅子を唐突に配置することで、日常と日常を衝突させた。非現実的なモチーフを持ち込むのではなく、現実的なモノ同士をずらす。その微細なズレが違和感を生み出す。
ベルギーの画家ルネ・マグリット(René Magritte)が日常的な対象を奇妙な文脈に置き換えることで現実とイメージの関係を問い直したように、あるいはエットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)が機能とポップな色彩を再編集することでプロダクトの意味を更新したように、リッソもまた「モノ」の位置を変える。だが彼は引用的ではない。椅子は写実的に描き込まれているわけでもなく、スクリーンプリントの平面性を保ったままテーラリングの上で異物として機能する。立体的で構築的な服と、平面的な絵画的モチーフ。その衝突が私たちの視覚を揺らす。

マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
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グラフィックは椅子だけではない。猿やバイオリンも登場し、それらが一着の服の中で同居する。伝統を重んじるテーラリングの文脈の中に、具体的で物語性を帯びたモチーフが混在する。その構図自体が、現実と幻想の境界を曖昧にする装置として機能している。

マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
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マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
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だが、造形そのものは前衛的ではない。素材の装飾性を抑えたルックを見ると、リッソのシルエットが驚くほどベーシックであることが分かる。肩幅はほぼジャストか、ややドロップ。身頃は細くはないが太くもない。袖幅も同様で、極端なボリュームはほとんど見られない。当時はビッグシルエットが主流だったはずだが、このシーズンのルックは流行的誇張から距離を取っている。いわば「凡庸」とも呼び得る形である。しかし、この匿名性こそが重要だ。造形で強く主張しないからこそ、グラフィックの異物感が際立つ。そして同時に、リッソが提案するシルエットは特定の体型や世代に限定されない。実際、このコレクションでは若年層だけでなく、年齢を重ねたモデルもランウェイに登場している。一見するとデザイン性の強さから人を選びそうに見えるが、服の設計そのものは広い層に開かれている。視覚は挑発的でありながら、構造は排他的ではない。その二重性がリッソの特徴である。

マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight

マルニ 2018-19年秋冬メンズコレクション
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色彩もブラックやブラウンといったダークトーンを基調にしており、落ち着いた色展開はテーラリングだけでなくカジュアルウェアでも同様だ。明るい色も用いられるが、ヴィヴィッドに振り切ることはない。鮮やかでありながら、どこか暗さを帯びる。その抑制があるからこそ、グラフィックの不穏さは過剰にならず、持続する感覚として残る。
リッソは、構造で革命を起こすデザイナーではない。シンプルな形の上で、日常的なモノを異なる文脈に置き直す。造形を誇張せず、関係性をずらす。その操作の中に、彼の「完成を拒む」思想はすでに現れている。不穏さとは、破壊ではなく、わずかな位置の変更から生まれるのだ。
エレガンスを裏切る色使いの妙
オレンジ、グリーン、ブルー。鮮やかな色は気分を高揚させる。彩り豊かな花は愛おしさや優雅さを連想させる。ヴィヴィッドな色と花は「可愛い」という感覚と相性がいい。リッソは、その安定した関係性を意図的に歪める。
2020年春夏ウィメンズコレクションでは、色と花が大量に登場するが、それは祝祭的でもロマンティックでもない。むしろ、色そのものが緊張を帯びている。このシーズンは、リッソの色彩観がもっとも露わになったコレクションの一つだ。
まず目に入るのは、「抽象」と「具象」の往復である。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
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マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
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平面的な色面が繰り返し登場するが、柄は重ねない。グリーンやブルーは影を作らず、奥行きを与えず、布の上にそのまま引き延ばされる。単色構成のルックは意外に少なく、色の面積に違いはあるが、基本は二色の衝突で構成されている。グリーンとブルー、オレンジとマゼンタ。強い色が隣り合い、コントラストが剥き出しになる。視線は落ち着かない。色だけが前に出る。そのため服は抽象画のように見える。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
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マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
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一方で、具象性を担うのがフラワープリントである。だがその花は写実ではない。輪郭は曖昧で、花弁の構造は正確ではない。遠近法もない。荒い筆致がそのまま布の上に置かれ、平面性を保っている。エミール・ノルデ(Emil Nolde)が描いた花のように、色が感情を帯びて暴れている。花であるはずなのに、優雅さは希薄だ。可愛らしさは削ぎ落とされ、どこか荒涼とした印象が残り、具象が抽象へと滑っていく。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
さらにリッソは、立体と平面の組み合わせによって色を歪ませる。網状のロングドレスの上に編み付けられたニットの花モチーフは、本来地面に根を張る植物を浮遊物へと変換する。透けるレイヤーの上で花は宙に浮く。だがその造形は素朴で、絵本的で、単純化されている。にもかかわらず、ロングドレスというエレガンスの象徴の上に置かれているために無邪気さはない。文脈の衝突が、色彩を不穏にする。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
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オレンジのローゲージドレスでは、茎と葉だけがニットで編まれる。花そのものは不在だ。ブルーとグリーンは鮮烈であるにもかかわらず、ルックは陽気にならない。むしろ静かで、どこか空虚だ。主役が現れない舞台のようでもある。咲くはずの花が咲かない。不条理な物語の途中で止まったような感覚が残る。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
無地の布帛による色構成にも歪みはある。ドレープ、ギャザー、リボン、ワンショルダー。色をフラットに提示することをリッソは拒む。滑らかな質感の生地でさえ、身体の上で不規則に波打つ。アシンメトリーのシルエットは安定を崩し、色を固定させない。色は面ではなく、動きとして提示される。

マルニ 2020年春夏ウィメンズコレクション
Image by: ©Launchmetrics Spotlight
ニットでも同様だ。裂けたような編み地の端、揺れる糸、非対称のネックライン。どこかグランジ的な荒れを含みながら、全体のシルエットはロングで優雅。エレガンスは整えられず崩され、トップスは途中の緊張を保ったまま存在する。
このシーズンが示しているのは、リッソは色彩においても「完成」を拒んでいるという事実だ。ただし、それは未熟さではない。調和という単一のゴールを否定しているのである。不規則、不安定、不調和。そうした状態もまた、美の一形態になり得るのではないかという問いだ。ロングドレスという西洋的エレガンスの象徴を用いながら、その内部に不穏な色を流し込む。鮮やかでありながら安心させない色使いが、伝統的な価値観を揺らしていく。
完成を拒み、不完全を愛する
2018-19年秋冬メンズコレクションでは価値観の破壊を、2020年春夏ウィメンズコレクションでは色彩の思想を見た。リッソは一貫して、造形そのものを前衛に振り切ることで驚かせるデザイナーではない。むしろ総合力によって、誰もが知るベーシックな服を、ベーシックの文脈からそっと逸脱させていく。その手法が最も複雑な手法で結実したのが、2022年秋冬コレクションである。全ルックから感じられるのは、「あらゆるファッションの混在」だ。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI

マルニ 2022年秋冬コレクション
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英国的トラディショナルを好みつつ、アメリカンカジュアルも愛する男性。パリのエレガンスをまといながら、ロンドンパンクにも惹かれる女性。一つのルックの内部で、複数のファッション言語が衝突しながら共存している。服のフォルムは極端に崩れていない。あくまでジャケットはジャケット、ワンピースはワンピースの形に留まる。その「普通さ」があるからこそ、内部の混線がいっそう生々しく浮かび上がる。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
アメリカントラッドを思わせるニットとシャツ。そこに手工芸的パッチワークを施したジーンズが重なる。レザーコートもまた、日常に存在するアイテムだ。構成要素はどれも現代人のワードローブに属しているにもかかわらず、全体はどこにも帰属せず、民族衣装のような雰囲気すら帯びている。民族衣装とは、本来特定の土地と技術に根ざしたものだ。しかしここでは、量産的なアイテムの上に、キルティングの裏地やパッチワークといったクラフトな痕跡が重ねられ、出自の曖昧な「擬似民族性」が生まれている。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
別のルックでは、さらにクラフトワークが強調される。ヴィンテージのように擦れたコートは重量感を帯び、装い全体を沈ませる。モデルの頭上には一輪の花。子どもの無垢さと、疲れが見える大人の成熟性が同時に立ち上がる。服の境界を決定するのは、文化や国籍といった横軸だけではない。年齢という時間の縦軸もまた、スタイルを分断する要素である。リッソはそれら全てを一体化し、時間そのものを攪乱する。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
色彩も同様だ。滲み、掠れ、斑ら。ロングシルエットや刺繍、華やかなプリントを用いた本来優雅であるはずのドレスに、色の滲みが侵入する。美しく整えられるはずの衣服に、不安定な色面を差し込むことで、完成の手前に引き戻す。リッソは単に美意識を否定しているのではない。美が完成した瞬間に硬直することを拒んでいるのかもしれない。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI

マルニ 2022年秋冬コレクション
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このコレクションでは「穴」も反復されていた。切り裂かれたフリンジ状の隙間、粗く編まれたニットの隙間。前者は完成後に破壊された痕跡で、後者は未熟な制作過程の露出をイメージさせるが、どちらも「完璧」「完成」という概念を解体する点で共通している。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
フリンジも象徴的だった。オレンジやピンクという色は、本来フェミニンや可憐さと結びつきやすい。しかしここでは、フリンジは愛らしさを生まず、むしろ暴力的な断裂として機能する。「フリンジ=可愛い」「ピンク=甘い」という記号的連想を、あえて裏切る。その捻転が、このコレクション全体の不穏さを支えている。

マルニ 2022年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
2022年秋冬は、リッソにしては珍しくシルエットにも明確な変化がある。極端に長い袖が手首を覆い、そのまま垂れ下がる。技法としては単純だがクラシックなコートと組み合わせることで、異様さが際立つ。もしこれが前衛的なフォルムの上に置かれていたなら、単なる造形実験に見えただろう。ベーシックなアウターに過剰な袖を同居させるからこそ、違和感は逃げ場を失う。
そしてショーの舞台は、闇夜の土道。整備されていない地面、脇に繁る草木。ランウェイはもはや都市ではない。そこを歩くモデルたちは、洗練された都会の住人ではなく、どこか異界から迷い出た存在のように映る。
「完成」を拒む思想。ベーシックな形。単純な技法。
それらを交差させることで、リッソは均衡を崩す。派手な前衛ではない。だが確実に、美の安定を揺らす。その結果立ち上がる世界観は、華やかさよりもむしろ不安を孕んでいる。
では、この不穏さはどこから来るのか。
2022年という時間軸を無視することはできない。世界はパンデミックを経験し、都市の機能は停止し、人々は日常の足場を失った。安定しているはずの社会構造が揺らぎ、「当たり前」が崩れた。その空気の中で提示されたのが、この混在と未完成のコレクションである。
しかしリッソは、直接的な社会批評を行っているわけではない。彼は明確なメッセージを掲げない。代わりに、トラッドやエレガンスといった「安定」を象徴する服に、小さな亀裂を入れる。袖を伸ばし、色を滲ませ、穴を開ける。そのささやかな歪みが、世界の揺らぎと呼応する。
ホラーとは、怪物の出現ではない。見慣れた日常が、ほんの少しだけズレることだ。
2022年秋冬のマルニは、まさにその「ズレ」を積み重ねたコレクションだった。完成を拒み、帰属を曖昧にし、美を不安定にする。そこに直接的な描写はない。だが、不安という空気は確かに服の内部に浸透している。
だからこそ、このコレクションは怖い。叫ばないホラーなのである。
リッソの「ジーユー」は成功するか?
デビュー以降、リッソは一貫して「完成」を疑ってきた。造形を誇示するのではなく、ベーシックを歪ませる。色を美しく整えるのではなく、滲ませる。文化や年齢、スタイルの境界を明確にするのではなく、混在させる。彼のデザインは常に、既存の価値観を大きく破壊するというよりも、揺らすものだった。
では、リッソの思想はクリエイティブ・ディレクターを務めることになった「ジーユー(GU)」というブランドの中でどう作用するのか。
ジーユーは、日本における最も巨大なマスファッションの一角を担うブランドである。価格は抑えられ、トレンドは目まぐるしく移り変わる。そこでは「わかりやすさ」「即時性」「均質性」が強く求められる。リッソの思想は、対極にあるようにも見える。
しかし、ここで一つ重要な事実がある。リッソはこれまで服の形を極端に壊してはいない。コートはコートのまま。ニットはニットのまま。ジーンズはジーンズのまま。彼が壊してきたのは、形ではなく「文脈」である。

マルニ 2025年秋冬コレクション
Image by: Courtesy of MARNI
その点において、ジーユーというフィールドは、むしろ彼にとって理想的な実験場になる可能性を秘めている。なぜならジーユーには、純度の高い「ベーシック」が存在するからだ。ベーシックが強固であればあるほど、そこにわずかなズレを差し込んだときの効果は大きい。色をほんの少し濁らせる。袖丈をわずかにずらす。素材感に軽い違和感を混ぜる。異なる文化的コードをさりげなく重ねる。大衆服の内部に、微細な歪みを忍ばせる。それは、マルニで行ってきた思想のスケール変換である。
ここで問うべきは、「リッソはジーユーを変えられるのか」ではない。「ジーユーという巨大装置の内部に、リッソは自身の思想をどれほど忍ばせられるか」ということだ。
もしジーユーで彼が成功するなら、それは前衛の拡大でなく、“違和感の民主化”だ。ジーユーの服は、形そのものを劇的に変える必要はない。だが、色選びやバランス、わずかなディテールの違いだけで、ブランドの印象は一変する。リッソのズレが差し込まれることで、現在のムードは大きく動く可能性がある。ファッションブランドが成長を続けられるかどうかは、多くの場合「服」そのものが鍵になる。服の“空気”を変えられるかどうか。リッソの仕事は、まさにそこにかかっている。
2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。
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