Mugita Shunichi

モードノオト第五夜

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

フォローする:

 

グルメとただの大喰らいをはっきりと線引き出来るように、愛飲家とただの呑んだくれとの間にも一線を引くことは出来るが、その線は極めてか細いものだと思う。しかし今夜の私は、呂律がまわらなくなるようなことも、自分の靴紐を踏んづけて転ぶようなこともなかった。完璧に普段と変わらないように見えた。いや寧ろ、平生より冴えているように感じた。もっとも、夜はまだ若かいのだから...そう信じていたはずだが、詰まるところはすっかり酩酊していた。今日、某所でまたぞろ先輩のA氏に揶揄されたのだった。その言葉がどうも私にとっては尻に刺さった棘みたく、しかもその棘がこれからもずっと痛み続けると云う予感がしてならない。「ちと大上段からモノを言い過ぎじゃねえかァ。おまえのせいか知れねえけど、最近やたらとそこいらで辛口評が眼につくもんなァ」ときた。こちらは生憎の素面の身。恫喝するだけの意気地もないし、あまつさえ先輩相手に逆ねじを喰わすわけにもいかず、その場は得意のヘラヘラ顔でたばかったが、この怒りは冷酒をあおるだけではどうで収まりが効かぬ。便所で手水を使っていると、あらゆる造作が削り取られ、漂泊した小麦粉のように無味乾燥な自分のテメエの顔が鏡にが貼りついている。舐めんなよ。邪(よこしま)な考えでも、意地の悪い、しんねりむっつりした悪口でもない、自分の言葉でこれからもモノ申し続けるつもりだぞ。勿論、自分の増上慢(ぞうじょうまん)は戒めよう。閑話休題、こんなところで中絶しようものなら、それこそ負け犬の遠吠えになってしまう。

dada_20161017_01.jpg

写真左から2014年春夏コレクション、2014-15年秋冬コレクション

昨日の「クリスチャン ダダ(Christian Dada)」は、私は買わない。さしずめ、繊細でロマンチック、アンニュイな出来映えと評されていることだろう。昨シーズンよりメンズはパリで、ウィメンズは東京で、それぞれ新作を発表しているのだから、まさに森川マサノリはシンデレラボーイ的なデザイナーである。ウィメンズは、骨太なメンズとは意識的に一線を画している。森川のメンズを骨太と形容したが、骨太と云うにはナイーブな感性が邪魔しているのか、鋳型に嵌められて叩き上げられた、所謂パンク特有の臭みがなく、硬質の文体と云うよりも、テッズやモッズ、パンクやスキンズのハードコアを換骨奪胎しながらも、実体は意外とソフトで内向的なデザインである。彼のメンズは頻々(ひんぴん)にパンクやハードコアと評されがちだが、私は同意しかねる。日本の伝統的な手振り刺繍と暴走族の特攻服に着眼した2014年春夏シーズン、西陣織に活路を開いたパンキッシュな2014-15年秋冬シーズン(これ以降、パリメンズに発表の場を移すことになる)あたりが、<洋>と<和>を掛け合わせた折衷主義の萌芽の時期であろう。その後、この手法を踏襲している。この伝で云うなら、今回のウィメンズの作風は、いくらロマンチックに見せようが、細部に掛け違えのデザインを弄しようが、些かもメンズと変わらぬ構成なのだ。もしもそれが狙いであれば、端より私の期待も木っ端微塵に砕けてしまうのである。

christiandada-20151015_006.jpg

鼓膜をくすぐるピアノの旋律がたゆたう会場で、舞台背景のスクリーンに投影された朝の陽光を、私はたっぷりと眼に呑み込んだ。コレクションは「バラード」と題されている。マキシ丈より長く、モデルの腰回りより幅広のフレアパンツは風に揺れ、張りのあるアコーディオンプリーツは優雅な生地の量感を遊ぶ。庭園に咲き乱れる花々、不様に切り裂かれた生地、オーストリッチの羽飾りや孔雀の羽根の刺繍、現代柄を滲ませた西陣織、着物仕立て、あるいはシノワズリ...。服はいずれもミックスマッチの手法で構成されているが、残念ながらバラードのようには響かなかった。前シーズン同様、作り手の心象風景に根差した創作であろうが、夾雑物(きょうざつぶつ)が混じっているのか、それが服にピュアに投影されていないようである。つまりは、服が熟(な)れていない。勿論、作り手から一々物語を訊いたなら、もしかすると一切の疑問が櫛の歯で梳くようにパラリと解けてくるかも知れぬ。しかし、それではスリルに欠けると云うものだ。唯一印象深かったのは、藤色のニットで仕立てたチュニックとフレアパンツのコーディネートだった。(文責/麥田俊一)

【短期連載】
モードノオト第一夜
モードノオト第二夜
モードノオト第三夜
モードノオト第四夜

麥田俊一

最新の関連記事

おすすめ記事

Realtime

現在の人気記事

    Ranking Top 10

    アクセスランキング