Mugita Shunichi

モードノオト16.10.17

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

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織田晃さんが今月亡くなった。パリコレクションの取材中に、訃報に接した。織田さんは、(実際はまだお若かったけれども)老いてますます美しい顔をしておられた。ファッションジャーナリストも年を重ねると、世故に長け、脂ぎった横柄な面(つら)つきをして我が物顔で出過ぎるようにもなろうが、しかし、織田さんには、そうしたところがなく、私のような若輩者と分け隔てなく、まったく対等に付き合うことが出来たユニークなお人柄だった。そしてときには、私にとって自戒を促すための反面教師の如き存在でもあり、正統派ジャーナリストの範疇にすんなりとは割り付けられない、面妖な魅力を備えていた。

思い出を熟々(つらつら)振り返るつもりはなかったが、感傷に溺れ虚しく頭を垂れ、酒に浸る日が続いた。他方、取材中のパリはと云うと、(「バレンシアガ」など)幾つかのブランドに大いに刺戟を受けたものの、総じて収穫の少ない場であった。故に、上がらない気持に、予期せぬ訃音が追い撃ちをかけるかたちで、皮下脂肪の厚みが増すのとは反比例して、どうで沸点を超えるような心持ちがしなかったのである。いつもなら、帰国後直ぐに東京のファッションウイークが開幕するので、間髪(かんはつ)を容れず取材活動に没入して、心患いをする余裕なぞないのが常であるが、開幕まで日時があった今回は、ちと様子が違う。こちらの気持が挫(くじ)けるまま、無為な日を経(た)ててしまった。

そして今日、私は陋居でしばらくジッとしていた。雨がそうしていることの恰好な言い訳になった。しかし実際には、言い訳なぞ要らなかった。二日酔いが、鄭重にもてなさなければならないほど酷いことが、ボンクラ頭でも判っていたからだ。もしも昨晩、呑みもしなかったのにこの有様であったならば、間違いなく私は病院に行っていただろう。実際のところは、病人と何ら変わりがないのだけれど...。酒には、呑みたくて呑む酒と、呑む必要があって呑む酒がある。いまは、後者の方である。私は、酒が溺れそうなほどなみなみと水を入れたコップに、少量の酒を注いだ。そして呑んだ。すぐと身震いがきた。端(はな)は胃袋に収まろうとはしてくれず、苦い液を吐いた。少し落ち着くや、次の一口はすんなり胃に収まり、今度は吐かずともよかった。そして朝のうちに仕事をした。私の中での今日のハイライトは「ウエムロ ムネノリ(uemulo munenoli)」である。どうにかネタ繰りを終え時計を見ると、予定の時刻をとうに過ぎていた。プレゼンテーションの二回目に間に合わせるべく、慌てて支度を済ませ駅に向かった。上榁むねのりにとって、ブランド開始より五年にして、今回が初めてモデルを使用した新作発表である。シャツに特化したデビューと云う、作り手の個性を生かした手法が興味を引き、Esteem Press(外部のPR)の内藤純子さんに紹介頂いたころより、その一見シンプルな作法が、私の好みにピタリと合っていたこともあり、原稿を書く度毎に、こちらの肩に些か力が入ってしまう存在と云える。贅肉が見当たらずしなやかで、アイデアは低い温度でも沸騰する、と云う好例のひとつであり、簡潔にして要を得たデザインに創意の勘所がある。

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地下への階段を降りると、そこはひどく狭い空間だった。舞台背景に飾られた一枚の巨大な抽象画が、小さな空間を圧するかの如き存在感を放っていた。オレンジと赤の配色は、画面下方を走る直線で水平に分断されている。上榁本人によると、ペイントではなく、カンバスの一面に二色の布を張り詰めただけの代物だと云う。会場の雰囲気を演出する意図であろうが、彼のこれまでの服を見ていたので、すでにこの空間を以て「線と面」の隠喩を仄めかしているように私には思えた。先程は、わざわざ「一見シンプル」と断りを入れてみた。ミニマリズムと評するのが、この場合の定石だろうが、私は、それはちと言葉足らずだと思っている。未だ服地の裏に突き抜けるような提言の強烈さこそないが(本質を違わずに一皮も二皮もむけて欲しいものだが)、プツンと切れそうで切れることない緊張感を保った服には、深みのある軽快さ、鍛えられた言葉のような含蓄が感じられる。一歩踏み込んで、上榁の服を、装飾のある服と云い切るなら、「お前は馬鹿か?」と攻撃を受けよう。ここで云う装飾は、ゴシックやビクトリア時代の装飾とは勿論性質が異なる。線と面とを交差させることで生まれる服地の「流動感」を、この場合は敢えて「装飾」と捉えたい。巧みなパターンメーキングが流体のような生地の動きを描出しているのだ。モデルのウォーキングが、今回そのことを可視化した。簡素なデザインと云うと、我々は禁欲主義的な観念を想起しがちである。そんな風土に対して、他方からは、装飾過多であるとか、曖昧であるとか評されそうなものだが、服に夥しくばらまかれた装飾(くどいようだが、線と面の工夫を指す)が、数珠つなぎによって展開されることで、存分に成果をあげている。薄布を重ねることで、一枚の布地に勝る軽さと動きを表現しているから、服地の量感が増せば増すほど、生地は身体の上を奔放自在に流れ、動くのである。人工的なメッシュではなく絡み織りのシースルー、パンチングではなく極小ドット柄の機械レースを、重ね合わせ、別布に接ぎ合わせ造形していく。シャツに特化したデザインの基点に相応しい服地の選択がキラリと光るのである。ここでは、上榁の来歴を詳(つまび)らかにすることは省く。「何処何処の誰々に師事した」と、プロフィールに箔を付けたがる新進のデザイナーの姿をこれまで見てきたから。なかには、取材しているこちらが恥じ入るような、てんで当てに出来ぬ服もあった。しかし、どうやら上榁は、その例ではないようだ。

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>>uemulo munenoli 2017年春夏コレクション

余談だが、プレゼンテーションが始まる前のこと。後ろから私の背中を突く気配を感じて振り返ると、そこには橋本あけみさんの笑顔があった。十年にわたり、日本で「ジル・サンダー(JIL SANDER)」のPRを手掛けてきたひとで、仕事を通じた彼女との交流は、はや二十年を過ぎている。ジル・サンダーでの職を辞すると云う知らせを電撃的に頂いて以来没交渉になり、時間を経てたことで余計に気後れして連絡を差し上げずに非礼を続けてきた私にとっては、存外に嬉しい邂逅となった。よしんば、一回目に伺っていたら、お会い出来なかったわけで、これも何かの縁ですね、と云うことで久闊を詫びた次第である。勘の良い読者はお判りになろうが、上榁は「ジル・サンダー」のアトリエ(ラフ・シモンズ在籍中)でウィメンズコレクションの制作に従事していたことを最後に記しておく。(文責/麥田俊一)

麥田俊一

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