Mugita Shunichi

モードノオト16.10.20

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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しかし、あれは幻聴だったのか。「ビューティフルピープル (beautiful people)」の会場で、ショー開始を待っているとき、ジョン・コルトレーンの「史上の愛」が聴こえた。60年代のフレンチポップスかシャンソンならともかく、ゴリゴリのスピリチュアルな音色に、一瞬、自分の耳を疑い、(流石に幻視はないけれど)ついに幻聴を来したか...と呆気にとられた。周囲には見知ったひとの姿はなく、確かめようにも術がなく、空耳であれば、それはそれ、成すがままよ、と決め込んだのだった。熊切秀典が作る服と「至上の愛」との間には、この場合、連絡なぞさらさらないのだが、コルトレーンが、どうやら私の心のスイッチを入れてくれたようである。帰路、少しく呑み過ぎたことは判っていた。呑みながら考える...考えながら呑む...このふたつの活動はつねに、そして必ず随伴するものである。引き上げ不能の難破船となって海底に横たわってしまわぬよう心しつつ、それでも、いつもの伝で、(弁明にもならぬが)想像力の翼を広げられるようにグラスを空にした。揚げ句は、自信を失った綱渡り芸人のように、少しふらつき気味で歩いていたのである。

先程までの私のトピックは、(非礼承知で申せば)素晴らしいショーを見せてくれた熊切と私の違いである。デビュー間もないころに、会話を交わしたことが数回あるだけで、彼とは特段親しい間柄ではないが、ブランド開始時より、服の根底に脈脈と流れるかのユーモラスな思想に、一方的に強く惹かれてもいた。概してリアリズム至上主義の作品は、もともと遊戯性(着て楽しむ)に薄い憾(うら)みがあるのだが、その味気なさに対する格好の解毒剤として、熊切の洒脱の精神が巧く作用していると慮ってきた。他方、私はと云うと...成功するためのふたつの基本的な規範、即ち迅速な思考と決然とした行動に対して敢えてソッポを向くことで、これまでどうにかこうにか収入を得てきた。それと云うのも、関節炎を患ったカメ(痛風患いの私)のような速度で考え、眠気を催したナマケモノ(優柔不断な私)のような決断力を以て行動したからである。静かに座して待つ、と云うと随分と外聞は良いが、どのみち懈怠(けたい)の心に生まれたのだから、いっそう度し難い身である。

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閑話休題。熊切の服について話題を戻そう。軽さや優雅さ、エレガンスと云ったものは、怠惰や無気力とは対極にある精神の現われである。そして、精神の活動はつねに緊張を強いる。軽業師が綱渡りをしながら汗をかくように、作り手の精神もつねに活動しながら、作品と云う汗を発散する。しかし実は、観客にはもとより汗は見えない。ただ、軽業師の優雅な歩行が見えるだけである。 ベージュのトレンチコートやレザーのバイカージャケット、ランジェリーやチルデンセーター、サロペットやトップコートなど、俎上に横たえたのは、ブランドがこよなく愛する普段使いのアイテムのみ。ノースリーブに仕立てたトレンチは、切り離した袖をベルトのように巻き付けてサンドレスのように着こなす。前立てをアレンジした背中開きのブラウス、袖の内側にスリットを入れてケープのように着られるコートと云った、さりげない仕掛けが心憎い。ランジェリードレスは、敢えてシワシワの生地を充てることでインティメートな(打ち解けた)雰囲気に仕上げ、透けるニットのチルデンセーターは、ゾクッとする色香を放っている。最後に着包み姿の熊切が舞台に登場したが、コレクションの中に、熊切の「熊」がどれだけ姿を見せたことか。獰猛な鉤爪のモチーフは、サンダルやスニーカーを飾る金のジュエリーに変換され、テディベアのポシェットにはミニチュアのバイカーを着せてペアルックを洒落た。サンダルやツーピースの生地は、カールの強いモコモコ素材。勿論、テディベアの着想である。眼を凝らすなら、大きな毬に乗って曲芸をする白熊の総柄模様がモノグラムの替え歌として使われている。思わず頷き、ニヤリとした。私にとっては、天気図から突然、あらゆる雲が消失したかのようだった。いくら血の巡りが悪い私にも、この垢抜けした洒落についていくだけの心の余裕は、幸せなことに残っていたと見える。虻蜂取らずの如し、諧謔を弄するあまり、服がまるで腰の折れた歌(第三句と第四句の続きが巧くいかない和歌)のような白けたモノに堕ちることもある。しかし、眼の前にある服は、そうではなかった。この塩梅こそ、まさに軽業師の優雅な歩行なのである。

>>beautiful people 2017年春夏コレクション

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