Mugita Shunichi

モードノオト2017.03.21

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

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昨日の拙稿に物言いがついた。恰もユリアがファッションデザイナーではないような書き方は如何なものか、と云うのである。端よりこちらは、そのつもりで書いたのだから仕様がない。プロのデザイナー諸子は勿論、プロを目指すひとも落ち落ちしては居られませんぜ、と云うのが本意であり、乱暴に云えば、あんたら、門外漢に舐められているのだぜ、と云う私流のエールに他ならないのだが、またしても、自ら疎まれる言質を与えてしまった阿呆さ加減に辟易してしまった次第である。屁の足しにもならぬ良心は、所詮は超過手荷物に過ぎないのだ。

三月の声を聞くと、はや木々の梢からハラハラと冬を振り落としてしてしまい...と云いたいところだが、小糠雨に煙る夜の芝公園は、二月に逆戻りしたかのようでやけに寒い。悴けた身体には、矢張りトロリとした燗酒が良いだろうなぁなぞ、帰路に就く前から酒場のことをボンヤリ思い描いていたのが馬鹿だった。「マトフ(matohu)」の会場である増上寺を目指していたつもりが、方角を誤って歩いていた。あまつさえ、間違いに気が付くのも遅いときた。自らに恫喝まがいの罵声を浴びせつつ、すくと踵を返して、徳川家の菩提所を目指した。果せる哉、辿り着けば、会場内は既に立錐の余地がないほどのひとの壁が屹立している。舞台を覗き込める隙間を探す間もあらばこそ、会場は暗転、ショーが始まってしまった。ホトホト自分のポンツクぶりが嫌になったが、慊りない気持も、刹那に消え失せた。端よりショーが巧かったからだ。私のほくそ笑みが、ちょっぴりだが広がった。(プロはこうでなければいけなよなぁ)やっと愁眉を開くことが出来たのだった。

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「マトフ」は「日本の眼」と題した「和」に纏わる着想を続けるブランドである。ショーに通奏低音するところの和のイメージが、ときに古いものや失われたものへの挽歌に寄り過ぎたこともあったが、それでも、勇を鼓して、ひるまず、一途なまでに、自ら恃むところの芸境を貫いている。こうした節を曲げぬ粘り強さは刮目に値するところだろう。いざ今回の服に眼を向けるならば、歌舞伎の舞台効果に重要な定式幕(江戸時代の芝居小屋の引き幕が進化したもの)で知られる黒、柿、萌黄の三色を採用した縦縞、小紋や歌舞伎柄、竹林柄...が印象的だ。柄そのもののピッチに変化を与え、溌剌とした色彩を織り交ぜ、新たに構成し直した江戸の意匠は、不思議と和む幾何学模様に見える。江戸時代の市井の文化、暮らし向きに着眼したのが奏功したようで、渋さに現代的な味が行き渡って気品も高く、これはなかなかに軽やかで華やいだ拵えである。けだし市井が生み出す風俗には年齢などないのであろう。簡にして要を得た按配が為されればの話だが。このスパイスがあるからこそ、ショーの後半および余韻の残るエピローグにさらに恰幅が加わることにもなる。着物仕立てのゆかしい風情はロング&リーンな服を引き立て、気っ風の良さ、いなせな感覚、小粋な佇まいは、洋の東西を跨いで現代的な顔を確と見せる。身体の線を際立たせたニットなど、臈長けたモダンな和の印象に挟み込まれるように、こちらをドキリとさせる官能を用意している。洗練と気品のある服と云うのでは、ちと片手落ちの評で、久方ぶりに「女」の感じられる服と云い切ってしまったほうが良いのではないだろうか。刀の鞘で、刃をしまう口にあたる部分を「鯉口(こいぐち)」と云う。「鯉口を切る」と云う表現は、親指で鍔(つば)を押し上げ、「さぁ、いつでも抜けるぞ」と威嚇する構えを云う。そんな辻斬りの浪人の如き気合いを、今回のショーで勝手に感じ取ってしまったのである。挑発に乗らず、大団円までの物語を覚悟するのが、この場合の常だろうが、生来挑発に乗り易い私は、ショーの初手より「マトフ」の術中にまんまと引き釣り込まれていったのだった。(文責/麥田俊一)

>>matohu 2017秋冬コレクション

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