Mugita Shunichi

モードノオト2017.10.20

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

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 数時間前とは打って変わって、雨脚は和らいだ。いつもの酒場で私はニンマリとしながら独りでビールを呑んでいた。やはり先程のショーについて言及しないわけにはいかないだろう。私にとっては、天気図から突然、あらゆる雲が消失したかのようだった。接近している台風のことなぞ忘れてしまった。数杯のビールが、常に世の中を、より友好的で、より対処し易い場所に変えてくれることを認めざるを得ない。そして、そう云うときに(少なくとも私にとっては)想像力が働き始めることを心得てもいた。それは、アルコールの流動性と少なからず関係があるのかも知れない。と云うのは、イマジネーションは水のように流れ、液化して、変化したからである。先程取材した「サカイ(sacai)」と「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の合同ショーの余情を反芻しているうちに、ゆくりなく、1990年代に思いを馳せていることに気が付いた。今日、あの会場に居合せたひとの中にも、私と同様な感慨に浸っていた方もいらっしゃったはずである。勿論、阿部千登勢、高橋盾の二人にとって、此度の共同開催の動機と重ね合わせてもいたことだろう。それと云うのは、1991年6月に行なわれた「6.1 THE MEN」と題した「コム デ ギャルソン・オム プリュス(COMME des GARÇONS HOMME PLUS)」と「ヨウジ・ヤマモト プールオム(YOHJI YAMAMOTO POUR HOMME)」のジョイントショーである。それは、同年2月に勃発した湾岸戦争を受けて、ファッションだって持ち得る気概を以て物申す式のイベントだった。会場となった明治神宮水泳場に向かう私は、いまよりも更に緊張していた。当時サラリーマンだった私は、恰度その頃より海外コレクションの取材を任されていた。往時の私は、未だ取材の眼(がん)を会得していない未熟者だった。正直、書くことが怖かった。服の作り手にとって、敵ともなれば共犯者ともなり得る書き手としての成熟の度合いが低かった。こうした自覚が因で震えを隠すことが出来なかった。未熟さを持て余していた私は、そのショーで炸裂した強烈な衝撃波に只々身を任すのみの、まさにアングリ口を開けて見とれる感覚に近かった。国内外の音楽家、俳優などがモデルを務めた。服そのものを詳(つまび)らかにするよりも、先ずは「男臭い」の一言が全貌を穿(うが)つ表現だろう。開演前の会場内の空気からして他のショーとは違っていた。「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」はその後「THE MEN 4.1」と題したメンズコレクションを2010年4月に開催している(会場は国立代々木競技場第二体育館)。思うに「6.11」「4.1」ともにメンズ単独のショーと云うところが勘所で、音楽家、俳優、学者諸々...従来のモデルの代わりに、既に特異な個性で身を包んだ輩に服を着させて舞台に登場させたことがショーの成功に大きく貢献した。自由奔放なショーの在り方が、かの作り手たちの創作の内燃機関を燃やす反骨精神を一層明確に際立たせた。それぞれの男たちの個性に作り手の個性を掛け合わせ更に倍加する価値を会場全体が享受した。

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 急に降り始めた雨に顔をしかめながら、私は「10.20 sacai / UNDERCOVER」の会場である聖徳記念絵画館前に向かっていた。眼前に迫る特設テントの前には既に長蛇の列が伸びている。ひとの多さにたじろいだだろうか。「入れないかも知れないね」。駆けつけた学生たちの数名が洩らした嘆息混じりの声に「大丈夫。きっと見られるさ」と心の声でエールを贈りながらゲートを潜った。ビジネス面での冠スポンサーAmazon Fashionと両ブランドの思惑は様々あろうが、ファッション景気恢復のカンフル剤、ひいては東京の発信力の強化を意図して実現した催事である。今月初旬のパリで発表した2018年春夏コレクションを再現したショーは、期せずして動(「サカイ」)と静(「アンダーカバー」)を対比させるような演出だった。単独のショーとは違い毛色の異なる強い個性のブランドを同一の会場で見せるのは至難の技ではない。予想に反して、会場内は至って普通の造作で飾り気のない空間。主役はあくまでも彼らの服と云うわけだ。私の体感が鈍いのか、ショー前の会場内の昂奮が意外にも伝わってこない。そんな自分に無性に腹が立ってきた。それでも、私は自分を冷静にコントロールしようと躍起になっていたところ、会場内が暗転して交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が響き渡る。間もなく「サカイ」のショーが開始した。ざっと周囲を見回して若者たちの表情をそれとなく窺ってみた。口をアングリ開けていた往時の私のような間抜け面は見当たらない。意外にも冷静な面持ちだが、それでも舞台を食い入るように見つめている顔、顔、顔。彼らが既に自分たちのテリトリーを確保したと云う事実に、改めて気付いた。彼らの反応は流石に素早い。「サカイ」がこうした本格的なショーを日本で行なうのは初めてだろう。一気呵成の展開、ラジカルな交換。そして、疾走感のある転換。紳士服、軍服、パンクを題材として目眩(めくるめ)く勢いで骨幹奪胎のデザインが舞台を駆け抜ける。創作にストイックに向き合いことは勿論、ときにはミーハー(お洒落に貪欲と云う意味で)に成り切ることも大切である。良い意味で阿部は貪欲なのだ。クールに見える若い層に、この貪欲さがどう映ったであろうか。熱くなることは決して恥ずかしいことではないと思う。

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 一方の「アンダーカバー」は15年振りの東京(2002年3月が最後だった)。天井に隠していた数機のシャンデリアを降ろして会場の雰囲気を整える。ローマ神話の「ヤヌス神」を主題とした「アンダーカバー」のショーは、この双面神を日常に潜む非日常の風景、平穏な毎日と幻想の物語の象徴としている。背丈、容姿の似通った二人のモデルが手を繋ぎ登場する演出は、服の表裏を強調する狙いだ。少女趣味と怪奇趣味、カジュアルとフォーマル、男性性と女性性が混沌とした情感を描出しながら、柄物と刺繍、毛羽立った生地と光沢感のある服地、ワンピースとコートと云った異なる題材を対になったモデルに着用させている。対のモデルが着用した服はすべて表裏兼用の仕立て。外面と内実、ひとの持つ二面性を独創のユーモアとシュールな表現で展開した。さて、この合同ショーを総括するにあたり、驚きと夢に満ちたショーだったなぞの口当たりの良い表現を書き並べるつもりは毛頭ない。私は既に一度パリで取材しているのだから、ショーの鮮度が落ちて見えるのは当然だろう。しかしながら、本道を躊躇(ためら)わずに歩き続ける、安定した、何処かしら一腰も二腰も腰の入った、寧ろ何かを吹っ切って居直った感じさえする、直向きさが伝わってきたのだ。購買意欲を喚起されるだけでなく、こうした直向きさが若い世代の心に巧く沁み入ってくれれば良いと思う。「きわどさ」を粗製濫造したものがやたらと眼に付く昨今、かのふたつのブランドが見せた「ほどよさ」と云うこと、なかなかに貴重なものではないだろうか。(文責/麥田俊一)

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>>サカイ/アンダーカバーが最初で最後の合同ショー 高橋盾が明かすメッセージの意味とは?

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