Mugita Shunichi

モードノオト2018.03.24

麥田俊一

90年代から世界のコレクションを取材しているジャーナリスト

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中年より老齢に達しようかと云ういまでさえ、廃棄物をひもじそうにあさるネズミか何かのように、長い間打ち捨てている感情のなかに蠢く性的本能を感じてしまう自分をいまいましく思ってもいるが、折しも、酒に足許をすくわれてしまうとは、なんと云う為体だ。悪い酒に小っ酷くどやしつけられ猛省を促しながら、それでも麦酒で咽喉を湿しながら、今季最後の稿を書いている。

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カジュアル流行りの時代にあって新鮮に映るのか、はたまた、そんな時代に同調することを潔しとしない作り手のキャリアがなせる矜持によるものなのか、「ウィーウィル(WEWILL)」が見せた強(したた)かな男の服は、今季のメンズコレクションのなかで一等輝きを放っている。

女性の装いに遅れをとってしまったが、男の服は「男らしさ」から解放され、いまではてんでに自由を謳歌している。その一方で「やっぱり男のスーツ姿が好きよ」なぞの女性からの仕返し(?)の声も少なくないようで、周囲からの提言は、意外や「男は普通で趣味のいい服を」とのことであるようだ。そんな日常レベルの会話を意識したわけではないだろうが、今季の作品群には、男らしさの頌歌(オード)とも云える香気が漂っている。しかし、飽く迄も日常の一コマに則した男の服である。服の原型とこだわりの服地を論究することは、男の服の歴史、起源、機能の概念を再考、更新することである。直線的な肩が切り出す縦長の長方形もあれば、丸みのある肩からダラリと垂れた長い袖のルーズな形もあり、上衣は、装飾や形式よりも、先ずは男らしい量感を誇る設計。輪郭を拡大すれば自ずと原型が浮かび上がってくる仕掛けだ。

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「ウィーウィル」の招待状には、英国陸軍の近衛師団の兵卒(洋剣を捧ぐ赤と黒の兵士)と1950年代のエレガントな女性の姿がコラージュされている。凛々しい男と優美な女の姿を対比させた招待状もまた、今季の作品群を象徴している。重厚でフォーマルな男臭さに、そっと被せたフェミニンなオブラート。此れ見よがしに整えた舞台を歩かせるのではなく、クラブの地下のフロア(渋谷のCONTACT)に集う人群れを左右に押し分けるように荒々しく闊歩するモデルたち。服が醸し出す味とショーの演出も巧く噛み合っている。「きわどさ」を粗製濫造したモノがやたらと眼に付く昨今、この「ほどよさ」と云うこと、なかなかに貴重なモノだと思うのだが如何だろうか。庶民的(ストリート)な良識を逆撫でしない程度にアク抜きされた男臭さは、とどの詰まりは、ストリートの息吹同様、我々の善き隣人なのである。

>>WEWILL 2018年秋冬コレクション

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云い得て妙な演出では、二日目に発表した「アキコアオキ(AKIKOAOKI)」に言及しておきたい。きっと他人が見ていたら、私の口の端が微かな笑みを浮かべて歪んでいたことだろう。(したたかな奴ってぇのは皆似ているものなのだなぁ)ショーの最中、内心で私はそんなことを嘯いていた。しかし、私の場合の偏屈な性格はどうで治るわけのない悪性だが(今更それを変えるのも億劫なのだ)青木明子のそれは(勝手に思うに)いじけ者や捻くれ者の類いではない。つまり、俄にピーカーブー(いないいないばぁ〜)と戯(おど)けてみせたりする旋毛(つむじ)曲がりな性格にも、何処かに愛敬があるから、まだ救われるのである。本人が聞いたらどう思うか知れないが、常々私はそう考えてきた。

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いつもより小さなフロアを使った会場には、五枚の姿見(五枚目は自らスプレーで描いた抽象画で鏡を覆い隠してしまった)と五組のハンガーラックが設えてある。ハンガーに吊るされた新作の服を、五人のモデルがその場で着用する様をジッと眺める、と云う演出は、男には何とも堪らぬ光景。所謂女性のアンティーム(親密)な空間、着替えの場面を露(あらわ)にして見せたのである。こうした演出には、付き添いのスタッフが着せ替えを手伝うのが定石でもあるが、青木は敢えて、モデル自身に着替えさせている。着用の順を間違えはせぬか、はたまた、ズボンを穿く折にコケはせぬか...見守る側はハラハラさせられるが、靴の脱ぎ方ひとつとっても、個々のモデルの「素」が垣間見えて、それはそれ、着替えシーンの覗き見以上に、興味深かったのである。これも、青木が見せたかった「現実」なのかも知れない。中性的な魅力、繊細さ、官能性、過剰な装飾、装飾を削いだ簡素さ...様々な要素を加法と減法で按配する工程をモデル自身の素の演技で見せる手法が面白かったのである。舞台を歩かせる本来のショーでは表現出来ないこの「生々しさ」は、未完成に堕してしまうリスクを伴っていたが(満点とは云わぬまでも)作り手の真意は充分に伝わってくる。そしてインスタレーションの掉尾を飾るのは、青木持ち前のおトボケである。加減で見せ続けた創作を、最終的には男物の武骨な上衣で包み隠してしまった。こうした、シレッとしたピーカーブー的な感覚が青木の妙味のひとつなのかも知れない。(文責/麥田俊一)

>>AKIKOAOKI 2018年秋冬コレクション

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