Mugita Shunichi

モードノオト2018.10.16

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

フォローする:

AKIKOAOKI2019年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP.COM
— ADの後に記事が続きます —

俺は罠を探していた。酔いどれた俺にも、耳掻きの先程の矜持は持ち合わせている。震える手で分厚いドアを開けた。案の定、施錠されていない。居間や寝室はもとより、衣類戸棚から洗面所、シャワー室まで、スイートの各所を丹念に捜索した。捜査官の容赦のない視線を頼りに、つぶさに歩き回り罠の有無を調べた。枕元に散らかった食べかけのチェリーパイ、脱ぎ捨てられた下着類、戸棚のなかに無造作に打ち棄てられた無数の空箱、文机の上に放置された書置きの子供じみた筆跡、ルージュの跡がベッタリ付いたシャンパングラス、飾り枠だけの額縁、曇った姿見、朽ちかけた薔薇の花束、乾き切ったクリームの泡で汚れたコーヒー茶碗...。別段、変わったモノはない。ベッドの下を覗いたときにふと思い出した。誰かがシャワーを使っている気配を感じたのだった。厄介ごとを後回しにする己の性分に毒吐いた。俺はビクつきながらも、すわと浴室に取って返した。うっかりしていた。湯で扉が曇っていてなかの様子がこちらからでは判然としないが、依然として湯は激しい水圧で噴出されている。シャワー室の扉を開けた途端、口をアングリ開けて呆然と突っ立っている裸の女に遭遇するなんてことになったら?絹を裂くような悲鳴と対峙させられること、そう、それが俺にはいちばん応えることだった。あまりにも突然と云うことが、だ。しかし、シャワー室はもぬけのから。人の気配すらない。女は何処だ?とにかく女を探せ。洗面台の鏡に映った俺の額に、薄っすらと冷や汗が滲んだ。視線を落とすと、栓をちゃんと締め忘れたのか、蛇口から僅かに水滴が落ちている。栓を閉めようと手を伸ばしかけた俺は、慌ててその手を引っ込めた。アジトをガサ入れして爆弾テロで殉職した捜査官のケースが脳裏を過ぎったのだ(水滴が滴る蛇口に仕掛けられた罠に嵌まって爆死した捜査官が登場する小説の一幕を、私は思い出していた)。居間に逃げ帰った俺は厚手のカーテンを指ではぐった。まさに暮れ方を迎えた空を彩らんとする高層街の電光飾が煌めき始めていた。現場は、渋谷の高層ホテルのスイート。薄闇に包まれた続き部屋全体に、頭の芯に突き刺さるような強烈な香りが充満している。誰かが、香水の中身をぶちまけたのかも知れない。舞台は、セルリアンタワー 東急ホテルの高層階の某スイート。「アキコアオキ」の新作発表の場である。この閉ざされた空間こそ、今回のプレゼンテーションの現場となっていた。

前述の通り、パッと見は謎めいた空間を綿密な演出で作り上げている。様々な場面を飾る小道具の数々が、その場に脚を踏み入れたひとに、異なる想像を懐かせる仕組みなのだろう。ちなみに、プロップはChiho HiranoとKenji Hirano、スタイリングはmarie choi higuchi、メークはMaki IHARA、ヘアはShow Fujimotoがそれぞれ担当している。普通のキャットウォークではなく、シーズンごとに青木明子が提示する世界観を描出するための空間作りを目指している。この試みを前回より続けている。今回のプレゼンテーションは、10月15日より開始した東京コレクションの公式日程に先んじて13日に発表された。

女と云うものは、胸の大きく抉れたドレスを此れ見よがしに纏った同性には、得てして柳眉を逆立てるものだが、女性のジャーナリストの眼には、青木の服はどう映ったのだろうか。私のこう云う女性蔑視的な言い様が、まず誤解を招くもとなのだが、官能的、成熟度の増した服、女性らしい服、可愛い女、意地悪な女...などなど、女性の種々の表情を捉えて、今回の青木の世界観を形容したのではないだろうか。確かに官能をくすぐる程度の気配は、私も男のはしくれだもの、少しく感じ取れたのである。しかし、かく云う演出は私を誘惑こそしたが、私を盲(めしい)させて、官能的な女の本当の姿を見せないようにしたのだった。敢えて、妙な生々しさを覗かせた前回に比べるなら、彼女が懐にした世界観を的確に描出すると云う点では、今回の空間は、あまりにもピタリと計算され過ぎていて、と云うか、やりすぎ感の強い印象が強かった。予定調和を穿つ仕掛け(罠)を躍起になって流していたのは(狂気的な突き抜けた感覚とまではいかぬまでも)何処かに青木の頑なさを見付けたかったのである。旋毛曲がりの彼女の気質と、私の捻くれた性分は、不思議と重なることが少なくないのだが、今回はどうやら相性が良くなかったらしい。

度し難い誹謗中傷との誹りを承知で云う。前回は、所謂女性のアンティーム(親密)な空間、着替えの場面を露にして見せる趣向だった。こうした演出の場合は、付き添いのスタッフが着せ替えを手伝うのが定石だが、青木は敢えて、モデル自身に着替えさせた。見ているこちらは、ピーピングトム的な悦楽にも増して、個々のモデルの「素」が垣間見えて随分面白かった。(特段の事故は起きなかったけれども)ハプニング的な、はらはらドキドキ感が、女性の素の姿、女性の生々しい存在感を浮き彫りにしていた。

それに比して今回は、生身の人間の入り込む余地のない、詩的な言葉で綴られた乾いた世界、即ち「カタチ」に嵌まった箱庭的な印象だった。いくらモデルが服を着ていようが、主役である女の存在が希薄になっていたように思う。居間で品を作るモデルたち。不謹慎にも私は、遊郭の格子越しに素見(ひやか)す張見世を思い浮かべていたが、むせるような芳香のなかで、服は、こうした下卑たフィクションの世界と溶け合い、現実より消えて行ってしまったのだった。

青木は今回、何にも増して「カタチ」を愛してしまったのだろうか。中身よりも、それを包み込む形態の方を愛してしまったのか。カタチは常にスタティック(静的)に自らの特性のうちに在り続け、中身のように、あるときは無秩序に、あるときは破廉恥に、またあるときは恣意的に、ダイナミック(動的)な変容を見せはしないものだ。静かな博物館のガラスケースにひっそりと分類され、陳列されたオブジェを愛するが如く、彼女にとってはカタチこそが重要だったのかも知れない。彼女が抽象的なカタチを好むのも、抽象概念のなかには、カタチそのものの純粋さ(清潔さと云い換えても良い)が保たれていて、そこには色恋沙汰や情念などのベタついた観念の入り込む余地がないからだと、私は勝手に思ってしまった。カタチを動かす人間的な情動のモチーフにもそっと踏み込んで欲しかった。

僭越にも勝手をほざいてきたが、この連載は、とどのつまりが、酔いどれの戯言に過ぎない、と居直っておきながらも、しかし、誓って云うが、服そのもの存在感は、回を重ねるごとに増している。「カタチ」と前述したが、服のフォルムにも、独自のこだわりを見せている。女性のアンティームな色香を、鎧のような服に包み込んだデザイン、下着の細部を敢えて破壊的に再構築する、女らしさを揶揄する青木の流儀に、前回より協業しているアクセサリー作家の石上理彩子の捻りの効いた創作がピタリと寄り添うのである。キャットウォークからプレゼンテーションへ、青木の新たなイメージの転回は始まったばかりだ。(文責/麥田俊一)

【ファッションジャーナリスト麥田俊一のモードノオト】
モードノオト2018.10.15
モードノオト2018.10.17
モードノオト2018.10.18
モードノオト2018.10.19
モードノオト2018.10.20

麥田俊一

最新の関連記事

Realtime

現在の人気記事

    次の記事を探す

    Ranking Top 10

    アクセスランキング