YOHEI OHNO 2019AW COLLECTION Photo by: Yuki Kumagai

Mugita Shunichi

モードノオト2019.03.21

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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YOHEI OHNO 2019AW COLLECTION Photo by: Yuki Kumagai

 眼が壁にいった。壁には「シンプルに生きよう」とか「気楽に行こう」と云った類の知恵を絞ったスローガンが掛かっていた。磁石のように私の眼が吸いつけられたのは「神の恩恵がなければ」と云うものだった。そんなことはない、と私は思った。神の恩恵なんて云わないでくれ。普段の私なら、ジンを喉に叩き込むのだが、今夜の私は少しく冷静だった。ぶらりと入ったホットドッグ屋。深更まで営業している。鳴り響くジャマイカ音楽。歩道に居ても聴こえてくる。ドア越しに中を覗く。初めての店だが気に入った。男が作る女の服について考えてみる。

 他のショーよりも「ヨウヘイオオノ」の展示会が気に掛かっていた。最初の作品群(2015-16年秋冬より開始)こそ見逃したが、大野陽平の(決して器用ではないけれど)服作りに於ける真摯な姿勢に興味を掻き立てられ現在に至るまで取材を続けている。番度、本人の眼前で勝手な苦言(他所でも書いている)を述べてきた。とりわけ、二回のショーがいけなかった。彼には効果的ではなかった。なるほど、数多の甘言に迎えられもし、知名度向上に一役買う仕儀となったことは事実だが、自らの創作世界の体幹を定める以前の彼には、それをじっくり見据えることがままならぬ間に、ショーと云う(彼のような状況にある作り手にとっては)ある意味では実のない見せ方と向き合う羽目に陥った。その結果、人形のように糸で操られた状態に置かれ、創作のコアから更に遠退いてしまった。そのことを繰り返し私は彼に説いてきた。

 彼自身も、カタルシスの必要性をひしひしと感じていたに違いない。7人のモデルを使ったインスタレーション(2018-19年秋冬)で大きく変わった。恰もそれは、煩悩をかなぐり捨て静謐な境地を拓く求道者の姿にも重なった。こう云うと大袈裟ではあるが、そのコレクションは、稚拙なりにも、自らの創作の体幹となり得る形を探究する出発点となった。大野の服には、女の匂いが少しく薄い。まぁ、それが一つの魅力でもあるし、向後、女人の肌の温もりを感じさせる服に変わっていくかも知れない。現に、一年前のインスタレーションでは、ふとしたモデルの仕草に女を感じさせる刹那があり、今回の服も微かにその痕跡をとどめている。所謂エレガンスとかモードと云われる土俵で勝負する男の作り手とは違い、服の色気と云うテーマは、東京を拠点とする若い世代の作り手たちが克服しなければいけない大きな課題だろう。それに向き合うか、敢えてそれに代わる新たな記号を見出して勝負するかは、彼等の自由な裁量だけれども。

YOHEI OHNO 2019AW COLLECTION Photo by: Yuki Kumagai

 たとえば、今週見た「コトハヨコザワ」のように、彼女の服をこよなく愛する女の子に限りなく近い感覚を武器とする横澤琴葉は、自分の創作世界の根幹をなす日常性(コアとなるプリーツ生地がその利便性を以て証明しているではないか)に、意表外の非日常(ちょっとした違和感)をひと匙加えることで、女の子の普遍的な日常を魅力的な世界へと拡張している。女性が女性の服を作るのは、作る過程で自らが検証しながら作業を進めて行くことが可能なので、その強みと云ったら、もう初手の段階で男に大きく先んじている。他方、男が女の服を作ることの利点もある。一生を賭としても理解することなど出来ぬ、永遠のテーマとしての女性性に果敢に向き合う時に生じる様々な想念(たとえば、畏怖の念でも良いだろう)は、創作の内燃機関を活発に運動させる活力となり得る。即ち、女性の作り手とは違ったベクトルを女の服に立てることも出来る。 (番度繰り返すのは酷だけれど)服に女が薄い代わりに、大野の魅力の最たるところは(誤解を承知で云うと)「反時代」的な創作の姿勢だ。「時流」とか「流行」と云うのが「今」と云った曖昧な言葉で日々括られていくものを指すのであれば、そんなものに、彼は敢えて反旗を翻したりなどしない。寧ろ「正」とか「反」とか云う概念の殆ど成立し得ないところに、これからの彼の創作世界は生きていくような気がする。云い換えれば、真空地帯のようなところに自らの問題意識を立てようとしているのだ。少しく観念的になったが、それは、所謂、時代を無視することとは随分と違うことを明言しておかねばならない。寧ろ彼は、時代を、実につぶさに観察しているのではないか、と思える節がしばしばある。但し、それに深入りはしないけれど。そもそも批評精神と云ったものを備えている人かも知れない。たとえば、服の形や服地への考察など、意外に時代の流れにコミットしたデザインも少なくない。かなり冷徹に、時流を見透かした感じを、少々のことでは動じないクールさに包んで防御した上で、やむを得ず表出してくる批評家の精神みたいなものが、彼の独自性を形作っているように思う。

 今回の、緊張と緩和をバランスさせたジャケットの形は、前回のアイデアを土台に更新したもの。尾州の機屋で生産された30年前の格子縞のサマーウールのデッドストックが一つの着想源。その野暮ったさに新味を感じた大野は、幾枚かのサンプルをもとに忠実に服地を再現して服に仕立てた。何よりも形を愛する彼に固有の視座は、内容(女性性)よりも、それを包む形態(服としての形状)の方を偏愛する傾向にあったが、果たして、オブジェのようなジャケットは、生身の身体が入ると、野暮ったさが不思議な味わいに変換されるのだから面白い。「オブジェ」と形容したのには理由がある。形は、常に静的に自らの原理性の中に存在し、それは、内容のように無秩序に、或いは、自由に、多方向に走り出したりはしない、飽く迄もスタティックなもの。音一つしない無菌室のような空間に無機的な迄にひっそりと並べ置かれた服を、飽くこともなく見詰めている。今回の服の一部は、そんな感覚を想起させたからだ。また今は、形こそが、彼にとっての重要なモチーフなのだし、彼が抽象概念やプロダクトデザインを好むのも、それらの中には形の純粋性(清潔さとか硬質感のあるとも云えるだろう)が保たれていて、そこには、女の情感のようなものが入り込む余地がないからかも知れない。(文責 麥田俊一)

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