ACROSS

00(ゼロ)年代の東京ストリートカルチャー -vol.1- 「バルムング」

ACROSS

ACROSS編集部

フォローする:

2019年秋に新しくスタートしたパルコの若手デザイナーの発掘と支援を目的とする新しいインキュベーションプロジェクト「NEXT AGE PARCO」。去る10月開催されたRakuten Fashion Week Tokhyoでのショー開催の支援をしたBALBUNG(バルムング)と、NON TOKYO(ノントーキョー)、「BODYSONG.(ボディソング)」の3ブランドのデザイナーにそれぞれが感じてきた00年代の東京のストリートカルチャーについて話を伺った。

— ADの後に記事が続きます —

BALMUNG(バルムング)のデザイナーのhachi(ハチ)さんと最初に会ったのは、たぶん2009年〜2010年ごろに清澄白河や高円寺、渋谷などあっちこっちの場所で断続的に開催していたファッションについて自由にギロンしよう、という試みで集まったイベント「ドリフのファッション研究室」の打上げの呑み会だったような気がする。

同イベントを主宰していたのは、当時シアタープロダクツの主にPRを担当していた金森香さんを中心とする若手デザイナーや研究者、ベンチャー系のオーナーなどで、実は筆者もいっしょに、建て替える前の渋谷パルコのレストランフロアの空きスペースで連続3回のイベントを企画し、多くの人が訪れ賑わった。その頃登壇していただいたり、会場に来ていらした方々の多くが、テン年代末のいま、いや2020年。それぞれのフィールドのオモテ舞台で活躍している。

「BALMUNG」というブランドもそのひとつ。今回、改めてパルコの新インキュベーションプロジェクトの「NEXT PARCO」のトップバッターとして、デザイナーのHachiさんにお話を伺うとともに、東京・渋谷で思い入れのあるスポットで撮影させていただいた。フォトグラファーは宇壽山貴久子さんに依頼した。

BALMUNG初めてのオフィシャルショーで披露された特徴的な3ルック。東京のストリートの要素を残しつつ、クリーンで大人っぽいミライ感へと進化していた。Photo:BALMUNG
デザイナーhachiさんのファッションの原風景を表現したコレクション。1985年のバブル景気でキラキラした東京の風景を地方都市から見た視点は、実はデムナがパリで提示した"マイナーメジャー感覚"とも似ている。Photo:「ACROSS」編集部
BALMUNGの代名詞でもあるフーディもぐっとクリーンにサイズ感もちょうどいい="Mサイズ感"に進化していた。Photo:Kikuko Usuyama

2020SSのコレクションのテーマは"1985"、
「はじめまして」というスタンス。

Q:実は、今回の2020SSのRakuten Fashion Weekが、本格的なショーとしては初めてになるのですね?
hachi:そうなんです。学校を出てからずっと舞台衣装とかを提供したり、クラブのイベントで数体見せたり、友人のブランドといっしょに展示会やったりというスタイルでは披露してきたのですが、きちんとビジネスとしてブランドを設立したのは2012年ですから、7年目になります。

Q:今回のショーのコンセプトは「1985」。その意味は?

Hachi:初のオフィシャルのショーだったので、改めて自己紹介という意味をこめて、2020年を考えたときに、自分の足元=アドレスという意味で生まれ年の"1985"というテーマにして、フロアににGoogle Earthで検索した自分が生まれた家の写真を敷きました。

四桁の数字にしたかったというのもあるのですが、観客には40代の人もいれば20代の人もいて、それぞれにとっての"1985年"を同時に振り返る場になったら面白いな、とも思いました。

新宿2丁目にあったセレクトショップ「candy」。音楽イベントやパーティにおしゃれな若者たちが集まるようすは当時の『drop』や『FRUiTS』などでスナップされ話題となり、「ACROSS」でも取材した。BALMUNGやDRESSUNDRESSEDなどのブランドが扱われていた。右の写真は当時の店長で現在DRESSEUNDRESSEDのデザイナーの北澤さん(右)と、伊藤さん(左)。Hachiさんの写真は本文中のバイヤーのクリックで。Photo:「ACROSS」編集部
2013年AW「TOKYO TRASH UTOPIA」Photo: Wataru Fukaya

原宿と渋谷が繋がったテン年代、
"場"自体も解放されて、オンラインもオフラインも等価に。

Q:その後、上京されたわけですが、当時のHachiさんにとっての原宿〜渋谷はどんなイメージでしたか?

Hachi:東京に行きたくて、というか原宿に行きたくて専門学校で上京しました。原宿の路上で当時のスナップ雑誌『FRUiTS(フルーツ)』とか、当時出たてのオンラインマガジンの『drop』とかに載ったりしてましたね。そして、毎日原宿にいるためにはどうしたらいいのかと考えた末、表参道の交番の近くにあるローソンでアルバイトをしていました。とにかく、ものすごいお客さんの数でめちゃくちゃ忙しい。けっこう辞める人も多かったんですが、僕は自分が動かなくてもいろんなお客さんが向こうから来てくれるので、観察するのが楽しかったですね。

Q:"観察者"!

Hachi:あ、BALMUNGは、そういう意味では、"僕の見えた風景"というのが重要なコンセプトになっていて、宮台真司的というか、フィールドワークというか、常にユースカルチャーを観察してきた記録ともいえると思います。

Q:それが、ちょっと長いブランドのコンセプト、の神髄だったんですね。
・都市と人間との関係の中から触発され循環する過程である。
・都市と人間との関係の中から触発され生産された結果である。
・都市と人間との関係の中から触発され原動力とする探求である。
・都市と人間との関係の中から触発され積み重なる研究である。

Hachi:2010年ごろは「カオスラウンジ」chroma(クロマ)とかhatra(ハトラ)に出会って、当時ニコニコ動画とかtwitterとかが急速に浸透していった時代ですね。その前は、新宿2丁目の「candy」とか青山の「ルバロン」とかでも展示販売会みたいなのをやったこともあります。*CandyのバイヤーだったころのHachiさん。

Q:クラブでファッションショーというと、90年代の「yeallow」を思い出します(苦笑)。いつの時代もアンダーグラウンドのところでカルチャーが生まれ、育まれていくけど、昔はリアルが重要なタッチポイント=場だったのですが、アフター・インターネットの時代になると、"場"自体も解放されて、オンラインもオフラインも等価になっちゃった。

Hachi:そうですね。ずっと原宿にいて、外資のファストファションが入ってきたときに、渋谷の109系のブランドとプライス的にもトレンド的にもタイになっちゃって、原宿と渋谷が繋がったな、と思いました。そんな時に通っていたのが、渋谷の『La FABLIQUE(ラ・ファブリック)』だったのですが、いまBershka(ベルシュカ)があるビルの地下にあったクラブです。あれがなくなったのは大きかったですね〜。

パルコの牧山社長によるご挨拶も中渋通りで。2階にはbeautifulpeopleの新店舗が見える。

フィールドワークをするように、
街と人間を、社会を観察していきます。

Q:ああ、パルコ・ゼロゲートの地下にあったJUNさんがやってたフランスノバスティーユにあったクラブの2号店だったところですね。すみません。街は、時代はそうやって変わっていく、ということでしょうか。2020SSの新作とも繋がると思うのですが、いまの時代をHachiさんはどのように捉えていらっしゃるのでしょう?

Hachi:僕はいまは完全にYOUTUBEだと思っていて、YOUTUBEの中にあるSF的な想像力が重要。今の若者が海外旅行に憧れなくなったように、そういうハイコンテクストなものをファッションで表現できたら、と思っています。

元々僕はファッションを楽しむものとしては思っていなくて、インターフェイスというか、ガラケーからスマホに変わった時に価値観が大きく変わったみたいに、YOUTUBEがもたらすウチとソトが曖昧になる感覚への変化は実は大きいことだと思っています。

Q:そういう意味でいうと、いま渋谷だけじゃなくて、東京の街が大きく変わっていますが。

Hachi:だれかちゃんとプロデュースしたほうがいいと思いますね(苦笑)。ものすごいエネルギーですよね。ポジティブなエネルギーだけじゃなくて、最近いわれているような落ちていく日本という視点もあったり。これからもBALMUNGとして観察していきます。そうですね、ちょうどフィールドワークするような感覚で街と人を観察してファッションとして表現していきたいと思います。

2019年11月29日BALMUNGアトリエ(新宿)
聞き手:高野公三子(本誌編集長)

BALMUNGアトリエ
401, 3-7-33, Nishi-Shinjuku, Shinjuku-ku, Tokyo
info@balmung.jp

BALMUNG公式INSTAGRAM
BALMUNG公式twitter

最新の関連記事

Realtime

現在の人気記事

    次の記事を探す

    Ranking Top 10

    アクセスランキング