キャリアを重ねると同じ業界内で転職やキャリアアップを繰り返すのが主流だったファッション業界。しかし近年、キャリアの道筋が必ずしもそうではなく、まったく別のキャリアに繋がるというストーリも増えてきている。これは、ファッション業界で培う無二の経験の素晴らしさ、そして汎用性の高さを表しているのかもしれない。今回は、ケンゾー・パリ・ジャパン株式会社の社長を務め、広島に移住・転職し、今年新たに中小企業診断士としてのキャリアをスタートした田村雅紀さんにインタビュー。これからのキャリアを考える一つの参考にしてほしい。
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田村 雅紀(たむら・まさき)さん
東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、アパレルメーカー入社。百貨店営業などを経験した後、フルラジャパンのリテールディレクターとして日本市場の拡大に寄与。その後、LVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン・グループ)傘下のケンゾー・パリ・ジャパンの社長に抜擢。2021年に広島に移住し、老舗進物店の大進に転職。現在はLit Consulting合同会社を立ち上げ中小企業診断士として活躍する。
30代で外資系ラグジュアリー企業のトップに抜擢。経験で得た大きな財産。
― 今年9月に中小企業診断士として独立をされた田村さん。これまでのキャリアについて教えてください。
学生時代からファッション業界にずっと興味があり、大学卒業後はアパレルメーカーに就職しました。百貨店営業を経験した後、フルラジャパンに転職し、フルラでは店舗開発からトレーニング、CRMのシステム導入、メンズラインの拡充や店舗拡大のための本国との調整なども行いました。リテールディレクターという職種の枠を超えた活動が実り、ジャパンの売上がイタリアを抜き全世界で1位になる経験もしました。そして39歳のとき、ケンゾー・パリ・ジャパンの社長に就任しました。
― 30代でラグジュアリーブランドの社長に抜擢。どのような経緯で就任されたのですか?
次のチャレンジがしてみたいと思い、当時のLVMHグループの人事トップの方と面接をして、その方が僕のやっていたことやキャリアを見て貴重な人材だと感じてくれました。最後に「大きなブランドのリテールディレクターか、小さいブランドのプレジデント。どっちがいい?」と聞かれ、リテールディレクターは経験していたので、小さくてもいいからプレジデントにチャレンジしようと決めました。
― 初めて社長を経験したわけですが、仕事はどのように変わりましたか?
もちろんトップライン(売上)も重要ですが、ボトムライン(=利益やキャッシュフロー)が出せなければステークホルダーに対して意味がないので、ボトムラインを徹底して意識するようになりました。売上を取るのは当たり前だけれど、それ以上に利益を出すことを徹底する。また、フォーキャストを出して本国の承認をもらうまでの作業というのは非常に大変な作業です。数字を出すだけではなくて、英語のプレゼン資料を作り英語でプレゼンをして、何度も出し戻しがあって……突き詰めていく作業には骨が折れましたね。
― 田村さんは留学も海外での仕事経験も一切されていないとか。どのように語学はカバーされたのでしょうか?
フルラ時代に一時期社長不在のタイミングがあって、そこで直接イタリアの本国とやりとりすることが増えたりしたので、プレゼンの経験はありましたが、やはりスクールに通ったりもしましたね。ですがスクールでの学び以上に、実務の中での細かいコミュニケーションで学ぶことの方が大きかったと思います。
― 社長を経て、習得されたこととは?
売上を取っていくことは当然ですが、本国とのウィークリーの打ち合わせで、毎週の売上分析、売上予測など、事業計画を磨き上げていくことは特に大きな経験になりました。英語で資料を作り英語でプレゼンするということももちろん。30代で経験したことは財産になっています。
移住を決意。自分のキャリアが活かせる場所を探して。
― そして、広島に移住されるわけですが、やはり一般的な流れでは、他のラグジュアリーブランドに行くことも多いです。なぜラグジュアリーブランドを選ばず、移住して転職という選択を選んだのでしょうか?
私は東京生まれ東京育ちなので、以前はかなり東京で暮らし働くことに執着していました。ですが、妻の実家がある広島に休暇中に訪れるうちにこの土地が大好きになりました。いずれ移住したいと考えていましたが、遅くなってからだと子どもの年齢もあるので、なるべく早いタイミングでと思い、2021年に移住を決断しました。広島にはもちろん外資系の企業もないですし、アパレル企業も多くありません。ですが、これからの人生を考えたときに、アパレルという狭まったジャンルでキャリアを重ねていくよりも、もっと広く、今までの経験を活かせる新しいこととはなんだろう、と自問自答を重ねるようになりました。そこで、中小企業診断士の資格のことを知って、これなら自分のキャリアを活かせると、中小企業診断士の道を目指しました。
― 移住をして資格取得を目指すにあたり、広島で転職されましたが、どのように転職活動をされたのですか?
広島の移住をサポートする機関があって、コロナ禍だったのでリモートで相談し始めました。住まいの相談から仕事の相談まで、面談でさまざまなお話をするうちに、将来的にこういう仕事がしたい、と漠然とお話をしていたところ、株式会社大進を紹介してくれたんです。
株式会社大進は冠婚葬祭にまつわるギフトを取り扱う、70年の歴史がある会社です。ちょうど紹介いただいた頃、新たな改革をしたいという会社のフェーズだったこともあり、適した人材を探していました。私自身も広島の土地に根付いた会社での経験は必要だと感じたので、入社することにしました。お互いのニーズがマッチしたような感じでしたね。
― 地方企業は初めて。実際に働いてみてどのような違いを感じましたか?
外資系企業で働いていた頃は常にステークホルダーのために、ということを重要視してきました。ですが、株式会社大進のように同族経営でやっている会社では、そこを気にするというより、経営者の理念を押し通したビジネスを展開している印象です。昔からの理念である「お客様のために何ができるか」ということをまず一番に考えられる。それが地元で長年愛されている理由なのだと感じました。
― 広島に移住してみてお給料など、生活はどう変化しましたか?
もちろんお給料で見ると社長時代よりは下がりましたが、生活面で変わったことというのは、意外とないんです。ショッピングモールなどもあるし、不便に思ったことはないですね。何より、常に自然に囲まれているということが、とても贅沢に感じます。
中小企業診断士としてのスタート。今後の展望とは?
― 今年の9月に晴れて中小企業診断士として独立されたそうですね。中小企業診断士とは?
中小企業診断士は、中小企業の経営課題に対して診断や助言をする国から認められた経営コンサルタントです。この土地で私が独立する理由でもありますが、東京の企業だと色々なところから人が入ってくるため常に新しい風が吹き、会社がアップデートされていきますが、地方企業にはあまり外からの人が入ってこないので、アップデートがされにくい環境なんですよね。情報がないと色々なことが止まってしまい、会社が変わっていくことができません。そこに悩み、自分たちだけでは対応しきれなくなっている現状を見てきたので、これまでの経験を活かして経営課題解決のコンサルティングを行なっていきたいと考えています。
― 今後田村さんが取り組んでいきたいこととは?
私がこれまで経験してきた領域は、小売の営業だけではなく、人事、マーケティング、MDなど幅広く経験したのちに、最終的に1つのブランドの経営を経験してきました。さまざまな領域に携わってきたので、これらを経営課題として抱えている企業をサポートして、地域経済に少しでも貢献できればと思っています。また、大進株式会社では節句人形や盆提灯の仕入れ等に関わってきて、こうした伝統産業でも新しい商品を提案したり、見せ方を工夫したりすることで売上拡大ができるということを体感したので、そういった伝統産業に関わり、産業の維持・拡大にも貢献していきたいと考えています。
― ありがとうございました!
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