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証券会社からアパレル業界へ 異業界出身者のキャリアの築き方

プロフィール:柳澤弥生(やなぎさわ・やよい)福岡県出身。同志社大学卒業後、大手証券会社に入社。その後、創業メンバーとして携わったアパレルD2C事業を韓国ユニコーン企業・メディコトスグループへ売却し、同社に参画。ECプラットフォーム「nugu」の新規事業開発に従事していた。現在はD2C企業にて、インド企業との取引およびジュエリーブランドのマーケティングを行っている。

プロフィール:柳澤弥生(やなぎさわ・やよい)福岡県出身。同志社大学卒業後、大手証券会社に入社。その後、創業メンバーとして携わったアパレルD2C事業を韓国ユニコーン企業・メディコトスグループへ売却し、同社に参画。ECプラットフォーム「nugu」の新規事業開発に従事していた。現在はD2C企業にて、インド企業との取引およびジュエリーブランドのマーケティングを行っている。

証券会社からアパレル業界へ 異業界出身者のキャリアの築き方

プロフィール:柳澤弥生(やなぎさわ・やよい)福岡県出身。同志社大学卒業後、大手証券会社に入社。その後、創業メンバーとして携わったアパレルD2C事業を韓国ユニコーン企業・メディコトスグループへ売却し、同社に参画。ECプラットフォーム「nugu」の新規事業開発に従事していた。現在はD2C企業にて、インド企業との取引およびジュエリーブランドのマーケティングを行っている。

ファッションを若者で加速させる
READY TO FASHION

証券会社からアパレル業界へ。新卒で大手証券会社に入社後、ファッションプラットフォーム「nugu」へ転職。現在は、ジュエリーブランドを展開するD2C企業でマネジメント業務からマーケティングまで幅広く担当しています。

異なるフィールドを渡り歩いてきた柳澤さんは、なぜアパレル業界を選んだのか。転職の背景や、異業界出身だからこそ見えてきたアパレル業界の魅力を伺いました。

あえて選んだ厳しいファーストキャリア

──証券会社に入社した背景は?

新卒で決まる最初のキャリアって「この人はこういう人だ」と印象付けられるものだと思っていました。学生時代からやりたいことがたくさんあったのですが、まずは誰が聞いても分かりやすく「厳しい環境で経験を積んできた信頼できる人」だと思ってもらえるようなキャリアを選びたいと思ったのがきっかけです。

地元の福岡では大手といっても知られていない企業が多かったので、その中でも全国的に名前の通った会社を選びました。

──新卒で証券会社。かなり厳しい環境だったのでは?

本当に厳しかったです(笑)。入社3年目まで法人や富裕層向けの金融商品を扱う営業職をしていました。朝は4時台に起きて深夜に動いた世界の株価や為替をチェックし、その日に推奨する株の銘柄や金融商品のセールストークを考え、昼は担当エリアを回って新規開拓の飛び込み営業もしました。厳しいながらも必死に食らいついていました。

また、経営者など日常生活では出会えない方々と接する機会も多く、学びの多い環境でしたね。

──キャリアとしては順調に見えますが、当時どんな目標やモチベーションを持っていたんですか?

まず、単純に数字が好きだったんです。金融や経済の動きが面白くて、それを理解していくのが楽しかった。それに、ルーティンではなく常に変化がある環境も自分に合っていました。

お客様との出会いがあり、商品価格も変化する。結果を出すのはすごく大変で、もちろん苦労もしましたが、日々の達成感があって、チームで目標を達成しようという空気感にも救われていました。

──そんな中で、なぜ証券業界を離れようと?

グローバルビジネスをしたいという思いが強くなったからです。証券会社では、国内のリテール営業が中心で、キャリアアップしても帰国子女などアドバンテージをもった人材を超えるのは難しい現実もありました。それで、英語力をつけたいと思い退職し、ニューヨークに留学したんです。

コミュニケーションとしての英語を学んでこなかったので、まずは語学学校に3ヶ月間通いました。その後も海外に滞在する予定だったんですが、ちょうどコロナのパンデミックが起きてしまい、一度日本に戻り、東京を拠点にすることにしました。

──そもそもグローバルに働きたいと思うようになったきっかけは?

学生時代に、カンボジアで日本語教師のボランティアを経験したことが大きかったです。幼い頃から世界の貧困問題に関心があり、当時は発展途上国の開発支援に携わりたいと考えていました。しかし実際に現地に足を運んで、メディアを通して見ていたイメージがガラッと変わりました。

困っている人を助けたいという気持ちではじめた活動でしたが、現地の地域密着型のコミュニティは、むしろ楽しく暮らしているように見え、とても驚きました。必ずしも貧しい=不幸ではないと気づかされ、メディアの情報だけを鵜呑みにしていた自分が、いかに狭い視野で物事を見ていたかを思い知りました。

その時、自分の目で見て感じたことを言語化する面白さに気づいて、海外への関心が強くなったんです。より多くの国をみて回りたいと思い、学⽣の頃はバックパックで海外旅行をしていたのですが、知らない環境にいた方がより自己成長を感じられると分かって、将来的にはグローバルに働きたいという気持ちが芽生えていきました。

──バックパッカーとしては、どんなところに?

学生時代のテーマは「女版・宮川大輔になること」でした(笑)。社会人になると、お金を貯めることはできても、好きなタイミングで旅行をしたり、長期の休みをとることができない。じゃあ今は時間を軸に旅行先を選んだ方が合理的だと考えていて。そんな時、世界の祭りを巡ることを思いついたんです。

リオのカーニバルやスペインのトマト祭り、ミュンヘンのオクトーバーフェスト、ニューヨークのカウントダウン、メキシコの死者の日、タイのフルムーン・パーティーなど、主要な祭りはほぼ制覇しました。完全に、アドレナリン中毒ですね。

──すごい(笑)。

何かをアクションするときって、「今やった方がいいこと」や「考えたらワクワクすること」を優先して動く癖があって。仕事に直接的な関係がなくても、自分の好きなことに全力で取り組むことを大切にしています。そうしてきたことで、不思議と仕事のアイデアや社外との人間関係の構築につながることも多いです。その積み重ねが、今のキャリアを形成した気がします。

誰も予想しなかったキャリアチェンジの理由

──話は戻りますが、帰国後はどんなことをされていたんですか?

結果的にECプラットフォームのnuguで働くことになりました。というのも、帰国後に大手企業への就職の話もあったのですが、会社を辞めたら何もできない自分に非力さを感じてしまって。その時、もっとゼロから事業を作る経験をしたいと思ったんです。

ちょうど学生時代の先輩がアパレルのD2C事業を立ち上げるタイミングで、声をかけてもらい、社員1人目として手伝うことになりました。

1年半ほど経って、その事業がnuguを運営する韓国ユニコーン企業のメディコトスに売却され、グループ入りしました。売却後も同じ事業に携わっていましたが「nuguの新規事業の責任者になってほしい」と韓国本社の代表からオファーをいただき、正式にnuguのメンバーとして移籍しました。

──なぜアパレル業界を選ばれたんですか?

実は、特段ファッションが好きだったわけではなかったんです。ただ、ゼロから事業を立ち上げる経験を積みたかったのと、感覚的な業界だと思っていたアパレルが、実際にはかなりロジカルな一面もあることに奥深さを感じていました。

それに、証券企業からアパレル企業へのキャリアは誰も予想しないじゃないですか。そのギャップは面白いんじゃないかと。だったらあえて極端に振り切った方が、自分の強みになると思ったんです。

──nuguではどんな業務を担当されていたんですか?

⽇本企業に向けた入店営業やコラボレーション企画に携わる新規事業部の立ち上げを担当していました。それにあたって、契約書や営業資料の作成、両国の法律に沿った調整、韓国企業とコラボレーションをしてくれる日本企業の新規法人営業などオペレーション業務全般を幅広く担当していました。

──大手証券会社からアパレルのスタートアップへ。ギャップは感じなかったですか?

もちろんありました。隣の国と言えども企業文化が全く違ったので、韓国の社員の方から学ぶことは多かったですね。

日本では、チーム全体の責任感が強く、ミスがあったら「自分も悪い」と考える傾向がありますが、韓国では、謝ると信頼を失うこともあるんです。少しシビアかもしれませんが、グローバル目線で言うと、競争社会だからこそ個人で成果を出す力が求められるのが現実。だからこそ、自責しずぎず自分の意見を主張する大切さを学びました。

あとは仕事のスピード感が圧倒的に違いました。スタートアップだったこともあってか、社員発の企画がどんどん採用される。最初は驚きましたが、オフェンス重視の姿勢は韓国企業ならではだなと思いましたね。

──証券会社での経験がアパレルで活きている部分は?

一番は、自己紹介をした時に特殊な経歴なので覚えてもらいやすいこと。この業界で証券業界出身の方に、お会いしたことがないのですが、逆にそれがおいしいと思っていて。

あとは、数字の苦手意識がないところ。どの指標を動かせば価格や成果が変わるのかを感覚的に理解できているので、広告やデータ分析などと相性がよかったです。アパレルとはいえ、数字の世界にも共通点が多いんですよね。

──逆にアパレル業界に入って、カルチャーショックを受けたことは?

カルチャーショックというより、一番衝撃だったのは「クリエイティブの力」です。どんなに考え抜かれた企画でも、ちょっとしたデザインや表現で売り上げが一気に動くことがある。クリエイティブには予測できない変数があるんです。

SNSの動画ひとつ取っても、バズる瞬間って一気に人の心を動かすじゃないですか。その熱を肌で感じられるのは、もの作りの現場ならではだと思います。

もちろん予測できない難しさもあります。でもその中で、誰かの生活を少しでも彩れたかもしれないと思える瞬間はうれしいですね。

自分で仕事を生み出す働き方

──現在の会社に転職したきっかけは?

nuguが成長していく中で、会社としてのフェーズも上がり、仕事の進め方がかなりオペレーション寄りになってきたんです。

そのタイミングで、現在勤めているD2Cジュエリーブランドの代表と知り合い、「組織をつくっていきたい」という相談を受けました。これまで自分が経験してきたフェーズでもあったので成果を出しやすいと思い、ジョインすることになりました。

──業務内容としてはどんなことを?

主にマネジメント業務とマーケティングをはじめとした事業全体の数値分析を担当しています。まだ小規模な会社ですが、入社してから売り上げが前年比で倍になるなど、成果を実感しています。

インドの工場ともコネクションがあったりと、独自のサプライチェーンを構築しているため、今後、さらにビジネスを広げていける可能性も感じています。個人的にも海外で仕事をしたい思いは変わっていないので、来年はフィールドを広げてチャレンジしていきたいですね。

──証券時代と⽐べて、働く意味や価値観は変わりましたか?

働くマインドは変わったと思います。証券や金融など大きい組織では、役割が細かく分業されていて、自分のキャリアの道筋もある程度決まってしまう。一方で今のような小さい組織では、自分で仕事を作り出していく感覚があるんです。その自由さや発見が、働き方に対する考え方を変えてくれました。

──最後に、異業種からアパレル業界を目指す方にメッセージをお願いします。

アパレル業界は第二新卒で入るほうがいいんじゃないかと思っています。

新卒入社の場合、多くの企業がまず販売職スタートになりますよね。お客様との対峙もとても大切ですし、若い時から挑戦できる企業も多いですが、本社勤務へキャリアアップするために長い時間をかけて段階を踏む印象があるんです。

その点、異業種からアパレル業界に入った人は、これまでの専門性や得意分野を活かして、最初から本社や希望の職種に近いポジションで働ける可能性があると思います。

あと意外かもしれませんが、アパレル業界は、おしゃれに自信がなくても生き残れる世界です。全ては戦略が詰め込まれた企画で、センスのある人しかできない仕事ではないんです。興味がある人は、ぜひ自分の強みを活かして挑戦してみてほしいです。

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三谷温紀(READY TO FASHION MAG 編集部)
2000年、埼玉県生まれ。青山学院大学文学部卒業後、インターンとして活動していた「READY TO FASHION」に新卒で入社。記事執筆やインタビュー取材などを行っている。ジェンダーやメンタルヘルスなどの社会問題にも興味関心があり、他媒体でも執筆活動中。韓国カルチャーをこよなく愛している。
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プロフィール:柳澤弥生(やなぎさわ・やよい)福岡県出身。同志社大学卒業後、大手証券会社に入社。その後、創業メンバーとして携わったアパレルD2C事業を韓国ユニコーン企業・メディコトスグループへ売却し、同社に参画。ECプラットフォーム「nugu」の新規事業開発に従事していた。現在はD2C企業にて、インド企業との取引およびジュエリーブランドのマーケティングを行っている。

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