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神戸を拠点に、グローバルブランドとして世界に羽ばたく「アシックス(ASICS)」。トップアスリートからの信頼に加え、ファッションシーンでもその存在感を日々高めていますが、なぜ競技の最前線から日常のスタイリングまで、これほどまでに人々を魅了するのでしょうか。その鍵を握るのが、神戸に拠点を置く研究開発拠点「スポーツ工学研究所(通称ISS)」。連日注目を集めている世界陸上の開催に伴い、アシックスの技術の粋が結集した同研究所を潜入取材! アスリートのパフォーマンスを支え続ける、知られざる開発の秘密に迫ります。
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目次
アスリートの“本音”が製品になる場所
ISSは、1990年の竣工以来、人間の身体や動きの分析をもとに、製品となる材料や構造の研究機関として機能。所内で生産技術から製品や素材の分析評価までを行い、さまざまな研究開発アプローチを可能にしています。
同研究所の開発の中でも特に注目すべきなのが、2019年11月に発足した製品開発プロジェクト「Cプロジェクト」です。「まずは頂上を攻めよ」というアシックス創業者 鬼塚喜八郎氏の言葉をモットーに、「Chojo(頂上)」の頭文字Cを取って命名された同プロジェクト。かつてシェアトップを誇った箱根駅伝において、2021年に着用者0人となった同社が、首位奪還に向けた打開策としてスタートしました。「既成概念に捉われず、速く走ることを徹底的に追及すること」を最重要課題に掲げ、“とにかく勝てるシューズ”を目指し、開発を進めた結果、今年の箱根では着用率25%と、シェア2位に浮上しました。
Cプロジェクトが成功を収めた理由に、アシックスの原点である「アスリートと共に行うものづくり」に重きを置いていることが挙げられます。同社では、開発担当者がアスリートとの対話を通して、本音を引き出しながら日々開発を続けています。その研究開発現場となるのが、今回潜入したISS。ここから先は、同研究所の強みである「ヒューマンセントリックサイエンス(人間中心の科学)」「独自の材料開発」「シミュレーション技術」に触れながら、内部をレポートしていきます。
常にアスリートファースト、10万以上のデータを集積する実験室
ISSはかつて、全社員の育成を見据え、宿泊できるトレーニング施設としても活用されていました。従業員の創造力を豊かにすることを目的に、エントランスホールには木をベースにしたモニュメントを配置し、スポーツが持つダイナミックさを表現。


エントランスホールに配されたモニュメント
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エントランス奥には、社名の由来となっている古代ローマの風刺作家 ユベナリスの言葉「Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神があれかし)」が掲げられています。コンクリート打ちっぱなしの内観に佇むモニュメントを見ていると、不思議と心が落ち着いてきます。

アシックスの社名は、「Anima Sana In Corpore Sano」の頭文字(ASICS)から命名されました。
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この落ち着いた空間の奥には、一体どんな秘密が隠されているのでしょうか。アスリートのパフォーマンスを限界まで引き出す、その知られざる現場へ、いざ足を踏み入れます。
バイオメカニクス実験室
まず、アシックスの最先端の研究を探るべく訪れたのが、「バイオメカニクス実験室」。言い換えると、“人の動作を研究する実験室”です。多くのアスリートが敷地内に用意されたアスファルト走路や2種類のトラックのフィールドを実際に走り、その動作を研究しています。



実験室には2種類の陸上トラックとアスファルト走路を用意。トラックは外と繋がっており、1周約350m。マラソンなどの長距離走による数値を測る場合は、何十周もかけて実験することもあるのだそう。
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計測位置には、「モーションキャプチャー」と呼ばれる計測専用のカメラを24台配置。被験者であるアスリートが、シューズを含む全身に数十個のマーカーを付けて走ることで、カメラで動きを追跡し、走行時の姿勢や関節の角度、シューズの状態を確認することができます。モーションキャプチャーだけではなく、スローのハイスピードカメラの映像と組み合わせることで、より細かなフォームのチェックを可能にしているんだとか。




モーションキャプチャー
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1キロ3分のペースでマラソンを走った場合のシミュレーション走行。 Video by FASHIONSNAP
走行時のシューズの状態をスローで確認することもできます。 Video by FASHIONSNAP

担当者
近年は、従来のマーカーを必要とするシステムだけではなく、マーカーなしで映像から動きを計測できるカメラも導入しています。「マーカーを付けていると普段の(自然な)パフォーマンスが発揮できない」というアスリートのため、日々テクノロジーを更新し続けています。
より幅広い環境におけるパフォーマンスを測る際には、室内にある大型トレッドミルを使用。一般的なスポーツジムなどにあるトレッドミルは床面が柔らかく跳ねやすいのに対し、同実験室のトレッドミルは、路面に近い硬い仕様。アスリートが普段と同じパフォーマンスを発揮しやすいよう工夫されています。

大型トレッドミル
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トレッドミルには、走行中の床にかかる圧力を測ることができる床反力計を内蔵。計測時には、マーカーだけではなく呼気ガスを測るマスクを着用することで最大酸素摂取量やAT値*、ランニングエコノミー*などを測ることができ、走行中のパフォーマンスの良し悪しを知ることができます。
ランニングにおける、有酸素運動から無酸素運動への切り替わる限界の運動強度を意味します。
*AT値(無酸素性作業閾値)とは、ランニングにおいて「有酸素運動から無酸素運動に切り替わる限界の運動強度」を意味します。
*ランニングエコノミーとは、一定のランニング速度における酸素消費量の指標。「1kmあたり体重1kgにつき何mlの酸素を消費するか (ml/kg/km)」で表され、車の燃費に例えられることもあります。ランニングエコノミーの指標は、値が低いほど、使用するエネルギーが少なく良いとされています。
山登りのコースとして知られる箱根の5区をイメージした傾斜6%での走行シミュレーション。トレッドミルでの走行は、安全確保のためハーネスを着用します。 Video by FASHIONSNAP
実験室には、さまざまなアスリートが訪問。計測結果によって、選手一人一人と膝を突き合わせて製品に関する意見交換をしたり、開発中のシューズのサンプルを試してもらいながら、次の開発に繋げています。

ISS 担当者
過去にアスリートからあったコメントは、「以前履いていたアシックスのランニングシューズが廃盤になってしまったので、今の自分の足には何が合うか」というもの。私たちは、アスリート一人ひとりに寄り添い、これまでの豊富な知見やデータをもとに、パフォーマンスが発揮できる一足を提案しています。
ちなみに、アシックス社内には、フルマラソンを2時間30分切りのペースで走ることができる社員が複数在籍。開発中のシミュレーションでは、アスリートだけではなく、研究所職員や近隣学生の力を借りることも少なくないのだそう。ランニングや陸上におけるアスリートの計測においても、種目に関わらず、一つのチームで研究を行っているのだそうです。

研究所内にはトラックだけではなく体育館もあり、フロアには床反力計を設置できるスペースが設けられています。昼休みになると、体を動かしにくる職員も少なくないのだとか。
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人工気象室


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続いて気になるのが、アパレルの開発現場。ISS内の「人工気象室」は、多様な気候環境を作り出せる場所で、室温を-30〜80度、湿度は30〜90%まで調節、風速は最大5mまで制御できることから、過酷な状況下における人間の身体の変化をシミュレーションでき、さまざまな環境に合わせたアパレルの開発を可能にしています。


人工気象室内には、トレッドミルを設置。
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人工気象室には、熱を発するマネキン「サーマルマネキン」やサーモカメラを配置。体温の変化を可視化し、体内の熱がどこに篭りやすいか、どこに汗をかきやすいかなどを細かく分析することができます。
アパレル研究室

マネキンに配置されたテープは、圧力を測るセンサーを貼る位置を示しています。
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アパレル研究室では、動作分析などで計測した人体モデルを使ったシミュレーションを用いながら、パフォーマンス時の身体の動きに合わせたパターンのアパレルを開発。複数パターンの型紙を用意し、コンピュータ上の人間に着せてテストすることができ、生地の伸び具合や身体への圧力などを可視化。1番ベストと判断された型紙をベースに、サンプル検証から製品化を進めます。


東京2020オリンピック用に作られたパターン(左)と、その後改良されたパターン(右)を着せた人の動きを比較したもの。
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こちらが、ISSでのシミュレーションをもとに開発されたシングレット。裾はあえて空気を取り込むよう、ゆとりのあるパターンで空気の循環を促しながら、胸や背中、腕周りなどは身体に密着する仕様になっています。

担当者
「着る人にストレスを与えず、いかにパフォーマンスを引き上げられるか」を軸に、衣服の中に換気を促したり、軽量化を図ったりといった改良を重ねています。着用時の体感温度は、例え0.5度の違いでも、数時間のマラソンとなると大きな変化になります。選手とってより良いものとなるよう、日々の研究は欠かせません。
最先端のシミュレーション技術を駆使した製品開発
ここまでは、トップアスリートとともに行う実験や、アパレルカテゴリーにおけるシミュレーションを見てきましたが、ここからはアシックスの心臓部とも言えるシューズの開発部門に潜入! アパレル同様、コンピュータを駆使した最先端技術による精緻なものづくりが見えてきました。
CAEルーム

CAEルーム
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ランニングシューズからライフスタイルカテゴリー「アシックス スポーツスタイル(ASICS SportStyle)」のスニーカーまで、幅広いシューズの開発を担っているのが、「CAEルーム」。CAEとは、コンピュータを使用し、実験や評価を仮想的に行う「Computer aided engineering(計算機支援工学)」のことを指します。
アシックスの担当者曰く、シューズの試作は作り直しが多く、時間や手間のかかる作業。工数をできるだけ削減するため、コンピュータシミュレーションによって、着用時に体のどの部分に負荷がかかるのか、軽量化する上で削減できる部位はどこなのか、といった細かいポイントを検証しているのだそう。シミュレーションしてから物理的な開発へと移行することで、コストを簡略化しながら高性能なシューズづくりを実現しているのだそうです。


CAEルームのシミュレーションによって開発されたシューズ。中央のサンダルは、アシックス初の3Dプリンターを用いて作られた「アクティブリーズ 3D サンダル(ACTIBREEZE 3D SANDAL)」。パフォーマンス後に向いていることから、アスリートから人気なのだとか。
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成型加工室
ランニングシューズになくてはならないフォーム材(ミッドソールに用いられる素材)について深掘りするべく最後に訪れたのが、「成型加工室」です。

成型加工室
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近年はスポーツブランド各社でフォーム材のアップデートが熾烈を極めていますが、アシックスの強みは、同社独自の材料開発部隊によるシューズに特化した素材作りができること。フォームづくりを専門業者に依頼するメーカーも少なくありませんが、ISSの成型加工室では、次世代のシューズ開発に向けたフォーム材の開発を日々行っています。その結果生まれたのが、独自素材「フライトフォーム(FLYTEFOAM)」。2015年の誕生以来、改良を加えながらアップデートを重ねています。


フォーム材の原材料とサンプル
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アシックスが描く未来図
今回のISS潜入取材で、アシックスの「人間中心」の哲学と、最先端技術への飽くなき探求心、そしてアスリートの「本音」を形にする情熱を目の当たりにしました。その知見は、トップアスリートの記録を更新するだけでなく、私たちの日常を彩るファッションアイテムや、より快適な生活にも還元されています。
先日閉幕を迎えたばかりの世界陸上でも、アシックスのシューズが多くの選手の活躍を支えたことは脳裏に刻まれたはず。その確かな技術力と情熱は、次の舞台でも選手たちのパフォーマンスを支え、感動を生み出すことでしょう。これからも、アシックスの挑戦は続いていきます。



世界陸上日本代表チームの公式ユニフォーム
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