ボーイフレンドとはよく言ったものだ。
BFRNDことロイク・ゴメス(Loik Gomez)、すなわち2017年から公私ともにデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)のパートナーであるまだ27歳かそこらのミューズの影響力と存在感が「バレンシアガ(BALENCIAGA)」2021年プレ・サマーコレクションでは恐ろしく際立っていた。ちなみに、サマーコレクションではなく"プレ(前)・サマー"コレクションであるので念のため。
アーティスティック・ディレクターを務めるデムナが今季はオンライン上でのビデオプレゼンテーションでの発表を採用しているからして至極当然ではあるのだが。わかりやすく言うとBFRNDファンにはたまらないミュージックビデオだ。何度見ても飽きない。
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もっともBFRNDは2017年冬メンズコレクションからデムナのショー音楽を手掛けており、先の9月にも「Apple Music」が公式キュレーターとして「バレンシアガ」を起用した第1弾「Demna’s Playlist」の1曲目にピックされていたわけで予兆はあった。176曲すべてとはいわずとも、1曲目とツインピークスのテーマ曲と由紀さおりくらいは少々の事情ツウならば聴いていたはずなのだ。
コレクションを浸すショー音楽に採用された「Sunglasses At Night」は懐かしのコリー・ハート(Corey Hart)の1stシングル(1984年)だが、もちろんBFRNDのカバーになっていた。フィナーレにもモデルとして登場し、インパクトを残しつつ仲間と合流しセーヌ川のほとりへと消えていく。
「僕が普段聴いている音楽を集めていて、僕の音楽テイストを紹介する場です」の生真面目な公式コメントを思い出し、慌ててプレイリストに戻って「Sunglasses At Night」を見つけたがそれも「Tiga & Zyntherius」がカバーしたリミックス版。そもそもデムナの頭の中にコリー・ハートの存在はそれほど大きくはなかったのだった。
いぶかしげに口ずさみながら高速闊歩するモデルたちの中にアウトオブファッションを着倒す80年代のコリーはいるが、2021年のコリーはいない。矛盾しているようだが、タイムマシンに乗って80年代のコリーに2021年サマープレの「バレンシアガ」をプレゼントしてもサイズが大きくて着られない。荒唐無稽な話だが、今の「バレンシアガ」の記号が当時の時代経、ファッションコードに乗らないからである。
などという記号論的解釈を仰々しくしたためてみたものの、繰り返すが今季のデムナの頭の中にコリー・ハートはいなかった。だが、これだけは言えるだろう。たかがサンプリングの小技と言うなかれ。アウトオブな価値観の恣意的ロンダリング、それを世界観と言うのだ。
放映日時は2020年10月4日AM11時30分。
市街地ランウェイ方式でのビデオプレゼンテーションが全世界に一斉配信された。チラ見できたザ・高級ホテル「ザ ウェスティン パリ ヴァンドーム」の看板にはモードの都、パリ大好きっ子も大喜びだろう。
パリ1区のダイナスティな地区を選択し、真夜中の石畳の上を分厚いサングラスをかけたモデルたちが映像エフェクトを掛けられながらモデルチェンジしていく約9分。むしろ、闇夜を徘徊するという表現が適当か。キーワードは、バネ付きスニーカーを着用しつつも終始安定の変わらぬ「バレンシアガ」。さらに円熟味を増していた。
バスローブやシルクのパジャマ、とどまるところでチープに過ぎないホテルスリッパまでもがナイトウェアの付加価値を新たに付与された。デニムのように見えるファイブポケットパンツやジャケットはトロンプルイユプリントを施したフルレザー製らしいが暗くて視認できず狙い通りといったところか。シルクやジャージー素材のパンツにもデニムプリントが施されているそうで、クラシックロゴが施された80年代調トラックスーツとともに店頭でのお楽しみだ。
Image by: BALENCIAGA
サステナブルとアップサイクルをキーワードにデッドストックのブーツや財布、モーターサイクルパンツをパッチワークした異形のブルゾンはシャルリー・エブド並みの痛快な風刺。ファッションは頭で着るものという義務教育レベルの原理原則を呼び起こしてくれる。
歴史との繋がりを示すアイテムは1点のみ、創設者たるクリストバル・バレンシアガが編み出した、フィッシャーマンネットドレスを彷彿させるバスケットボールネットのチェーンで仕立てられたドレスがある。それを逆探知できるような服飾専門家は国宝に違いない。
カカトにバネが付いたスニーカー「X-Pander」は新作であり象徴的。過去にも未来にも行き過ぎず、軽やかにその場で定点ジャンプさせていた。とりあえず今季は一回休みの双六だ。争奪戦必至のいつものルーティンが繰り返されるのだろう。
そもそもの「バレンシアガ」を考察するためには、1.デムナがかつて所属した創業ブランド「ヴェトモン(VETEMENTS)」の潮流から語る方法があり、2."違和感"をキーワードに全体論に終始するテクもあり、3.未見の価値に言葉を与える格好付けなどがあるが、今季は3を選択。
クリエイションを端的に表現するならば、「アウトオブファッションという名のファッション」だ。具体的に言うならば、一般的なファッションには与しないはずのカカトのバネ、ないがしろにされがちな無価値なモノに名前=記号を与える価値転換という名のパラダイムシフト。それをブランドパワーの力業で可能にした遊びだ。ここで使う"遊び"とはレジャーではなく、クルマのハンドルを指している。
ちなみに本ムービーの監督は、英国を代表するミュージックビデオディレクターのウォルター・スターン(Walter Stern)だ。「マッシヴ・アタック(Massive Attack)」のMVでお馴染みと紹介するほうが早いかもしれない。
ブリットポップに傾倒していた輩には有名な話だが、「ザ・ヴァーヴ(The Verve)」が1997年にストーンズと揉めに揉めた「ビター・スウィート・シンフォニー(Bitter Sweet Symphony)」のミュージックビデオもウォルター・スターンが手掛けている。今や某リアリティ番組のテーマ曲だ。ちなみにヴァーヴがストーンズと揉めた原因はブツカリ屋を是とするストーリーではなく著作権の話である。
同姓同名はありえまい。一直線に闊歩する被写体を追う彼お得意の撮影手法は、そのままサマープレの「バレンシアガ」でも発揮されていた。社会悪たるブツカリ屋は今でこそ市民権を得ている存在だが、9.11以前の世紀末におけるその光景は、それはそれは衝撃的な事故映像だった。デムナもアントワープ時代に視聴していたのかもしれないと想像するだけで胸が熱くなるが、もちろんあのプレイリストにはピックされていない。
そしてBFRNDたちが消え入るラスト。なんらかのメッセージがエンドクレジットに掲げられるのかもと期待したが、宿敵レッド・ジョンが残したようなおぞましいスマイルマークや地球キャラが発する「I LOVE YOU」以上のものはなかった。
「モデルやスタッフたちは必要最小限の人数で適切なソーシャルディスタンスで撮影してケイタリングにも配慮して」などという、パリのエスプリなのかリードビトウィーンザラインズなテンプレが流されるのみ。本当に欲しがり屋さんである、制限の、規範の、きまりの。なぜなら新しい価値のフックとして消費されるだけのそれらは、尊守することで誰からも批判されない通行手形になるからだ。
どんな足枷や禍でさえも、高偏差値なマリアージュが関わると単なる1本のネジと化す。仮に、洋服を使わずにショーを演れとパリのサンディカ協会が指示してもどうにかこうにか成し遂げてしまうはずだ。無論、「バレンシアガ」という最強の縛りがあることは言うまでもないのだが。
ファッションとは半ば芸能であり洋服の良し悪しを語るつもりは毛頭ない。脊髄反射でクレームがきてしまうからだ。叡智と気付きを書くべきだ。ゆえに、このミュージックビデオの撒き餌は「バレンシアガ」が正しい。2021年プレ・サマーという商魂逞しいシーズン性も正しい。用意周到に「PARIS FASHION WEEK」と刻まれたホワイトフーディーに、嫉妬しつつもコロナに怯える世界中のファンが地団太を踏んだことだろう。
オイラの嫉妬と恐怖から、彼女のアレやソレを見たくないので、たとえ真夜中でもサングラスは欠かしません。「サングラス・アット・ナイト」の歌詞も概ねそんな内容だ。スタイリングのワンポイントであると同時に物理も働く。
鬼籍に入った古のファッションジャーナリストがかつて退屈極まりないランウェイショーの隣の席でこう教えてくれた。「ショーの途中で大方の評価が定まった場合、内ポケットからさりげなく取り出したサングラスを通して真っ暗なランウェイを眺めるのさ」と。その構図において、立場が逆である場合、見たくないものも自ずと逆になるのだ。
(文責:北條貴文)
北條貴文
大橋巨泉に憧れ早大政経学部で新聞学とジャーナリズム論を学ぶ。コム デ ギャルソンに新卒入社し、販売と本社営業部勤務。退社し、WWDジャパンで海外メンズコレクションと裏表紙とメモ担当。その後、メンズノンノ編集部web担当を経て、現在はUOMO編集部web担当。
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