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ファッションの完成に欠かせないビューティ。トータルの美しさを作り出すメイクアップアーティストとはどんな人たちなのか? 業界でも一目置かれるメイクアップアーティストの、幼少期から現在までをひも解く連載「美を伝える人」。第4回は、「ディオール(DIOR)」のメイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクターをつとめるピーター・フィリップス(Peter Philips)氏。自身もドリーマーだったと語る感性豊かな少年時代のこと、メイクアップアーティストとしての転機、そして注目の最新コレクションについて語ってもらった。
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■Peter Philips (ピーター・フィリップス)
ベルギー・アントワープ出身。ディオール メイクアップ クリエイティブ&イメージ ディレクター。アントワープ王立芸術学院でファッションデザインを学んだ後、メイクアップアーティストの道へ。フェミニンさがありながらも、ユニークかつモダン、そしてアイコニックなクリエイションで世界中から注目を集める。
1人で遊ぶことが好きだった幼少期
ーこれまで数え切れないほどインタビューを受けてこられたかと思いますが、幼少期のお話まではほとんどされていなかったのではないでしょうか。ぜひ、どんなお子さんで、何をするのが好きで、どんな夢を見て過ごしていたのかお聞かせいただきたいです。
僕には2歳下の弟がいるんだけど、彼はとても背が高くスポーツ万能で僕とは正反対の存在でした。僕はというと、子どものころからドリーマーというか、1人で遊ぶことが好きなタイプだったね。
ーそうなんですね。インスタグラムを拝見していて、勝手にアクティブな方、というイメージがあったので少し意外です。
人と関わることが嫌い、というわけでは決してなかったんだけど、自分でファンタジーワールドを作り上げることのほうが楽しかったというのかな。それは自宅だけでなく学校でもそうだったんだけど、とにかく1人で何かをするのが好きな子どもだったんです。だから母は、「あなたを叱るのが難しかった」とよく言っていました。何か悪さをして部屋に閉じ込めてもそこで楽しく遊んでしまうような子で(笑)。
ー確かに。お仕置きになりませんね(笑)。ちなみに、お部屋の中ではどんなことをして遊んでいたのですか?
本を読んだり、絵を描いたり、それに飽きたら窓の外を見て空想にふけったり…。とにかく一人でいても飽きるということがありませんでしたね。
ーメイクアップアーティストになられる前はファッションの学校に通われていましたよね。絵や本がお好きだったということは、ファッションへの目覚めもそのころからあったのでしょうか?
そうかもしれませんね。4~5歳のころ、両親が離婚したので週末に父に会いに行っていたのですが、父はアーティストだったので、彼が絵を描く姿を遠くから見ていたことを思い出します。それと、母方の祖母はお裁縫が得意でよく服を縫っていました。この2つがクリエイターへのトリガーになっているような気はしますね。
ー高校を卒業してすぐアントワープ王立芸術学院に進まれたのですか?
10代のころにはすでにファッションに興味を持っていたのですが、「ファッションの道に進みたい、アントワープの王立学校に入りたい」と義理の母に相談したら、「いきなりファッションの道に行くのは難しいかもしれないから、まずはデザインの基礎を学んで足固めしてから考えてみたら」と言われてしまってね。それで、とりあえずブリュッセルにあるデザインの学校へ通うことにしたんです。
ーなるほど。そこでは具体的にどんなことを勉強されたのですか?
そこは宣伝広告に関するアートやデザインを学ぶための学校でした。写真やペインティング、モデルに対してのヘアメイクなど、広告宣伝に関するアートディレクション全般を学ぶことができました。そこで学位をとって、両親を説得して、やっと念願だったアントワープ王立芸術学院に進むことができました。
みんなでランウェイに潜入したアントワープ王立芸術学院時代
ーそこで本格的にファッションの世界に足を踏み入れたわけですね。アントワープでいちばん印象に残っていることはありますか?
2年に1回、学生たちがパリのファッションショーのバックステージで働くという課外授業のようなものがあったんです。学生でお金がなかったから、そこでメイクアップのお手伝いをしてアルバイト代を稼ぎつつ、バックステージの空気感を肌で感じられるという素晴らしい機会でした。仲間のうちの一人が、メジャーなブランドのショーのアルバイトをしていることを知って、みんなでどうしても覗きにいきたくて、フェイクのインヴィテーションを作って潜入したりしたのもいい思い出です(笑)
ーえっ!? よくバレませんでしたね(笑)
ちゃんと作戦があるんです。1人がバックステージパスを「いかにも」という感じで見せてセキュリティの視線を引きつけている隙に仲間たちがこっそり忍び込むという(笑)。この作戦で無事みんなでショーを楽しむことができました。
ー青春ですね(笑)。それだけファッションがお好きだったのに、メイクの道を志されたのはなぜですか?
僕が学生だったはころは、なけなしのお金で「iDマガジン」とかファッション雑誌を買ってよく研究していたんだけど、そのうち自分はファッションよりもモデルの顔ばかり見ていることに気づいたんです。バックステージでアルバイトしていた時も、モデルがショーのコンセプトに合わせてトランスフォーメーションしていく様が面白くて見ていて飽きなかったし、ビューティクルーとモデルたちとのインタラクションも楽しそうでいいなと思っていて、自然と志すようになりました。学校に通い始めて3年目には、もうメイクの道に進もうと心に決めていたけれど、学位を取るために4年間通い、卒業後から活動をスタートさせました。
学友にはラフ・シモンズも
ーメイクアップの専門学校には通わずにフリーランスで活動されていたのですね。
そうですね。ただ、長年アートを学んできていたから、色彩感覚やファッションとのコーディネイトなどは自然と身についていました。初めのうちは、ストリートキャスティングといって街ゆく人を捕まえて、彼らをモデルにポートフォリオを制作したりしていました。実は学友にラフ・シモンズ(RAF SIMONS)や、スタイリストのオリヴィエ・リッツォ(Olivier Rizzo)、フォトグラファーのウィリー・ヴァンダピエール(Willy Vanderperre)らがいて、一緒にいろんな作品を作りましたね。
ーすごいメンバーですね! メイクの道へ進む決め手となった出来事はあるのでしょうか?
ベルギーのエージェンシーに所属していた時、ある週刊誌の企画を担当したんだけど、それが、キャットウォークや撮影でのメイクではなく、一般の人にプロがその場でメイクをしてアドバイスをするという、いわゆるメイクオーバー企画。今では珍しくないけれど、SNSがない時代だったから、プロの技術を目の当たりにする貴重な機会だったみたいで好評を得ることができました。
その企画の中で、参加してくれた一人が、頬の大きなシミを気にして、髪で顔を隠すために猫背になっていたんだけど、メイクでキレイにしたら自信がついたのか、背筋がシャンと伸びて笑顔がぱっと輝いて。その時、メイクの力の偉大さを本当の意味で知ることができて、「自分がやりたかったことはこれだ!」と確信しました。
ーそれが今のピーターさんの原体験となっているのですね。「メイクだけでやっていける」と確信したのはいつごろですか
アントワープを卒業して、仲間たちとポートフォリオを作るようになったのが1995年ごろだったかなあ。彼らとの創作活動を続ける中で経験を積んだり、ミスをしたりしながら腕を磨いていって、少しずつお金を稼げるようにもなって…。なんとか1年はサバイバルできるようになっていたので、そのころでしょうか? ベルギー出身のメイクアップアーティストとして少しずつ名が知られるようになっていたので、学生時代から続けていたレストランでのアルバイトもすっぱり辞めて、ブリュッセルのエージェンシーと契約を結びました。
ーメイクアップアーティストとしての転機となった仕事は?
若手だったころ、ベルギーでは予算の関係上、メイクアップアーティストはヘアもできなければ仕事がもらえなかったのですが、ヘアは未経験だったんです。そんなある日、撮影の仕事が舞い込んできたので母に相談したら、母が通っている美容院のヘアデザイナーを紹介してくれて、彼が「とにかく一晩でやり方を教えるから髪の長い子を連れてこい」と。ブローとかシニヨンとか、ベーシックなテクニックを一晩で叩き込んでもらって、あとは自宅で3日間猛特訓して本番に臨みました。現場に行ったら、ものすごい髪の長いモデルで絶句(笑)。苦戦しましたが、どうにか完成させたら、チーフから「なんて素晴らしい仕事をしてくれたんだ! 特にヘアがファンタスティックだったよって(笑)」。
ー4日間で! ヘアの分野でも才能が開花されたとも言えますが、ヘア&メイクにはならなかったのですね。
そうですね。それからしばらくはヘアもやっていたけれど、2~3年後にはメイクだけに絞って活動することにしました。
インドで撮影した「ヴォーグ」の仕事が転機に
ーご自身の転機となった仕事はありますか?
アムステルダムのエージェンシーに所属していたころの「ヴォーグ(VOGUE)」の撮影でしょうか。ベルギーのトップモデルだったアニカから突然、「来週暇?」って電話があって。「どうしたの?」って聞いたら、「インドで『VOGUE』の撮影があるから来られる?」って。自分でも全く予期しない出来事だったから驚いたけど、「もちろん行くよ」と伝えてすぐにインドへ飛んだよ。
ーどうしてアニカさんがキャスティングしてくださったんですか?
ベルギーでアニカと一緒にシューティングした時の作品を、フォトグラファードゥオのイネス・ヴァン・ラムスウィールド&ヴィノード・マタディン(Inez van Lamsweerde & Vinoodh Matadin)が見て興味を持ってくれたみたいなんだ。だけど、フリーランスだったから自分の名前しか書かれていなくて連絡のしようがなかったみたいで、アニカが取り次いでくれて。それ以来、イネスとは付き合いがあって、NYで撮影があるたび今でも呼んでもらっているよ。
ーきっかけになった作品はどんな作品だったのでしょう?
1999年ぐらいの作品。カルティエ(CARTIER)とかブシュロン(BOUCHERON)のジュエリーをモデルの顔や肌にペインティングしたんだ。メイクアップアーティスト人生の転機となった作品のひとつだよ。
ーその後、「フェンディ(FENDI)」メイクアップディレクター時代に、カール・ラガーフェルド(KARL LAGERFELD)氏の目に留まり、2008〜13年まで「シャネル(CHANEL)」のメイクアップ部門のクリエイティブディレクターとして活躍されました。2014年にディオールのクリエティブ&イメージディレクターに就任されましたが、打診された時は、どんな思いだったのでしょうか。
シャネルを辞めてNYでフリーランスをしていたころ、ラフ・シモンズから間接的にこういう話があると聞いて。同時に、カールも働きかけてくれて、僕をブッキングしてくれたんだ。ベルギーのいちアーティストだった自分が、ディオールのような世界的ブランドのクリエイションに携われるなんてまたとないチャンスだと思ったから、もちろん喜んで引き受けたよ。もう9年にもなるなんて信じられないけど。
「ディオール」最新コレクションについて
ーコロナ禍でビューティ業界が苦戦を強いられている中、革新的でありながらも時代の空気感を絶妙にキャッチしたディオール ビューティは多くの人たちに受け入れられましたよね。そんな絶対的なセンスとアイデアを持つピーターさんが生み出した最新コレクションについて、こだわりポイントを教えてください。
まずはネイルからお話しましょうか。「ディオール ヴェルニ」は、今多くの人たちが求める、ナチュラル、クリーン、自然由来成分にこだわって処方を一新しました。ネイルを機能性をキープしながらナチュラルな処方に作り変えることはとても難しいことだったのですが、ラボが非常にすばらしい仕事をしてくれて、今までよりもさらに良い処方に進化しています。シェードも、誰にでも好まれる好印象なものから、シーズンごとに少し入れ替わり、ディオールの女性たちが望むスリークでコンテンポラリーでモダンなシェードまでバラエティ豊かに揃えました。パッケージもよりスタイリッシュに変わっているので、そこもぜひ注目していただきたいですね。
ー「ディオールショウ サンク クルール」はいかがでしょうか?
こちらもナチュラルでケアリングな自然由来処方にこだわり、さらに進化させました。使って良いもの、ダメなものとフォーミュラへの制限が厳しい中で、特に赤の鮮やかさを表現するのに苦労しましたが、こちらもラボのたゆまない努力の結果、色合い豊かに展開することができました。定番のパレットも引き続き楽しみつつ、最新コレクションのパレットで新しい自分を発見してもらえたら嬉しいです。
ー「ディオールショウ アイコニック オーバーカール」はリフィル式になるのですね!
そうなんです。ディオールのDNAとして、リフィルという概念は50年代から始まっているのですが、「ルージュ ディオール」だけでなくマスカラにもそのフィロソフィーやイノベーションを吹き込みました。フォーミュラもより使いやすく改良しました。
ー「ディオールショウ オンステージ クレヨン ウォータープルーフ」「ディオールスキン ルージュ ブラッシュ」のポイントは?
ディオールのクリエイションは、コロナの影響でこれまで以上に女性のニーズに寄り添うように少しずつ変化していきました。今回のカラーも、少しノーマルライフに戻っていくというメンタリティーの中で、ビューティカウンターに足を運んでくれる人がますます増えていくということも考えて、クレイジーすぎない、少しほっとするような色味もあえて作っています。もちろん、ファッショントレンドとリンクするストロングカラーも展開しつつ、自分でコントロールしてビルドアップして好きなようにも作っていけるような、自由性のある色展開にこだわりました。「ブラッシュ」は、ブラシもフォーミュラも一新。ひとはけでパッと顔が明るく華やぐのに、どんどん重ね付けしても重たくならず楽しめる絶妙な発色感にこだわっています。
ーでは最後に、ピーターさんの夢を聞かせてください。
大きな夢というよりも、とにかく今の幸せを噛み締めたいという気持ちが強いですね。コロナが落ち着いて元の生活リズムに戻って、こうして東京にまた来ることができました。こんなに嬉しいことはありません。いろんなところにまた出張に行って、クリエイティビティのバランスをより良いところに持っていきたい。そのうえで、自分だけの時間ももっと大事にしてけたらいいですね。
(文・ライターSAKAI NAOMI、聞き手・企画編集 福崎明子)
■ディオール:公式オンラインブティック
美容ライター
美容室勤務、美容ジャーナリスト齋藤薫氏のアシスタントを経て、美容ライターとして独立。25ansなどファッション誌のビューティ記事のライティングのほか、ヘルスケア関連の書籍や化粧品ブランドの広告コピーなども手掛ける。インスタグラムにて、毎日ひとつずつ推しコスメを紹介する「#一日一コスメ」を発信中。
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